mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

子どもを知りたい!

 先輩に誘ってもらったことをきっかけに、初任時代から今までたくさんの学習会やサークルに参加してきた。講師の方から直接話が聞けるし、参加した人たちと繋がることもできる。一人で本を読んで学ぶこともあるが、それよりも学習会やサークルに参加することで得られるものは大きい。なにより元気になる。コロナ禍で学ぶ場は減ってしまったが、先日久しぶりに対面での学習会に参加することができた。

 「何を書いてもいいんだよ」と題された作文の学習会。初任時代、一番最初に参加した学習会も作文の学習会だった。近年ますます学校が忙しくなり、果たして自分は子どもたちの一人ひとりにちゃんと目を向けることができているのか自問自答する日々が続いていた。だからこそ、初心に戻って学ぼうと思い、参加することにした。
 千葉早苗先生と堀籠智加枝先生の実践と子どもたちの作品を中心に進められたのだが、二人の実践の子どもたちへのまなざしがとてもあたたかく、話を聞いていた私も気持ちがあたたかくなった学習会だった。子どもたちが書いた日記や作文に赤ペンを入れ、学級文集を発行し、子どもたちと読み合う。この日々の営みを丁寧に行うことの大切さを改めて教えていただいた。

 日記や作文、詩の中には、その子の人間らしさが見える。教師は、それが何によって生まれているかを知りたいと思って読むこと。そして、なぜそれを伝えたいと思っているか、わかってほしいと思っているかを考えながら読むことが大切だと教わった。子どもたちは、担任が自分をどう受けとめて、どう返してくれるかを期待している。いつも集団づくりをする中で、人の気持ちを理解しようとし、受けとめられるようになってほしいと思っているが、その前に私が子どもたちを丸ごと受けとめて、理解したいと思った。

 「私たちの一日と子どもたちの一日は全く違う。だからこそ、小学校時代の一日一日の生活に目を向けさせ、生活そのものを書かせることに価値がある。」という言葉が心に響いた。と同時にその言葉にはっとさせられた。とにかく毎日が忙しい。定員いっぱいの児童数。そんな状況の中で、子どもたち全員の話を全員が満足できるまで聞き取ることは非常に難しい。担任として丁寧に子どもたちと関わっているのだろうか。・・・。あのときもっと共感してあげられたらよかったな・・・。過去のいろいろなことが頭の中でぐるぐる巡った。
 子どもたちにとって貴重な小学校時代の一日一日を私も大切にしてあげたい。子どもたちと話すだけでなく、書くことでも自分の思いを表現させてあげられたら、もっと子どもたちを知れるのではないだろうか。これからじっせんしてみようかな。学習会が進むにつれて、少しずつわくわくしてきた。

 子どもと教師、子どもと子どもがつながる学級にしていくためにも、作文を書かせ、それを子どもたちと読み合い、意見や感想を交流する場を作ろうと思う。学級の子どもたちは、どんなことを書いてくれるのか今からとても楽しみだ。
 子ども一人ひとりに目を向け、深く理解し、温かく寄り添うことのできる教師になりたい。そのために先輩や仲間たちとこれからも学び続けていきたいと思う。
                                                                                                         (村元 鈴)
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 子どものことを知りたい、その思いは教師ならだれもが思う気持ちではないでしょうか。そして、この子にこんな力をつけてあげたい、こんなふうに育ってほしいとも。ところが、なかなかうまくは行かないのも現実。どうしてわかってくれないのだろう、なんで反抗するのだろう。私の何が悪いのだろう。だからもっと子どもを知りたい、分かりたい、子どもの思いに応えられる教師になりたいと。そして、だから学び続けるのでしょう。

 すでに作文教育の学習会の様子は感想を中心にDiaryで報告していますが、先日、所長の達郎さんが「この感想、とてもいいよね」と、生活指導サークルの会報に掲載された村元先生の感想を見せてくれました。教師として子どもたちの前に立つ今の自分を問いながら、学習会を通じて湧いてきたさまざまな思いをまっすぐ書いてくれています。とてもすてきな感想なので、Diaryでも紹介させていただくことにしました。
 読みながら、コロナ禍での不自由さは続きますが、先生たちの力になる学習会や企画をこれからもつくっていきたいと思いました。(キヨ)