mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより124 ユリノキ

 米原産の高木  美しい樹形と珍しい葉と花の形

 私が初めてユリノキの花に気づいたのは5月、若葉が青空に映えて美しかったので、何気なく街路樹を見上げたときでした。宮城県美術館南側から川内にかけて立ち並ぶ高木の緑の葉の間に、クリームとオレンジ色のものが見えたのです。それが花だと気づき、樹木の名を調べるとユリノキでした。
 ユリといえば「ヤマユリ」、「ササユリ」などの姿が浮かんできて、この美しい花が、なぜユリノキの花なのかとそのとき疑問に思いました。


            ユリノキの花。オレンジ色が鮮やかです。

 ユリノキモクレンユリノキ属の落葉高木で、原産地は北米東部のアパラチア山脈とその付近といわれ、日本に初めて渡来したのは明治初期のようです。
 当時の明治政府に学監として招かれていたアメリカの教育者デイビッド・マレーから、植物学者で東大教授だった伊藤圭介博士に種子が贈られ、同氏が育てたものの一部を新宿農学所(現新宿御苑)に植えたものが、日本で最初に根づいたユリノキであるとされています。現在東京都内の街路樹のユリノキはこのユリノキを母樹としています。 

 ユリノキの学名はリンネによって「Liriodendron stolonifera」と命名されました。属名「Liriodendron」はギリシャ語の「elision」(ユリ)と「dendron」(木)を語源とし、「ユリにかかわりのある木」という意味で、和名はこの属名の直訳と思われます。
 種小名「stolonifera」は「チューリップによく似た形の花が咲く」という意味です。ユリノキの花はチューリップの花の形をしているので、英名では、ユリノキを「Tulip tree」(チューリップの木)や「Tulip poplar」(チューリップのポプラの木)と呼ばれています。私がユリノキの和名に感じた違和感は、花の姿からきていたようです。

 ユリノキは大きな枝を整然と広げる樹形が美しいことから、街路樹として全国に11万本以上も植えられていて、特に関東・東北地域に多く(2017年国総研資料)、宮城県でも街路樹、公園樹、校庭の樹木として植えられ、地名や公園名になっているところもあります。
 仙台市では古くからの街路樹も多く、東北大川内の北側沿道や仙台駅からほど近い北目町通り、国道286号線秋保通りの並木道に高木となって並んでいます。


       仙台市川内・宮城県美術館南側のユリノキの並木。

 ユリノキはとても成長が早く真っすぐに伸びる木です。春に芽吹きが始まると、 次々に若葉を広げ、枝を伸ばしていきます。頂上に向かうにつれて枝数がまばらになりますが、下方の枝より上部の枝が分枝力も伸長力もすぐれていて、毎年一年枝を力強く伸ばして端整な樹冠を形成します。遠くから見ると広円錐形をした美しい樹形をしています。
 木の幹は天をめざして伸びて、北米の原産地では樹高が60mにもなるそうです。国内でも、新宿御苑の巨木のユリノキは幹回りが約5メートル、樹高も高いもので約35メートルに達しています。

 
   仙台市川内のユリノキの大木     5階建のマンションを超えて成長

 ユリノキの葉は、葉柄が長くとても独特の形をしています、植物の葉の形といえば、ほとんどの植物の葉は葉先がとがっているのに、ユリノキの葉は葉の先を鋏で切ったかのような形で、先端部分がへこんでいます。形の個体差はありますが、葉だけを見れば、これはユリノキの仲間とすぐわかります。
 ユリノキは世界でも比類のないほど珍しい「葉形の木」といっていいでしょう。

 
       枝先にゆれるユリノキの葉           珍しい葉の形

 葉の形のユニークさから、ユリノキは和名があっても別名で呼ばれることが多かったようです。ヤッコダコノキ(奴凧の木)、グンパイボク(軍配木)、クラガタノキ(馬の鞍の連想から)などいろいろありますが、なかでも親しみをこめて呼ばれていたのがハンテンボク(袢纏木)です。
「はんてん」(袢纏)とは、寒い時に着る綿入れで作られた袖つきの衣服で、ユリノキの葉の形に似ています。ユリノキが初めて渡来した明治から、大正、昭和の中ごろまで、はんてんは庶民がよく着ていた衣服でした。時が流れて、はんてんは生活の場から消えていきますが、ハンテンボクの名にその名残りを留めています。

 ユリノキの花は、植えてから8~10年ほど経つと咲き始めます。樹齢が多くなるとたくさんの花をつけますが、花は高木なので上の方で花開きます。     
 街路樹を見上げて歩く人はなく、公園に訪れる親子も地上での遊びに夢中でしょうから、ユリノキの花が咲いていても、気がつく人はほとんどいません。     

 
   5月にたくさん花を咲かせます。気がつく人はほとんどいません。

 ユリノキの花は高い場所に上向きに咲いています。見上げても葉に隠されてしまうのでよく見えません。花に手が届かないので、正面から眺めたり撮影したりするのがとても難しいのです。                         
 ユリノキはまっすぐに伸びる太い幹のやや高いところから張り出した第一枝が、時には手が届くほど垂れ下がるときがあります。その枝を探して花やつぼみを観察しました。

