雪解けに咲く湿原の花 水の流れで種子を散布
早春、雪解けとともに湿原に真っ先に咲き出すのが、ミズバショウです。
ミズバショウは、山間部の湿地や沼地などの、水がきれいな場所を好んで自生しています。花が見られるのは、低地では3月から4月、雪解けのおそい高地では5月頃から7月上旬です。低地から高山へと遅い春をたずねて山を歩くと、湿原にその白く美しい姿に出会うことができます。
雪解け水の流れるなかに、ミズバショウは白い姿を見せます。
ミズバショウといえば、夏の「尾瀬の花」の代表のように思われているのは、「夏の思い出」(江間章子作詞・中田喜直作曲)の歌によるものでしょう。
夏がくれば 思い出す / はるかな尾瀬 遠い空
・・・・・・水芭蕉の花が 咲いている / 夢見て咲いている水のほとり・・・
作詞された江間章子さんが、戦時中に食糧を求めて木炭トラックにゆられ、群馬県の片品村を訪れたときだったそうです。そこで見たのは地面が見えないほど咲き誇るミズバショウの花でした。片品村は尾瀬湿原への入り口。「いつか見た尾瀬を舞台に」とこの歌詞は生まれたといいます。
尾瀬は高地で雪解けが遅く、ミズバショウは、5月中旬~6月頃に咲き出します。その頃は平地ではもう初夏の陽気の季節。本来「早春の花」であるミズバショウは、歌をとおして「夏の花」としてイメージが広まっていきました。
どういうわけか、この歌より古い俳句の季語も「ミズバショウ」は「夏」です。「雪解け」「残雪」の季語は「仲春」で、同じ湿原に咲く「ザゼンソウ」は「晩春」。季語の成り立ちが自然界の事実にしたがって決められているのだとしたら、「ミズバショウ」の季語が「夏」なのが、よくわかりません。
高山では、ブナ原生林の下に咲き出します。黄色い花はリュウキンカ。
ミズバショウはサトイモ科ミズバショウ属の多年草です。サトイモ科の仲間の多くは熱帯に分布していますが、暑さを嫌って寒い地方を選んだのがミズバショウでした。気温の低い本州中部から北海道にかけて見られますが、気温の高くなる西日本や本州南部には生えていません。
西日本の一部で、兵庫県付近にミズバショウが自生していて、南限地(養父市加保坂)になっている地域があります。その自生地の地下の花粉を分析したところ、約1万年前からその地に自生していたことが判明、晩氷河期に日本列島の南の方にも分布していたミズバショウの子孫が、気温の低い地域に閉じ込められるようなかたちで、今日まで生き残ったものと考えられます。
雪解けの湿原に いっせいに芽吹き始めます。
雪解けの地に最初に出てくるのは、筒のように巻かれた緑の葉です。やがて白い部分が現れます。この白い部分が、ミズバショウの花のように思われがちですが、これは花ではなくて葉が変形したものです。仏像の背景によく見られる炎のような飾りをしているので、仏炎苞(ぶつえんほう)と呼ばれています。かなり広い葉ですが、光合成はできません。花を守ったり虫たちをよびよせたりする役目をしているようです。
芽吹きのすがた 緑の葉から出る白い苞 苞が開くと、棒状のものが
ミズバショウの本当の花はどこにあるのでしょうか。仏炎苞につつまれた中心に棒のような軸があります。よく見ると小さな粒々がたくさんついています。これが花です。小さな花が、棒のような軸に、数十から数百個集まって穂状になっています。このような花を肉穂花序(にくすいかじょ)と呼んでいます。
小さな花のすべては両性花です。仏炎苞が開いた時点で、多くの小花はめしべが先に出ていて、受粉が出来るようになっています。数日おくれて、花の中心の表面を押し上げるように、おしべが出てきて花粉を吹き出します。
最初にめしべが現れ後からおしべが出てくる開花のしくみを、雌性先熟と呼んでいます。これは自家受粉を避けるためです。でも、早春には必ず虫たちが飛んで来るとはかぎりません。それでミズバショウは最初にめしべを受粉可能にしておき、後からおしべが花粉を出すとき、自家受粉できるようにもしているのです。
最初はめしべが出る。 おしべが出て花粉を出す。 蜜はなく匂いで誘う。
花は受粉した後、棒のような花序は種子のついた果穂になります。種子が完熟すると、果穂はぼろぼろと崩れて水面に落下、水の流れにのって運ばれます。
大地に根を張る植物は、動くことはできませんが、種子の形で移動します。ミズバショウは湿地を生育場所にし、水を利用し水散布で仲間を増やしているのです。
種子は暑さや乾燥に弱く水分を失うと死んでしまいますが、湿らせた状態で温度条件が良ければよく発芽します。流れ着いた良い場所に定着すると、3年ほどで開花するまで成長できるということです。
ミズバショウの最適の環境は、夏に日かげになる林の中の溜まり水の中です。
