mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより141 ノボロギク

  寒中にも花を咲かせ  適応能力の幅の広さで繁殖

 ノボロギクとは気の毒な名前の花ですが、ネンガラグサとの別名があるように、この花ほど一年中見られる花も他にはありません。
 1月、2月に畑や田んぼの畦道で花を咲かせている姿は健気です。大きく花は開きませんが、花のない季節に明るい黄色に出会えるのは嬉しいものです。


              寒中のノボロギクの花

 ノボロギクはキク科キオン属に属するヨーロッパ原産の一年草で、明治の初め頃に日本にやってきた帰化植物です。
 「ノ」は野の意味。「ボロ」は使い古してほつれた布をさします。ノボロギクの名は、花がみすぼらしく、種子の綿毛もボロクズのように見えることに由来するといわれていますが、国内の山地に咲くサワギクの別名がボロギクだったので、山地のボロギク(サワギク)に対して、「野」に咲くボロギクという意味で「ノボロギク」とする説もあるようです。
 いずれにしても、「ボロ」の名をもらった野の花ですが、その花や種子の綿毛はどんな姿をしているのでしょうか。

 ノボロギクの花(頭花)のつぼみは、小さなイチジクの実のようにふくらみ、しだいに細長く伸びて開花していきます。
 頭花は筒状花(管状花ともいう)小花が集まったものです。その小花を包んでいる総苞片の根元には、黒い三角形の不思議な模様が見られます。


   ふくらんでできたつぼみ    細長く伸びてきます。    総苞片に包まれた小花が見えます。

 頭花の小花が咲き始めると、先が2つに裂けた雌しべが見えてきます。小花全体が満開になると、黄色いリボンがたくさん集まった花束のようです。

 
     開き始めた小花          小花全体が満開の頭花

 ノボロギクの小花は両性花です。主に自家受粉で種子をつくりますが、雄しべが雌しべよりも先に成熟し、早朝、花にやって来るミツバチやホソヒラタアブに花粉が運ばれ、他家受粉も行われているようです。
 自家受粉で大量の種子を生産、同時に他家受粉でどんな環境にも対応できる種子をつくることで、ノボロギクは各地に分布を広げていると思われます。

 受粉した花には白い綿毛のついた種子ができます。タンポポの綿毛よりも少し小ぶりの綿毛です。白い綿毛の中に黄色いシベが残り、朝露にぬれても、やさしい球形を保っています。

 
   ノボロギクの綿毛の種子       黄色いシベがアクセントの白い球形

 綿毛が風で飛び散ると、形がくずれてつぎはぎ感が出てきますが、他のキク科のタンポポノゲシなどの綿毛も同じで、ボロといわれるほどひどくはありません。
 花がみすぼらしく、綿毛がボロくずのようだから「ノボロギク」というのも、「そうかなあ・・」と思います。

 ノボロギクは次々とつぼみをつけ、花を咲かせ、実を結ぶので、つぼみと花と綿毛の種子が一株に一緒についています。さらに綿毛が飛んだあとは、花床と総苞片がドライフラワーのように残るので、これらのものが、もうこれ以上ないというくらい枝先に群れていて、その雑然とした姿が野生のエネルギーを感じさせます。


   雑然と並んだつぼみ、花、綿毛の群れ。 花床と総苞片のドライフラワー(円内)

 同じボロギクの名がつく野の花には、北アメリカ原産のダンドボロギクとアフリカ原産のベニバナボロギクがあります。
 ダンドボロギクは1933年(昭8年)、愛知県の段戸山で最初に発見されてその名となったもので、県内でも普通に分布しているようですが、まだ見ていません。
 図鑑によると、草丈50㎝から1.5mほどでノボロギクより大きく、頭花が上向きにつきます。ノボロギクの葉は肉厚で切れ込みがありますが、ダンドボロギクの葉はうすく、細長い葉の縁に不ぞろいのぎざぎざが浅くあるのでノボロギクと区別できるようです。


