mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより142 ミツマタ

  春を告げる黄金の小花 優れた和紙の原料

 2月も後半になると動植物にとってもうれしい季節です。近くの民家の庭先にあるミツマタのつぼみもふくらみ、黄色い小花が開き始めていました。もう少しすると、黄金の花に変わり見頃を迎えるでしょう。
 ミツマタは冬の終わりを知らせ、春の訪れを告げる花のひとつです。


              早春に咲くミツマタの花

 ミツマタジンチョウゲ科のミツマタ属の落葉性の低木で、中国中南部からヒマラヤ付近が原産地といわれています。
 枝は、どこまでいっても必ず三つに分岐する特徴があるので、その姿からミツマタ(三椏)という名がつきました。大きく育っても樹高1m~2mとコンパクトで、よく枝分かれして丸い樹形に育ちます。
 渡来した時期がはっきりしていませんが、『万葉集』(783年)に「さきくさ」(三枝)と呼んだ歌が収載されています。

 春去れば  まづ三枝の  幸きくあらば  後にも逢はむな  恋ひそ吾妹
                 柿本人麻呂 (万葉集 巻10-1895)
(春が来ればまず咲き始めるさきくさのように無事でいたなら、また巡り会えるのだから、そんなに恋しがらないでおくれ 愛しい人よ)

 万葉集に詠われた「さきくさ」(三枝)は、現在、ミツマタジンチョウゲフクジュソウなどの名前があげられていて、ミツマタとする説が有力ですが、これだという決定的な根拠には欠けるようです。
 1598年(慶長3年)に徳川家康から伊豆国修善寺村の紙漉工に対して和紙の原料に三椏の伐採を認めた文書があることから、ミツマタが中国から日本へ渡来したのは慶長年間(1596年 - 1615年)ではないかとも考えられています。

 ミツマタの花のつぼみは、秋に細長い葉の間に準備されます。12月頃、寒さが厳しくなり落葉すると、枝先にうつむき加減についたつぼみが目に入るようになります。

 枝毎に三また成せる三椏(みつまた)の蕾をみれば蜂の巣の如  長塚節

 ミツマタのつぼみは、銀色のフェルトをまとい、上の歌のように小型の蜂の巣のような形をして越冬し春を待ちます。

 
   秋に準備されるミツマタのつぼみ     冬に落葉するとつぼみが目立ちます。

 2月~3月、暖かくなるにつれて、銀色のつぼみが黄色に変わり、しだいにその数を増して、やがて、遠くからでもはっきりわかるような黄金の塊がいくつも並んで見えてきます。早春に黄色の花を咲かせる木はたくさんありますが、ミツマタの黄色は濃く鮮やかで、一気に春めいた雰囲気を漂わせます。


            一斉に咲き出すミツマタの花

 近くに寄ってくす玉のような花を見ると、小花が30個〜50個ほど寄り添って咲いているのがわかります。花は外側から咲き始めて内側へと咲き進み、満開になると夜空に打ち上げられる大玉花火のように華やかです。

 
   ミツマタの花とつぼみ       花は外側から内側へと咲き進みます。  

 ミツマタの花を構成している小花は、正確には花でなく葉の一部であるガクが変化したものです。ガクの先が4つに裂けているので、4枚の花びらのように見えます。ガクが花のように見えるものにはガクアジサイがありますが、他にもオシロイバナやチューリップ、アネモネなどの花もガクが変化したものです。
 ミツマタのガクの外側は銀毛に覆われ、内側は鮮やかな黄色です。花の内部には雌しべ1つと雄しべが8つあって、いくつかの雄しべがガクの縁から見え隠れするのが観察できます。

 
   ミツマタの花は小花がたくさん集まったものです。    紅色のものが雄しべです。

 早春から春にかけて黄色の花が多いのは、まだ色彩に乏しい山野で黄色が目立つ色だからでしょう。早春から活動を始めるアブやハエの仲間は、黄色にとても敏感だと言われています。これらの昆虫を呼び寄せるにはぴったりの色なのです。

 花が終わると卵形の乾いた実ができ、6月~7月に熟します。暖地ではよく結実するといいますが、寒冷地では難しいのか実を見ることはありません。ミツマタは種子でも挿し木でも増やすことができるということです。

 ミツマタの園芸種で、オレンジ色から朱色の花をつけるものがあり、アカバミツマタと呼ばれています。ミツマタの花の内側は黄色ですが、アカバミツマタは内側が赤いので、花全体が赤紅色に見えます。
 開花時期は2月~4月で、黄花品種のミツマタより花期が少し早いかもしれません。花の色が赤色ですが、花の形や枝が三つに分岐しているのは同じです。

 
  アカバミツマタの花     枝が三つに分岐するのも黄花と同じです。

 ミツマタは花の美しさを鑑賞するだけでなく、和紙の原料とされてきました。古くから和紙の原料とされてきたものには、ミツマタの他に同じ科のガンピ(雁皮)とクワ科のコウゾ(楮)があります。

