高山に咲く薄紫色の花 日本だけに自生する固有種
若い頃、何とかこの花を見たいと思っていました。その憧れのシラネアオイと初めて出会ったのは、雪のまだ残る栗駒山の裾野に広がるブナ帯の山道を歩いたときでした。国道398号線の脇道に入り、雪解け水の流れる川沿いを歩き出してまもなく、川のほとりに数本咲いていたのです。
大きな緑の葉と薄紫色の花が調和し、オレンジ色の蘂(しべ)がアクセントになって、穏やかな美しさを見せていました。しばらくの間、傍に腰を下ろして、花をながめていました。ゆったりと流れる森の時間がとても心地良いものでした。
その後、何度かシラネアオイと出会いましたが、いつもこのときの驚きと喜びを思い出します。
シラネアオイは、山を歩く人の憧れの花。
シラネアオイの花に心惹かれる人は多く、植物写真家の永田芳男さんは、図鑑の「シラネアオイ」の解説のなかで次のような思い入れのある文章を書いています。
日本を代表する花を一つだけ選ぶとすれば、私はためらうことなく本種を推薦する。日本独特の「科」「属」「種」の貴重さに加えて、なんとも優雅な気品を漂わせているからである。深山の林の下や高山の雪渓のそばなどに生え、白い毛を輝かせて雪どけの大地から伸びて来る。
(山渓フィールドブックス1永田芳男著『春の野草』)
シラネアオイ(白根葵)の名は、栃木県日光の白根山に多く自生し、花びらが大きく開くとタチアオイ(立葵)に似ていることから名づけられました。
実際にはシラネアオイはアオイ科とは異なる科ですが、シラネアオイほど、分類上の位置が二転三転した植物も珍しいかもしれません。
深山に生育するためか、文献に登場してくるのは江戸時代になってからで、その日本特産のシラネアオイを見出して学名をつけたのは、シーボルトとツッカリーニでした。このときは、日本から持ち帰った標本をもとにキンポウゲ科の植物として発表されました。その後、キンポウゲ科に含まれるボタン科に近いとされたこともありますが、キンポウゲ科の植物では見られない特徴があることからシラネアオイ科として独立した科が作られます。当時発行された図鑑には「シラネアオイは、シラネアオイ科シラネアオイ属で、1科1属1種の日本を代表する貴重な存在の花」と解説されています。
ところが、最新のDNAによる遺伝子レベルでの植物分類体系(APGIII分類体系)では、シラネアオイは再びキンポウゲ科に戻されます。シラネアオイはそれだけ特異な性質を持つ花であるようです。
現在、シラネアオイはキンポウゲ科シラネアオイ属に分類されます。1属1種の日本の固有種で、世界で日本にしか自生していない花に変わりはありません。
別名で、ハルフヨウ(春芙蓉)やヤマフヨウ(山芙蓉)とも呼ばれます。
シラネアオイは北海道から本州中部以北の山地や亜高山帯、高山帯下の林床などの、水はけと風通しのよい、強い日のあたらない場所を好んで生育しています。
地下に横に這う太い根茎を持っていて、ブナの森などの林床では、雪解けが終わる頃に落葉の積もった地面を持ち上げて芽を出します。
地面から握りこぶしのように出てくる芽 つぼみは葉につつまれています。
芽吹く姿は、地面をつきあげる握りこぶしのようです。そのこぶしを開くようにして大きな葉を広げます。開いた葉はカエデに似た形で、縁にギザギザがあって、手のひら状に切れ込んでいるのが特徴です。
花のつぼみは葉のなかにくるまれていて、葉が開くと同時に顔を出します。
芽吹いたシラネアオイはぐんぐん背丈をのばし20cmほどになります。花のつぼみも膨らんで、やがて薄紫色の花が開きます。
シラネアオイの花色は多くは薄紫色ですが、濃紫色や白色の花を見ることもあります。
つぼみをつけて伸びる。 花色は多くが薄紫色です。
シラネアオイの花期は4月から6月頃です。花は山地から深山や高山へと徐々に咲き進んでいきます。宮城県内でも、シラネアオイの生息する群落がいくつかあって、山地の沢沿いの林床では4月中旬、北泉ケ岳では5月上旬、蔵王連峰や栗駒山などでは6月頃に山を訪れると見ることができます。
花びらのように見えるのは4枚のガク片
シラネアオイの花には花びらはありません。花びらのように見えるのは、4枚のガク片です。花の中心に見える明るく黄色いかたまりは、たくさんの雄しべの集まったものです。雌しべは花の中心に2個あるのですが、開花直後の花では、まだ成熟していないので、雄しべの群れのなかに隠れていて見えません。
シラネアオイの花は、雄性先熟(ゆうせいせんじゅく)の花です。最初に雄しべが成熟して花粉を出し、出し終える頃に雌しべが成熟して伸びてきて、他の花の花粉を受け取るのです。同じ花の雄しべと雌しべの成熟期をずらすことで、自家受粉を避けて他家受粉の確率を高め、丈夫な種子(子孫)を残そうとしているのです。
シラネアオイの花は、昆虫の力を借りて受粉を行う虫媒花ですが、蜜を持っていません。そのかわり花粉を大量に準備して、花粉を食べる昆虫を呼び寄せます。