花が終えたあとのミズバショウの群生地を訪れたときは驚きました。葉があまりにも大きくなっているのです。早春のころの可憐な花のイメージはまったくありません。葉の幅は15~30cmほど、長さは40cmから長いもので1mもあります。ミズバショウ(水芭蕉)の名前は、葉がバショウ(芭蕉)の葉に似ていることに由来するということですが、この姿を見ると、まさに水辺に生えるバショウ、ミズバショウと名づけられたのも納得です。
夏にミズバショウはこの葉で光合成し栄養分を塊茎に蓄えます。種子だけでなく地下茎を伸ばして、栄養繁殖でも株を増やしていきます。
年数を重ねて大きくなったミズバショウの近くでは、こどものミズバショウがいくつか顔を出しているのが見られるでしょう。
ミズバショウの大きな葉 地下茎で株を増やしていきます。
ミズバショウは葉や根などに毒性があり有毒植物です。ところが、ヒグマは春に冬眠から覚めると、水辺にきて、ミズバショウ、ザゼンソウなどから食べ始めるそうです。(『よいクマわるいクマ』萱野 茂 / 前田 菜穂子著・北海道新聞社)
ネットの「船形山からブナの便り」ブログ版には、ミズバショウを食べに来る現場にセンサーカメラを設置してとらえたクマの映像が、「水芭蕉喰うクマ(嘉太神)」のタイトルで公開されています。前半の映像には、ツキノワグマがミズバショウを夢中で食べている姿が映っています。後半は熊がカメラを見つけたのか、突然映像が乱れ、一瞬、噛みつくクマの口のなかの犬歯が見えたのには驚きました。
湿原をおおうミズバショウの群生(栗駒山 昭和湖付近 標高1290m)
クマが有毒のミズバショウを食べる理由について、こんな話をよく聞きます。
クマは冬眠直前に松脂を食べ肛門をふさぎ、冬眠中はずっと排泄しないので、春に目覚めると、下剤効果のあるミズバショウを食べて、体内の毒素や老廃物を排出するというのです。多くは伝え聞きのようにして語られています。確かな根拠となる研究者の論文等を探したのですが、見つかりませんでした。
泉ヶ岳をフィールドにツキノワグマを観察してきた大友純平さんによると、「冬眠から目覚めたばかり4月下旬から5月中旬の頃は、食べるものは主に植物の若芽やフキノトウなどの山菜、前年に落ちた木の実、カエルなど」だそうです。そして、「5月下旬以降になると、泉ケ岳ではミズバショウは重要な食べ物になるようです。7月中旬頃までの間に、何度も実や葉を食べに群生地を訪れています。」と報告しています。(「~「熊」について~ 2007・9・21」)
有毒のミズバショウは、クマにとっては、冬眠明けの下剤効果というよりは、生存のための重要な食べ物になっているようなのです。
野生動物が有毒植物を食べて病気をなおすという話は、世界各地で語られていますが、それを実際に観察したのは、京都大霊長類研究所のマイケル・ハフマン准教授でした。
約30年前のアフリカ・マハレ。チンパンジーの群れの採食時に、1頭の雌のチンパンジーを観察。食欲がなく眠るばかりで、明らかに病気の症状を見せていたそのチンパンジーが、普段食べないヴェルノニアという有毒植物を食べ始め、翌日には走り回れるまでに体調が回復したのです。「チンパンジーも薬草を食べる」、マイケル・ハフマン准教授はそう直感し、1989年にこの事例をチンパンジーの「自己治療行動」として世界で初めて報告しました。
この発表以来、野生動物の「自己治療」をめぐる科学者の本格的な研究が始まり、植物のみならず、ゾウが岩をかじり、ゴリラが土を食べ、アザラシが「ひなたぼっこ」をするなど、ありとあらゆる動物がいろいろな方法で自らの力で病気と闘い、克服していることがわかってきました。(『動物たちの自然健康法―野生の知恵に学ぶ』シンディ・エンジェル著・羽田節子訳・紀伊国屋書店 )
水の流れに立つミズバショウ。ブナの若葉の色が水面を染めています。
野生動物は何百万年にもわたり、自然の恵みをじつにうまく使い分け、自然治癒力を高めながら生きぬいてきたのです。ミズバショウとクマとの関係についても、これと似たようなことがあるのかもしれません。
われわれヒトもまた、かつては野生の自然治癒力を備えていた生きものだったのに、自然界から遠ざかり、文明社会に適応することで衰えてしまいました。
「人は自然から遠ざかるほど病気に近づく」とは、古代ギリシャの医師ヒポクラテスの言葉。人間がこれからも生存し続けることを望むなら、自然から離れず、自然の一部であることの感覚を取り戻すこと。野生の生きものとしての自然治癒力、免疫力などの根源的な生命力を高めることにつきるのでしょう。(千)
◆昨年4月「季節のたより」紹介の草花