mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより66 ヒヨドリジョウゴ

  野鳥が運ぶ紅い実 都会の片隅にも育つ野草

 この野草の紅い実を見たのは、師走の仙台駅の東口。家電量販店の駐車場の片隅でした。わずかに土の残った空地に、野鳥が運んだ種子が育ったのでしょうか。そこで芽を出し、抜き取られずに育って、伸ばしたつるが近くの電柱に高くまきつき、その先にたくさんの紅い実をつけていました。
 小雪ちらつく街のなか、ふり向く人は誰もなく、紅い実はぬれてルビーのように光っていました。調べたら、ヒヨドリジョウゴという不思議な名の植物でした。

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          冬に目立つ  ヒヨドリジョウゴの紅い実

 奇妙な名前の「ヒヨドリジョウゴ」は、漢字で書くと「鵯上戸」。上戸とは、お酒に強い人のことで、酔っぱらうと出る癖のある人を「笑い上戸」「泣き上戸」とよくいいますが、ここでは、鳥の名前をつけて「鵯上戸」。その由来は赤く酔ったような赤い実を、ヒヨドリ(鵯)が好んで食べるからだそうです。多くの図鑑でそう説明されていて、出どころは「和漢三才図会」(1713年、寺島良安編)の記述がもとのようです。

 変わった名前なのですぐ覚えられ、とたんに同じ紅い実が急に目に入ってくるようになりました。住宅地の庭や垣根だったり、道端や野原だったり、丘陵帯の林縁部などの広い範囲に、ごく普通に見られることに気がつきました。
 ヒヨドリが好物だというのですが、そのヒヨドリが特別に群がる様子は見られませんでした。たくさんつけている紅い実は、食べつくされることはなく、冬遅くまで残っていました。

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       冬、遅くまで残る実         雪野原に落ちていることも。

 ヒヨドリは、かつて秋には朝鮮半島などから日本へ渡って越冬し、春に帰っていく「渡り鳥」でした。しかし近年は、日本の環境に適応したのか、1年をとおして国内で姿を見せる「留鳥」となっているようです。
 ヒヨドリは、カラスと似て雑食で、冬の時期は餌を求めて飛び回っています。サザンカやツバキ、ウメの花の蜜を求めてやってきます。ミカン、リンゴなどの果実も食べますが、野山での主な食べ物は、草や木の実です。ヒヨドリは実を丸のみし、消化されない種子をフンと一緒に排出するので、実をつける草木たちの分布を広げるのに役立っています。

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   冬の餌台にやってきたヒヨドリ        森ではイイギリの実を食べています。

 ヒヨドリの集まる木や草を見ていると、ガマズミ、ナナカマド、イイギリ、ピラカンサ、ツルリンドウ、サルトリイバラなど、その種類は広範囲です。共通しているのは、紅い実が多いこと。もちろん、ヒヨドリジョウゴにも集まっていますが、ことさら、ヒヨドリジョウゴの実が大好きというようには見えないのです。

 「ヒヨドリジョウゴ」と名づけたその人は、たまたま、この紅い実にヒヨドリの群がる光景を見たのでしょう。とっさにひらめいたのが、このネーミング。この発想は、そう簡単には出てきません。きっと、おのれなのか、同僚なのか、かなりの上戸(吞兵衛)がいたのでしょうね。
ヒヨドリジョウゴ」の命名以来、その名は独り歩きをし、この紅い実はヒヨドリの特別好きな実という誤解を広げてしまったようです。
 こどもたちに名前を聞かれることがあったなら、「名前はそうだけど、自分の目で確かめて」と話した方がいいでしょう。

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   下の葉はアサガオの葉に似ている。   冬、葉と茎は枯れ、赤い実が目立つ。

 ヒヨドリジョウゴは、ナス科ナス属の多年草のつる植物です。日本のほぼ全域と朝鮮半島、中国大陸に分布しているそうです。
 どんな花を咲かせるのか、見たいと思っていました。夏の東北民教研で、花巻温泉を訪れたときでした。図鑑で見ていた花を見つけたのです。やはり駐車場わきの片隅でした。細い樹木に巻きついて花を咲かせていました。
 下の葉は、アサガオのような切れ込みがあって、上の葉になるにつれて切れ込みは少なくなっています。つるになった茎は、腺毛があってやや粘つき、樹木に寄りかかるように巻きついています。細長い茎はよく分枝し、その茎から花の茎が垂れ下がるように出て、2又から2又へと何段階か枝分かれしています。その先にいくつも下がっていたのが、直径が1cm程度の白い花でした。

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  ヒヨドリジョウゴの花姿    細い枝は分岐して、その先に花をつけます

 白い花は、5枚の花びらが根元で一つになっている合弁花です。ぐっと後ろにそり返っていて、追羽根に見えたり、バトミントンの羽に見えたりします。中心から突き出ているのが雌しべ。そのまわりを束になって、5本の雄しべがとり囲んでいます。
 白い花をさわやかに見せているのは、花の中心を囲んでいる緑色の斑点です。この斑点は、アケボノソウでは蜜を出す蜜腺でした。ヒヨドリジョウゴの花は、蜜を出さないので、白い花を目立たせる役目をしているのでしょうか。

