mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

教育ささえる星ひとつ "すばる" (2)

  北村秀雄さんのこと

 私の書棚に鈴木道太さんの著書が10冊ぐらい並んでいるが、そのうちの1冊(『戦後子どもの考えはどう変わったか』)は、鈴木道太さんが亡くなられた後で北村さんに届けていただいたものだ。それには、次のような手紙が添えられていた。

 ごぶさたお許しください。何せ、学年末で追われ通しの毎日です。
 去る2月23日、大村・宮崎先生のお伴をし、鈴木道太先生のお宅へ行ってまいりました。その日は、道太先生の蔵書が、引き取られる日だったのです。私たちがおじゃましたときは、もう大部片付いていて、トラックにダンボールが山と積んであり、まだまだ学生さんたち7~8人が汗だくで箱詰めしているときでした。ダンボール100個用意して足りなくなって追加して作業をしているときでした。
 お話によりますと、中川正人先生(泉 館山高)ご夫妻・但木先生・元児童館の遠藤先生・北山の横田屋さんなどのお骨折りで、県児童館(向山)のお一室に納まることになったのだそうです。
 かたづけ終わってお茶をいただいているとき、道代さんから、「この本が余分にあるようですが、よかったらどうぞ。」と申し出られたので、みなさんで1冊ずつ頂きました。
 先生の分もいただいたのでお送りいたします。遅れてしまったこと、おわび申し上げます。
 トラックが出発するとき、「せっかくだから、どういうところに落ち着くか、確認しよう」ということになり、車について行きました。
 向山の県児童館の2階の一部屋、貸し切りでした。スチール書架がぎっしり,室いっぱい天井まで、道太先生のおいでを待っててくれている様子が、ひしひしと伝わってきてうれしかったです。思ったよりすばらしいところに落ちつけて、道太先生も喜んで東北教育図書だろおうなあと思い、感激いっぱいでした。これからしばらくかけて整理に入る模様です。担当は中川先生の奥様かなあなどと思いました。なにせ、この引っ越しも中川先生の奥様(県母子課とか)と遠藤先生の陣頭指揮のようでしたから。まずはご無沙汰のお詫びかたがたご報告申し上げます。
 他に菊地新・鈴木市郎先生へお送りしました。(以下略)

 北村さんにはいつもこのような心遣いをしていただいた。きた出版の仕事になる本も、「できたら目を通してください」とずいぶんいただいた。
 名取にお住いの佐々木正先生のお宅に案内していただいたのも北村さんにだ。

 ある時、「テツヤが、私の仕事をやりたいと言うんです。それで、『本気だったら他所で何年か勉強して来い』と言ったんですが、『私の元で勉強する』と言うので困っています」と言われたことがある。聞いて私は、(父の仕事に向かう姿を見ていて、息子は、こう言ったんだろう、北村さんはうれしかったろうな、そこを押さえて、「他所で勉強して来い」と言った北村さんの気持ちもわかるなあ)と思ったことを思い出す。
 北村さんが入院された時も、所報『教育すばる』は休むことなく発刊されつづけた。私は何回か病室を訪ねたことがある。最初の日の北村さんの言葉は、「テツヤ、迷惑をかけていませんか。ちゃんとやっているでしょうか」だった。それで、次回からは、私が病室に入るなり「テツヤ君、頑張っていますよ」とその仕事ぶりを報告するようにし、その後、よもやまの話をするようにした。

 『教育すばる』の奥付にある「きた出版」の住所が仙台駅東口の近くに変更されたのは2000年12月1日発行の42号からである。これ以前から実務は2代目に移っていたはずで、北村さんもまちがいなく安心したはずだ。
 私自身のことを一言付すと、北村さんは私にとって、教員以外でもっとも長くその生き方を見せていただいた方であり、その北村さんを通して自分を考えることができた貴重な方だった。それらのお礼をきちんと言えないでしまったことを今もたいへん悔いている。~完~( 春 )