mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

正さん「熊野古道」伊勢路 ひとり旅6

伊勢神宮から那智の滝』 200kmをせっせと歩く




【6日目】4月21日(金)曇りのち晴れ  25℃
      ~ 八鬼山越え 12km ~

 

 

 
                   八鬼山登り口(8:00)

◆ 苔むした石畳(8:40)

  

熊野古道と言えば、この石畳の風情。
そうなのだが、右のような水を含んだ苔。
つるりんちょなのだ。
足場の選びようがなく、アイゼンがほしくなった。
靴をケチったせいでもありますが・・・

ここから七曲がりの急坂。(9:14)
気合いを入れて、もう一踏ん張りだ。

◆ 休憩(9:47)
思ったほどの傾斜ではないが、長いな。
ふうふうしながら休んでいると、鳥の声が聞こえる。
風がサーッと流れる。
じっとしてると、なぜか山の一部になったような・・・
いや、気のせいだな。



◆ 九木峠(10:15)

熊の看板は見たくないな。
さっさと行こう。

◆ え!ここが八鬼山頂上?(10:50)

伊勢路で一番の難所と教えられてきたのに。
見通しが全くない頂上。
すぐ下に、海が見える東屋があったのだが、
この先に「さくらの森エリア:展望よし」とある。
そっちにしよう。
楽しみだ。
それ行け。

おお~、これこれ。
登ったご褒美はこれでなくては。



◆ 降りてきた(12:50)

小さな沢が涼しげに流れていた。
顔を洗わない手はないな。
暑かったので最高にスッキリした。
一体どの山を越えてきたのか見上げてみた。
これか?



  ~ 三木峠・羽後峠 6km ~

 

◆ ヨコネ道から(13:54)

ときどき視界の窓が開く。
それで、海の傍を歩いてると分かる。

◆ 三木峠:何も見えず(14:18)


歩いていたら、左奥にイノシシ用と思われる罠発見。


ここを登れば、羽後峠だ。

◆ 羽後峠で一服(15:17)


ここも眺望なし。でも、椅子はあった。
後は下るだけなので、ゆっくりしよう。

 

◆「猪垣」が延々と
字のごとく、イノシシの侵入を防ぐために作られたものだ。
これまでの峠でも見たし、石切場もいくつかあった。
明日の峠にもあるという。
もう少し言うと、山の斜面に対して二重三重に作られているところもあった。

不思議だったのは、田畑にする平らな土地など
ほとんどないのに、万里の長城みたいなものを作る必要があったのか。
説明板によると、紀州藩が作らせたとあり、財源は出していない。
この地域の村人にとっては、とんでもない負担だったと書いてある。
山の斜面を段々畑や田んぼにして細々と作物を作っていたが、
その貴重な収穫物を鹿やイノシシにやられたのだろうと思う。
その被害を何とかなくそうと考えたのは、村人ではなく紀州藩ということになる。
何と素晴らしいことかと一瞬思ったが、違うな。
ほんのわずかな年貢でも取り損なってはならないという藩の強い意向ゆえだろう。
そのために莫大な労力と資金を強いられた農民の苦労は計り知れない。
農民の血と汗の結晶である。
いつの時代も、権力者は、普通に暮らしたいと願う人々を踏みつけて生きている。


賀田の町に下りてきた(15:50)

◆ またかよ! au切断
今日のお宿は、賀田駅から5、6kmほど離れた海っ端にある。
予約したとき、駅までのお迎えはできるということだった。
古道ルートからは外れていたが、それを条件に決めた。

賀田に入ってすぐにスマホを使ってみた。
1秒もしないうちに、「切断」の表示。
あらあ、またかよ。
しかたがないから、駅に向かうまでの町中に公衆電話を探した。
ない。人も歩いていない。
駅に期待した。
無人駅だった。電話もない。
お迎えの電話がかけられないということは・・・
さらに1時間以上歩くことに。
うわあ、それだけは勘弁して。
駅から町は少し離れているが、戻って探すか。

最初に目に付いたのは床屋さんだった。
少し通り過ぎてから、そうだ・・・
向きを変えて床屋さんに入っていった。
お客さんは誰もいなかった。
おんちゃんが一人、テレビを見ていた。
事情を話すと、「あ、いいからいいから、使って。お金なんて要らないよ。」
ありがたくて何度も頭を下げた。
「実はねえ、駅に電話あったんだよね。でも、1ヵ月前に撤去されたの。」
「ええっ!そうだったんですかあ。おれみたいな人もいるだろうにね。」
ほんとにいるかな?
とにかく、ここが日本でよかった。

急いで駅に戻ると、ほどなくお迎えが来た。(あの世からではない)
車は、曲がりくねった道をけっこう走った。
いやいや、ここを歩いてたら疲れ倍増だった。
17時前にお宿到着。
すぐに電話を借りて、明日の宿泊予約を入れた。

◆ 梶賀町のお宿
翌朝めずらしく散歩した。
小さな入り江に位置する漁村だった。

びっくりしたことが2つあった。
一つ目。「お風呂は部屋にありますから。」の言葉に、“ えっ? ”
コロナのために、何人かで入るお風呂は使えなくなったとのこと。
民宿用の部屋にそんなスペースがあるのかな?
部屋に入って、まずはそれを確かめた。
あった。ユニットバスが入り口脇に設置してあった。
何部屋あるのかまでは見なかったが、コロナのせいでここまで
設備投資を強いられたんだなあ。
ビジネスホテルみたいで、ちぢこまって入った。

二つ目。玄関に張ってあった魚拓。

写真にすると迫力が失われるが仕方なし。
ヒラメが93cmって、そんなバカな。
「普通のざぶとんよりもでっかい、相撲取りのざぶとんじゃないですか!」
びっくりして声をあげると
「1m越えるやつもいるよ。」
「おおおおお。こんなの釣ったら喰うのがまた大変だ。
 刺身100人前はできるでしょう。」
「これは、私が捌きましたよ。確かにそんくらいはあったな。」
浦島太郎に「鯛やヒラメの舞い踊り」が出てくるが、こんなやつが何十匹もいたら、まんざら作り話でもないな。

ご主人はもちろん漁師だ。
前に読んだ鯨取りの物語がこの辺だったことを思い出し、
「この辺に捕鯨を生業とする地域があったと聞いてるんですが。」
「ああ、どこだろう。太地かもしれねえな。」
そこから、鯨にまつわる話になった。
中でも、アニサキス寄生虫)の話は、なかなか面白かった。
「日本では商業捕鯨が再開されて何年か経つけど、鯨は今どんどん増えてんのよ。
 それに伴ってアニサキスもいろんな魚に寄生するようになったの。鯨を目指して
 んのよ、アニサキスは。」
ん??初めはピント来なかった。
でも、コロナウイルスと似てるなあと思った。
自分がどこに向かって、誰に寄生したら種の保存が安定的に維持されるのか。
ご主人の言いたいことは、「動物愛護」と言って生態系の頂点にいるような種を保護し続けると、いろんな意味でバランスが崩れるということ。
つまり、アニサキスを減らすには鯨の頭数把握をしながらも、
ばんばん取ることだそうだ。
漁師の親父がこんな科学的なことをさらっと言うのだ。
魚を捕ることで、海の生態系は感覚的に分かるのかもしれない。

出発間際に、「おれもこんなでかいのが釣りたいですよ。」
「また来い。なんぼでも釣らせてやるから。それに、この海の魚種は日本一だ。」
今回のお泊まりは、関西圏でも人気の船宿だった。