mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

コロナと人手不足と、みんなに支えられながら

 気がついていましたか? 今月はdiaryの記事が少ないことに。
 実は、流行にはとんと疎いはずの私が、今回ばかりは流行にすばやく乗って、とうとうコロナに感染してしまいました。こんなことを言うのは不謹慎ですが、2020年以来ずっとこれまで感染せずに来ていたので、実は強靭な免疫をもともと持っているのではないかと変な自信を持ったりしていたのですが・・・。しかし、やっぱりそんな勝手な妄想はダメでしたね。しっかり今回かかってしまいました。思っていたよりも熱が高くなって、やはりコロナは侮れないと再確認した次第です。

 かかりつけの医師は、テレビも政府も5類になって以降、ほとんどコロナが増えていることを伝えないし、きちんとした対応策も取らないと怒っていましたが、つい先日テレビで、ひさしぶりに新型コロナ感染症対策分科会の尾身元会長の姿を拝見しました。現在の感染状況について「第9波はピークには達していない」と警戒感を示してました。しばらくは増えることが予想されます、みなさんも気をつけて下さい。
 そんなこんなで我が家で完全隔離状態の生活を過ごし、この9月のセンター企画として一番大きい窪島務さんの教育講演会も休まざるを得ず、このdiaryも一時中断と相成った次第です。

 実は、後でわかったことですが、窪島さんの講演会の日は、私だけでなく他の事務局メンバーも用事で参加できないなどが重なり、当日の準備はずいぶん大変だったようなのです。早めに会場に来られた参加者のみなさんが協力してくれて大いに助けられたと、所長の達郎さんから聞きました。
 改めて私たちのセンターが、多くのみなさんの協力に支えられていることを実感するとともに、そのような皆さんの期待に応えられるような取り組みをしていかなくてはと思いました。特に名前は記しませんが、この場を借りて協力いただいたみなさんに、この場を借りて御礼申し上げます。
 講演内容については別の機会にして、参加されたみなさんからいただいた感想の一部を紹介します。(キヨ)

★個別の指導、一人ひとりに合った幅のある指導を宮城県では目標にしているが、インクルーシブ教育の方法を、通常(教育)学級の中で考えるどころか、別ものとして、通常教育学級の中でさえも、固定された方法と目標は一律である矛盾が、なぜ起こるのか、わかった。

★インクルーシブ教育システムの世界(ユネスコ)と日本の違い、教育の現場での課題や困難な現実的な話を聞くことができて、とても貴重な時間でした。
 困難さを抱えている子どもたちに安心と自尊心が持てることの大切さをあらためて感じました。
 キッズカレッジ学習室のように子どもたちに寄り添って学習ができる場があることを知ったことがとても良かったです。
 教育現場で仕事をしているのではないですが、学習だけでなく生きづらさを抱えている子どもたちと関わる仕事をしている私にとって、貴重なお話でした。

★インクルーシブ教育についてや、文科省の考え方について知ることがでいました。通常学級を変えていくことからはじめないと生きづらい子どもたちが、救われないと感じています。教員に余裕がないために、子どもと教師のズレはなかなか埋まらないのではないかと思います。
 「じっくり大事に!」「安心と自尊心を!」「長い目で、子どもの発達を見ていく!」、これらが今の現場では、ほとんどできないでいるために、子どもが苦しんでいるのだと思います。保健室にSOSを出してくる子どもたちを自分一人の力では救えず苦しいです。

★インクルーシブ教育という話が示すものの中身が、行政、ユネスコなどの動向も含めて丁寧に整理されていて興味深かった。発達の見通しを持つということ自体が困難な状況のなかで、一瞬でも、子どもの「がんばり」を見落とさないということに賭ける、信じるということ。そして子どもの事実をつかむということに取り組んでいかなければならないと思った。

★「安心と自尊心」を土台に、という言葉が心にささりました。保健室で「安心感」を大事に、不登校保健室登校)生徒や、発達に課題のある子どもたちに対応してきたので、そうだなあと改めて思うことができました。

★インクルーシブ教育といって、特別支援学級や特別支援学校を廃止するということは、私としては反対の立場です。
 今日の講演の中で「どこで難しかった」「迷った」ということを確認し、自己認識を育てることが大切というのが、とても心に残りました。9年間というスパンの中で、高学年~中学生ということで変わることができる(発達できる)という話が聞けて、とても見通しができました。

★帰ってからゆっくり考えたいことがいっぱいありました。拗音でつまづくと小2の漢字➡アルファベット(単語)と必然的につまづいていく話は、科学的な証明というより実態から言えることとのこと。私にはない視点でびっくりしました。
 子どもが分からない辛さを語った時に「そう」とだけ言う対応は、私にはできないなあと思いました。きっと、これまで(今でも)子どもとのズレはたくさんあり、それを埋めることは難しいと思ってしまいました。まずは知ることから学ばなければならないと思いました。

発達障害があると思われる子どもたちが、学級で目立つ言動が見られるのは「まじめ、いっしょうけんめい、やさしい」ことの裏目だというところが、なるほどと思いました。初めてのことへの拒否感やすぐあきらめてしまうことなど、このことが影響していたのだと分かりました。今までの声がけの仕方や対応、事前の準備などの不十分な部分、不適切だったことが、いろいろ思い出されて反省しました。
 このことは、他の子どもたちにとってもいい影響があると思うので、工夫していこうと思いました。字のまちがいへの対応や、ひらがな指導なども、とても参考になりました。

★たくさんの子どもたちの事例から、すべての子どもに届くたしかな教育について考えることができました。
 保健室には教室で苦しい、学習が辛い、生きることがしんどい子どもたち、保護者が来てくれます。この社会の縮図のようで、本当は、この子たち、保護者の方を大切にすることが、みんなが生きやすい教室、学校、、社会をつくることにつながるのではないかと思います。
 一人ひとりが幸せに生きていく権利を願い、保障するためにどうあればよいのか考えていきたいと思います。