花粉を出す雄しべ(開花) 花粉に集まる虫 後から出てきた雌しべ
秋になると、花の後には袋のような形状をした実ができます。なかの種子が成熟すると、緑色の実は茶色に変わります。実は裂けて種子を外に飛ばして、新しい世代へといのちをつなぎます。
秋の半ば過ぎには、役目を終えた地上部の葉や茎は枯れてしまいます。地下にある根だけが残り、冬の眠りに入り、翌春にまた新しい芽を出すのです。
シラネアオイの実 1つの実に20~40個程の種子(円)が。
シラネアオイの名の由来となった日光白根山は、栃木県日光市と群馬県利根郡片品村の県境にある標高2578mの活火山です。
田中澄江さんがその著『新・花の百名山』のなかで、日光白根山で見たシラネアオイについて書いています。
さてその日、急坂に次ぐ急坂を過ぎて平坦地となり、弥陀池に近づくにつれて、山腹に点々とシラネアオイがあらわれ、池の右手の山腹はまったくシラネアオイ以外の花は、何も見えず、溜息のでるような美しさで、野生の花がこんな典雅な風情をあらわすということに感動した。(略)ところで、つい最近、今度は頂上を目指して同じ時季に登っておどろいた。やはりムラサキヤシオの花は見覚えのある位置に咲いていたが、シラネアオイが激減しているのを知って、胸をつかれる思いであった。たった十数年の間に、花盗人たちに持ちさられたのではないだろうか。
(田中澄江著『新・花の百名山』・文春文庫)
日光白根山では、かつてはシラネアオイ以外には何も見えないほど一面に咲き誇る群落が見られたことが書き残されています。しかし1990年代後半以降、そのシラネオアイの群落は急速に姿を消していきました。
大きな原因は、田中さんも書いているように盗掘でした。日本の固有種の美しい花で、希少性も高いということから、シラネアオイの盗掘被害があとを絶たなかったのです。さらに1980年代以降にニホンジカの生息数が急増、多くのシラネアオイの群落がシカたちによって食べられてしまったのです。
群馬県はシラネオアイを準絶滅危惧種に指定。1993年以降より、日光白根山のある片品村と群馬県、地元住民有志、ボランティアの人々によって、シラネアオイの苗づくりや自生地への電気柵の設置などが行われてきました。
群馬県立尾瀬高等学校では、全国初の自然環境科が設置され、生徒たちが、シラネアオイの実から種子を取り出し、地域の人と一緒に栽培地にまいて、育った苗を自生地に移殖し、その後の開花状況を調査、記録するという活動を20年以上にわたり続けてきています。
一時は個体数を減らしつつあった日光白根山のシラネアオイは、群落の復活を願う人々の努力によって、絶滅から免れてきています。
木漏れ日を浴びて 逆光の後ろ姿
シラネアオイの減少は日光白根山に限らず、東北地方の山々でも起きています。ニホンジカの食害はまだ見られませんが、東北地方の「道の駅」などでは、山菜取りの季節に明らかに自生地で掘り出してきたと思われるシラネアオイの株が高値で店頭に並んでいます。この状態が続けば、シラネアオイの個体数は確実に減少していくことになるでしょう。
生きものは種と種が多様につながりあっています。ある種の生きものが絶滅すると、その種とつながる種に影響を与え、さらに他の種へ影響を与え続けながら、自然の生態系のバランスを崩していきます。結果として自然環境全体が私たち人間を含めた生きものの住めない世界へと変化していくことになります。
たかが一種が絶滅してもと思うかもしれませんが、現在、世界ではかつてないスピードで多くの生き物が絶滅しているというのです。
「・・・100年前からは1年間に1種の割合で生物が絶滅しています。絶滅のスピードはますます加速され、現在では1日に約100種となっています。1年間になんと約4万種がこの地球上から姿を消しているのです。驚くべきことに、たった100年で約4万倍以上のスピードになっています。そして現在もなおそのスピードは加速を続け、このままでは25~30年後には地球上の全生物の4分の1が失われてしまう計算になります。・・・」(『野生生物種の絶滅』山形大学医学部)
自然界のバランスのくずれが人間の暮らしに目に見える形で影響を与えていると気がついたときはもう手遅れです。
ブナの木の根元に咲くシラネアオイの群れ
シラネアオイは山地の自然環境の中で咲く姿が一番美しいと感じる人と、盗掘して儲けようとする人とが、互いにわかりあうことは難しいことかもしれません。
でも、人も野に咲く花も自然界に生きる生きものの仲間と考えることができるなら、シラネアオイが無理やり生息地から掘り出されることは、人間が災害や戦争で住処が破壊されて、故郷から引き離されるのと同じと感じられるでしょう。
ヒトという種も生態系の一部であって、地球上の全ての種のなかのひとつです。それぞれの種の固有の生存権を奪うことなく共に歩める道を考え続けることが、ヒトという種である人間に課せられた自然界での役割です。(千)
◇昨年4月の「季節のたより」紹介の草花