 蜜の出さない花に昆虫たちがやってくるのかと心配になりますが、ハナアブ類は主に花粉食なのです。ナス属の花は、ハナアブ類を受粉のパートナーにしているので、蜜を必要としないのでしょう。
 ハナバチ類が花にやってきて、羽根を震わせると、ナス属の花は、その振動に雄しべが共振して震え、雄しべの葯の先から花粉が吹き出してくるのだそうです。ハナバチは花粉を得ると同時に、花粉まみれになって、そのまま別の花に花粉を運んでいきます。ヒヨドリジョウゴの花も同じしくみで受粉しているのでしょう。
 ハチの羽音に共振し、花粉が噴き出す瞬間を見たいものですが、まだ見ることができないでいます。

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   一株で、つぼみ、開いた花、受粉を終えた花が 同時に見られます。

 花の受粉が終わると、緑の清々しい感じの実が目立ってきます。秋が深まるにつれ、この実は真っ赤に熟してつやつやしてきます。透明感がありミニトマトにも似てとても美味そうですが、この実には、ジャガイモの芽と同じソラニンという毒性物質を含んでいます。食べるのは危険なので、口にしないでください。毒性は、実だけでなく、葉や茎、根も含まれていて、漢方の生薬として用いられています。

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    花の後にできる  緑色の実         熟した実は美味しそう、でも・・・

 ヒヨドリジョウゴは、古い文献にその名はなく、文学に登場するのは昭和期になってからのこと。古人の興味をひく野草ではなかったようです。
 この花や実に特別の思い入れを持った文学者がいました。
 一人は歌人斎藤茂吉です。子規の33回忌に詠んだとされ、歌集「白桃(1942)」にのっている歌があります。

 ここに来て ひよどりじゃうごといふ花を われは愛でつと 人は知らなく

 もう一人は、明治末から昭和にかけて活躍した作家の佐藤春夫です。
 彼は、「慵斎雑話(ようさいざつわ)」という随筆集の、「秋新七種(ななくさ)」と題した文で、「ひとりの人間が一個の好みから、七様の変化と調和とを見せた好みに執した七草の選擇もあってよからうと思ふ」とし、山上憶良による万葉歌「秋の七種」にならい、「からすうり  ひよどり上戸  あかまんま かがり  つりがね  のぎく  みずひき」と自選の「秋の七種」を詠っています。 このなかの「ひよどり上戸」にふれて、次のように書いています。

 その実物を知って名称を知らぬ人や或いは名を知って実をしらぬ人も多からうか。花はごく微小な白花が仄かに群れて晩秋に咲く蔓草である。花が散ると直ぐ後から青い小さな実をつけやがてその実が赤くなって、雪の降る頃に紅い実になる。雪中で南天よりも美しい。        (「慵斎雑話」千歳書房・1943年)

 あまり知られることのなかったヒヨドリジョウゴを、茂吉は花に、春夫は紅い実に、その魅力を独自の感性で見出しているところに興味をひかれます。

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    冬遅くまで残り、小鳥に食べられず、地面に落ちてしまうものもあります。

 ヒヨドリジョウゴは、本来は山野に自生する野生植物です。ところが、出会った場所は、都会や温泉地の駐車場の片隅でした。意外な場所と思われますが、野生植物が都会のど真ん中で生きているということはそれほど珍しいことではないのです。
 かねてから、ツイッターで植物や種子の名前や豆知識などを教えてくれて人気の「やけに植物に詳しい悟空」さん。「中の人」(悟空を演じていた人)は、樹木医さんでした。彼の新刊書のプロローグの一節です。

 124。これ、なんの数字だと思いますか? これは僕が新宿駅南口から1時間ほど歩き回って見つけた、野生植物の数です。街路樹や花壇のお花のような人が植えたものを除き、勝手に生えてきた、いわゆる「雑草」と呼ばれるような植物だけを数えました。(略)コンクリートジャングルという言葉がふさわしい大都会にも、これだけの植物が生えています。もちろん、もっと広い範囲を念入りに探せば、新宿だけでも何百種類もの植物が見つかることでしょう。(瀬尾 一樹 著『やけに植物に詳しい僕の街のスキマ植物図鑑』大和書房 2020・12)

 人間は自然を制覇したかのように、文明を築き、コンクリートのジャングルを形成して暮らしていますが、その住処を巧みに利用して適応しながら野生植物たちは生きているようです。そのように生きられるのは、いのちを生かし次の世代に引き継ごうとする「いのち」の論理に徹しているからでしょう。植物にかぎらず、自然の生きものたちはみな同じです。どうも、「いのち」より「経済」の論理を優先させているのは、人間だけのようです。この地上に最後まで生き残れるのはどちらでしょうね。(千)

◇昨年12月の「季節のたより」紹介の草花