mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

正さん 高野山から熊野本宮大社へ(その1)

  ~ 熊野古道小辺路」70kmをよれよれ歩く~

◆きっかけ

 2019年3月。残っていた「四国お遍路」香川県を6日ほど歩き、最後の88番札所にたどり着いた。

 残るは高野山で納経してもらうのみ。それで一応、四国遍路の上がりとなる。さっそく2020年3月に行こうと、あれやこれや計画を考えた。しかし、思わぬコロナの出現。じっと待つしかなかった。待っている間に、まてまて、遙か遠い高野山に行って納経してもらうだけか? 高野山全体を歩き回るか? いやいやどうかな。

 そんなとき、熊野古道という古の道が何本かあることを知った。少し調べてみた。すると、信仰心の厚い昔の人々が、高野山からさらに熊野大社へと続く最短ルートを開いたということだった。
 最短ではあるが、山や峠が連なる厳しい路であることは想像できた。もっと楽な「中辺路」や「伊勢路」もあるが、高野山に向かうおいらにとって、選択肢はない。小辺路の起点が高野山なのだ。
 ワクチン接種も3回受けたし、歩くのは山の中。老化も進んできた。決行は今しかない。いざ出発!

【1日目】 4月7日(木)    ~高野山 「奥の院」へ~ ( 晴れ、あつい)

 
                   早い安いピーチ最高!

 はじめは、新幹線を乗り継いで行くことを考えていたが、折しも地震の影響で新幹線が動かなくなってしまった。そこで、飛行機を調べると、おいらのためにあつらえたように仙台・関空便があった。連れて行ってあげますよ、と囁かれた。関空周辺は、桜が見事に咲き誇っていた。わくわくするねえ。

◆特急高野・・・じゃなかった!

 

 高野山を歩くために少しでも早く着きたいと思ったので特急を使った。ところが橋本駅(まだ半分ぐらい)を過ぎると、自転車ぐらいにスピードダウン。
 どういうこと? きょろきょろしてみる。うお!窓の下は崖だった。急峻な山の斜面にレールの幅だけの線路がうねうねと続いている。こんなに怖い電車に乗ったのは初めてだ。終点駅名が「極楽橋」なのも頷ける。こわこわ。

真言宗の聖地高野山を歩く

    
     奥の院へ続く約2kmの参詣道入り口

   
         両脇に供養塔が延々と並ぶ     全体が杉の大樹に覆われている

 奥の院は残念ながら撮影禁止。未だに修行を続けていると言われる空海弘法大師御廟は奥の院のさらに奥にあった。その建物は山や木、草と一体化し、まさに自然の一部となっているように感じた。お参りはしたが,下手な願いごとなどしたら罰が当たるような気がした。宝くじが当たりますように・・・あ、うそです。

 
  四国遍路を締めくくる奥の院の納経(目的の1つ達成!)

◆本日のお宿は「金剛三昧院宿坊」

   

                
        精進料理をどうぞ(夕食)

 朝6時30分からの勤行に参加した。知っている般若心経ではなかったので唱えることもできず、目だけきょろきょろさせてお堂を眺めていた。
 ふと気がつくと、お師匠さまの左後ろで勤行していた3人の中の一人(尼さんではない若い女性)が正座したまま畳にうつぶせ状態になっていた。頭が畳にへばりついたまま身動き一つしない。あららら、貧血でも起こしたんじゃないかと心配しながらいたが、両脇の若い僧は何の言葉もかけない。気付いているはずなのに。そうか、彼女はいつもこういう姿になるんだ。読経が静かに流れる中で気がついた。仏様の前で自分の全てをさらし救いを求めているのだ。深い懺悔をしているように見えた。いわゆる、僧としての修行ではなく、苦しんでいる者全てを受け入れようとしているこの寺の慈悲を見たような気がした。

 もう一つ分かったことがある。おいら以外に泊まり客がいた。福島から来た年配のご夫婦で、「こんな風に拝ませてもらえるなんて、なんて有り難いことなんでしょう。」と興奮気味に話してくれた。相づちを打つしかなかった。奥様は、日本100名山を制覇するほどの山好きなのだが、足を悪くしてすたすたと歩けなくなったらしい。それでも、熊野古道や四国遍路をしてみたいとのこと。今回は,観光がてら車で周りながら、様子見に来たと教えてくれた。つい調子に乗って、自分のお遍路経験やこれからの歩きをべらべらしゃべってしまった。本当に歩き通せるかどうか、何も見えていないのに。ただ、自分と同じような目標を持ってる人っているもんだなあとうれしくなった。