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当センターのゼミナールSirubeでは、日本教育公務員弘済会宮城支部(以下、弘済会)の学習会をもとにまとめられた太田先生の著書『人間とその術』をテキストに、2023年の4月から学習してきました。
太田先生の問いの思索に導かれながら、その思索の旅につたない足取りでお供してきました。テキストも残りページは少なくなり、今は本書の山場を迎えています。やっと頂が見えはじめて、ここまで来たか!と感無量でもあります。
そんな思いでいる私(たち)を尻目に、師匠である太田先生は本書を私たちと読みつつ、さらにその思索を深めていたのでした。
震災から15年を迎えようとする今日、改めて改訂版として『人間とその術』を出版されます。前著となる弘済会の『人間とその術』は、関係者を中心に限られた方たちのなかでの著書でしたが、今回の改訂版は、アマゾンで購入できるようになりました。
多くのみなさんに、ぜひ手に取ってお読みいただきたいと思います。
以下、執筆の経緯と内容について太田先生が語られた「はじめに」の一部を紹介します。
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本書は人間の術について考察したものである。
なぜ術の問題に注目するのか。その始まりは、東日本大震災に伴う東京電力福島第一原子力発電所の崩壊であった。そのとき、私の心を震度6を越えた激震となって襲ったものは、近代文明を震源とする精神的地震であった。キルケゴールは自らの魂の出来事を大地震と呼んだが、いまわれわれは近代文明の制作世界を眼前に見すえるとき、精神の大地震に襲われるのを覚える。いったい人間は何というものをつくってしまったのだろう。人間は自分が作ったものに気がついているのか。そのような制作は人間に赦されるのか。
私にとって原発事故が問いかけた問題は「術とは何か」という問いであった。術という言葉で私は何を言い表そうとしているのか。術は行為、制作、仕業、生業という人間の営みにおける技を表すが、その意味はかぎりなく広がり高まることを私たちは知っている。文化や文明は人間の術の総体である。学問や技術や芸術は術の精華である。すべての人間の文明、文化、芸術、学問、産業は術によって成ったのである。
術とは有形無形の制作の技のことである。私たちは、全体的で根源的な自然世界のまえに立つ人間の行為のあり方全般を術と呼ぼう。そして、術を訪ねることによって人間がどこから始まり、どのような道をたどり、どこにやってきたかを判定してみよう。術は人間の足跡を教える。足跡を見ればそこを誰が通ったかがわかる。術は現実世界のなかでの人間の生きざま、人間と世界との交渉関係を目に見えるものにする。
人類の進んで来た道はこれ以外ではありえなかったのであろうが、身体の巨大化の道を進んだために滅んでしまった恐竜の跡をたどってはいないだろうか。人間の知性もまた「巨大化」の道を歩んでいるが、知性は人類の生存を揺るぎないものにするだけの卓越した力をもっているのだろうか。
術の問題を考えることによって、人間の生きてきた道をふり返りたい。術の歴史と術の現在をたどれば、現代世界がどのような世界かを見届けることができるからである。それではなぜ現代を問うのか。現代が真に危機の時代であり、人類史の転換点に立つ時代だからである。人類の未来が真の意味ではじめて問われる時代だからである。そして人類の未来が途絶えることのないように、いまこそわれわれの足もとを見つめなければならないからである。いま何が起こっているか。そのことは人間をどこに連れて行くのか。あるいは人間を滅亡へと追いやるのか。人間は何を作ってはならないのか。そして、何が人間にとって真に為すべきことなのか。——これらが今日における術をめぐる問いである。