mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

「復興」オリンピックと言うけれど ~ 福島の今 ~

 あの3月11日から10年が過ぎた。未だに災害は様々な形で続いている。福島の双葉町には、まだ誰も住めないし帰還者は0人。私の住んでいる川俣町には、帰還困難地域・山木屋があった。私の家の裏山の陰には飯館村があり、川俣町から浪江町に続く国道114号線は、3年前に自動車で通れるようになったが、未だ2輪車・歩行での通行は認められていない。停車も「短時間で」という標識が立っている。集落や家屋に通じる道は鉄柵で塞がれ入れない。山木屋地区を過ぎると、そこがあの「ダッシュ村」があった帰還困難地域・浪江町津島地区だ。今も車で走っていると車内の線量計の数字がどんどん上がってくる。

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    帰還困難区域を知らせる標識      どんどん上がる線量計(2.26μ㏜)

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      鉄柵で塞がれ敷地・家屋への立ち入りは禁止

 その津島の中心地、小学校や中学校、高校があった地域が今、ようやく「帰還重点地域」として、除染作業が急ピッチで進められている。周囲の家はあの日から放置され荒廃している。そして浪江町中心に近づくと、今度は建物の土台だけになった更地が現れる。まるで、沿岸部の津波1年後のようだ。

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  ようやく除染作業がはじまる。      袋詰めにされ集められた除染土壌

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    立ち入りできない家屋         家屋が取り払われ土台だけに

  オリンピックとコロナで、この状況をどれだけの人が心に留め、嘆き、悲しんでいるのだろうか。震災から10年が過ぎて、ようやく「復興」が始まる地域がある。故郷に帰れない多くの人々。人間が近づけない「原子力」という魔物。大震災と原発事故から、私たちは何を学んできたのだろうか。(達)