 和紙の技術は7世紀初頭に中国から伝わったとされています。 当時の紙は、もろい上に虫害に弱く、保存に適していなかったようです。現存する「正倉院文庫」には何千という写本が保存されていますが、これを追っていくと、当時の職人が、紙の品質を上げるためにどれほど多くの試行錯誤を繰り返したかがわかるといいます。
 平安時代になって、薄くて強い和紙を作ることのできる「流し漉き」の技術が確立、工夫と改良を重ねて日本独自の和紙の技術と文化が発達していきました。

 日本で最初に和紙の原料として使われていたのはガンピとコウゾです。
 ガンピはジンチョウゲ科の落葉低木で、暖地の山中に生育しますが、生育が遅く、栽培が難しいので、野生のものの樹皮が用いられてきました。明治から昭和の中ごろまで、謄写版印刷の原紙用紙として大量に使用されていたのがガンピを原料とした雁皮紙です。
 コウゾはクワ科の落葉低木で、本州以南に広く分布、栽培しやすく成長が早く、和紙原料としては最も多く使われてきました。県内で有名な白石和紙や柳生和紙もコウゾを原料としています。コウゾを原料とする「和紙 日本の手漉(てすき)和紙技術」は、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の無形文化遺産に登録されています。

 
  ガンピ 県内でみられません。   コウゾ(ヒメコウゾとカジノキの交雑種)

 ミツマタが和紙の原料として用いられたのは、江戸時代前期頃からと考えられ、当初はコウゾやガンピの代替品であったようです。その後、コウゾに次ぐ手漉き和紙の主要な原料となっていきました。
 今年(2024年)の7月3日から、20年ぶりにデザインが刷新された新紙幣(一万円、5千円、千円)が発行されますが、1879年(明治12)に初めて紙幣の原料として採用されたのがミツマタです。現在の紙幣は、ミツマタにマニラ麻を混ぜて、専用の特殊な和紙で作られています。


  ミツマタは1879年(明治12)に紙幣の原料として採用、現在まで使われています。

 和紙に対して西洋の機械漉きで作られたのが洋紙です。
 1874年(明治7)、日本で初めて洋紙が生産されると、和紙の生産量は急激に少なくなっていきましたが、手漉和紙の技術は、全国の数少ない和紙原料の産地で受け継がれていきました。
 洋紙と和紙ではその紙質が大きく違い、洋紙は大量生産できますが、破れやすいので、用途も雑誌や新聞などに限られています。一方、和紙は洋紙に比べて軽量でも耐久性がとても優れていて、さまざまな用途に使われています。
 耐久性の秘密は繊維の長さにあって、洋紙の原料であるパルプは1~2mm、和紙の原料であるミツマタ3.2mm、ガンピ5.0mm、コウゾ約7.0mmです。繊維は長ければ長いほどからみあって丈夫な紙になります。
 ミツマタを原料とする日本の紙幣は、ポケットに入れたまま洗濯してしてもボロボロになりません。紙のキメが細かく印刷が鮮明、和紙独特の色や風合い、触ったときの感触は、「透かし」の技術の精巧さとあわせて偽造発見の第一手になっているということです。
 日本の和紙は国内だけでなく、世界の美術品や絵画などの修復に欠かせないものとなっています。


 ミツマタは花の美しさとともに和紙の原料として暮らしや文化を支えてきました。

 今、政府は経済産業省をとおしてキャッシュレス化に旗を振っています。新しい紙幣を発行することと一見矛盾する政策のように感じるのですが、旧紙幣が金融機関に持ち込まれて新紙幣に交換されたり、いったん銀行口座を通ったりすると、その人の資産として把握される可能性があるとのことです。将来のキャッシュレス化のために、国民の金融取引をすべてを把握し徴税を確実に行うしくみを整えるのが国の本音とか、新紙幣の発行を単純に喜んではいられないようです(PRESIDENT Online「新紙幣発表"本当の狙い」磯山友幸)。

 キャッシュレス化と合わせてペーパーレス化の動きも加速化しています。
 記録媒体である光ディスクの寿命は10年、ハードディスクは5年ほどですが、洋紙は百年、和紙は千年と言われています。奈良の正倉院に所蔵されている日本最古の紙は702年の美濃和紙で1300年以上前に遡ります。
 日本の和紙は記録を残すだけでなく、物語や草紙もの、絵画や版画、絵巻物、障子や襖、器や雨傘、玩具、祭礼の飾り物など文学作品から日常生活用品まで暮らしのさまざまな用途に使われてきました。紙の文化は人の暮らしに息づき、心を豊かにしてきました。

 図書館に入るとふと太古の森の中に入り込んだような気になることがあります。書物はもともと森林由来の紙であったわけで、その気配が生きものとしての人間の生理と馴染み、精神に安らぎを与えているのでしょう。
 生産性や効率だけを求めるのであれば、デジタル化を推進、紙の文化は必要ないといわれるのでしょうが、人の精神形成と深く関わりのある紙の文化をどう暮らしに残していくのか、私たちの知恵が問われているように思います。(千)

◇昨年2月の「季節のたより」紹介の草花