 花のつぼみは淡緑色で緑の葉に紛れています。花には花びらに相当するものが9枚あって、外側のガク片にあたる3枚が開くと、オレンジ色がわずかに見えてきます。やがて内側の6枚の花びらが開いて、チューリップの花の形になります。花びらのクリーム色と下部の明るいオレンジ色の彩りは、他の花に類を見ない組み合わせです。受粉の準備ができると、花びらがさらに開いてお椀のようになります。オレンジ色も濃く鮮やかになって、昆虫や鳥たちを呼び寄せる目印になるのです。


  つぼみの姿   外側の3枚が開く チューリップ形の花    お椀の形に変化

 花の中をのぞくと、 花の中央に雌しべ、そのまわりを囲むように雄しべが立ち並んでいました。雄しべは20~50個ほどで花によって違いがあるようです。
 変わった形をしているのは雌しべで、円錐状のかたまりになっています。雌しべは1つではなく、60~100個ほどの雌しべが集合したものなのだそうです(HP「ガーデニングの図鑑」)。
ユリノキという木』(岩手緑化研究会発行:研究論文)には、「めしべとおしべは他の花では一般に見られない変ったもので、枝と葉が頂上に集って花となった進化の原子的な歴史をよくとどめていますので、植物生理学では貴重な『原始の花』のひとつとして取り扱っています。」と書かれていました。


    開き始めの花     中央に雌しべ。囲む雄しべ   花の終わりごろ

 ユリノキの花の大きい特長は、たくさんの花蜜を出すことだといいます。
 蜜は花びらの内側のオレンジ色のところから分泌されるというので、そこに指先をつけると分泌物が出ていました。なめてみるとほんのり甘く確かに蜜です。
 ユリノキの蜜について書かれた一文があって、そこには「蜜の分泌が盛んな時期には、濃い琥珀色の蜜液が、いい薫りを放って花弁のあいだから花托に流れだすことも珍しくないし、葉にこぼれ落ちた蜜は、いつしか集まって滴になり、地上に落下してゆく。」(毛藤勤治・他著『ユリノキという木』アボック出版局)と書かれています。私が手にとった花は、まだ蜜の分泌の時期が早かったようです。いつかそのような光景に出会いたいものです。

 秋になるとユリノキの葉は、美しく黄葉します。他の木々に先がけ、足早にやってくる日本の秋を知らせてくれます。葉が大きく木のスケールも大きいので、一斉に黄色に色づくと秋の空に映えてみごとです。
 春の芽吹き、新緑の初夏、黄葉の秋まで、四季折々の美しさを見せてくれるのも、ユリノキが街路樹や公園樹として選ばれる理由なのかもしれません。 

 
   一気に黄葉していきます      はんてん形の葉の黄葉がきれいです。

 花の後には枯れたつぼみのような果実ができます。果実は翼のある種子(翼果)が上向きに松笠状に多数集まった集合果です。10~11月頃に種子は成熟し、内側から順に砕け始めて、風に飛ばされくるくる回りながら飛んでいきます。
 晩秋から初冬にかけて、外側の翼果がコップのような姿で枝に残っているのが多く見られます。

 
  枝に残るコップ状の翼果    落葉後、枝にたくさんの翼果が残ります。

 ユリノキ属の起源については、化石が北米やグリーンランド中生代白亜紀層(約1億3500万年から7000万年前)から多数出土し、この時代に最も古い型のユリノキ属が出現したものと考えられています。ユリノキは恐竜が生きていた時代には、北半球のどこにでも生えていた木であったようです。

 
  チューリップに似た「原始の花」    葉と花の姿は他に類を見ません。

 日本列島でユリノキ属の葉の化石が最初に発見されたのは、昭和9年、岐阜県の中新世(約2000万年前)の化石からです。同じ年に、当時の宮城県名取郡秋保町(現在仙台市太白区)の上部中新世に属する白沢層から同種のものが発見されて、その後は、岩手、鳥取、岡山からも見つかり、葉の化石のほかに、ユリノキ属の翼果化石が福島県で発見されています。これらのことから、かつて日本列島にもユリノキの仲間が繁栄していた時代があったことがわかります。
 その後、100万年から1万年前の間に北半球を二度三度と襲った氷河期で北半球のユリノキ属の多くが死滅し、かろうじて生き残ったのが、現在北米と中国という離れた地域に自生している「ユリノキ」と「シナユリノキ」の2種でした(前著『ユリノキという木』第一章・村井貞允「化石の中のユリノキ」)。


 ユリノキは「生きている化石」の一つといわれ、今も太古の花を咲かせています。

 氷河期の試練に耐えて生き残ったユリノキ属の2種のうち、北米のユリノキの種子が、まわりまわって日本列島に渡来してから約150年。その種子は多くの人の手によって守られ発芽し、みごとな大木に育っています。そしてその2世、3世が日本各地で花を咲かせています。かつてこの地が太古の森林におおわれていた時代も、季節がくると同じように花を咲かせていたのでしょう。
 人間の細やかな気持ちを花に託したのが “ 花ことば ”。ユリノキに与えられた花ことばは “ rural happines s” 、つまり “ 田園の幸福 ” です。
 高く真っすぐに立つこの木の存在は、私たちにのびやかな自然のたたずまいを思い起こさせ、季節のめぐりと共に生きる喜びを感じさせてくれます。(千)

◇昨年5月の「季節のたより」紹介の草花