    ダンドボロギク     ダンドボロギクの花      葉の違い 

 ベニバナボロギクは1950年(昭20年)に福岡県で採取され、以後関東から全国に広がり、県内の山地でも広く見られます。草丈が50㎝から1m近くになり、夏から初冬にかけて、分岐した枝さきに濃いオレンジ色の花を咲かせます。
 夏に遠刈田温泉の崖地で見た綿毛は、頭に金色の王冠をのせていました(写真右下)。綿毛が開くとき、筒状花の殻が押し上げられ上部に集まったものですが、このような形で残るのは珍しいようです。
 ベニバナボロギクシュンギクに似た香りがあって、中国南部や東南アジアの国では野菜のようにして食べているそうです。なお、ノボロギクやダンドボロギクは毒性があるといわれ食草にはなりません。


   ベニバナボロギク    オレンジ色の筒状花     金色の王冠をかぶる綿毛

 帰化植物として日本にやってきたボロギクの仲間は、すっかり日本の風土に馴染んで野山を彩っていますが、生育環境には好みがあるようです。
 ダンドボロギクやベニバナボロギクは、住宅地や田の畦道などにも生息しますが、伐採地や山林火災の跡地で、土が露わになった環境に他の植物より早く生えて群れをつくります。そして植生が元に回復すると姿が見えなくなります。荒れ地を回復するパイオニア植物としての役目もしているようです。
 ノボロギクは草丈が短いので山林には生息しませんが、田畑、公園、路傍、荒地などのいたるところの平地で、一年中花をつけています。
 「オールマイティ的な適応能力の幅の広さで、ほとんど世界中の雑草となっている」(「野の花1」・山と渓谷社)といわれるほどその適応能力が優れています。

 
    日本の風土に根をおろしたノボロギク      スキマに生えるノボロギク

 日本語のボロ(襤褸)ということばは、古くて汚れたものという印象を普通持たれています。ところが、現代アートやファッション界では「BORO」の名が世界共通語となっていて、BOROの持つ美しさが世界中の芸術家から注目を集めています(2023.4.28放送NHK「世界が注目 手仕事の美」)。
 この「BORO」に最初に関心を抱いたのは、青森県の民具研究家の田中忠三郎さんでした。青森の人々が何十年も、何百年もかけて使い続けてきた衣類をBOROと呼び、野良着から肌着、そして寝具まで、すり切れ、ツギハギされたBOROは、表舞台に出ることはありませんでした。田中さんは、その消え行くBOROに美しさを発見、2万点以上に及ぶ作品を調査収集してきました。

 私が出会った時は、BOROという思いがしませんでしたね。ああ、こんなに布きれを大事にして、粗末にしないで、いのちあるものとして大事にツギハギしたんだなと。感激しましたね。涙が出ましたよ。こんなにモノを大事にする人たちがね、この雪国、青森にいたんだと。
            (NHK美の壺」file159 「青森のBORO(ぼろ)」)

 ボロはBOROとなり、貧しさと戦ってきた祖先たちの生き抜く工夫と知恵の結晶を意味する新しいことばとなったようです。

「ノボロギク」を「ノBOROギク」、「NOBOROGIKU」と表記してみると、花や綿毛に手抜きのない緻密な自然の造形があり、多様な環境に適応して生き抜く能力を備えているこの花に、似合うような気がしてきました。


   「NOBOROGIKU」と口ずさむと、音が耳に優しく響き、花も違って見えてくるような・・・。

 ノボロギクは、約4万年前までユーラシア大陸に暮らしていたネアンデルタール人の身近なものの一つなのではないかと話題になったことがあります。
 1957年から1961年にかけて、イラクのシャニダール洞窟で、フランスの考古学者のラルフ・ソレッキたちによる発掘調査が行われ、ネアンデルタール人の男性化石骨が発掘されました。その化石骨の周りの土には、28種もの植物の花粉が含まれていて、その中には多量のノボロギクの花粉もありました。
 これらの花は死者を悼む贈り物ではないかということで、これまでのネアンデルタール人に対する人々の考え方を大きく変えるものとなりました。

 その後イラク国内の政情不安や戦争のため、50年以上にわたり調査が不可能でしたが、今回、英国の考古学者と生物学者のチームによって再調査が行われ、その調査結果の論文が発表されています。
 論文によると、堆積物中のさまざまな種類の花の花粉は同時期に咲く花のものではないことが判明、これらの花粉は誰かが花を手向けたのではなく、洞窟に生息していた動物やハナバチが収集したもので、それを巣の中に蓄える活動によって生じた可能性が高いと結論づけられています(2023.8.28学術誌『Journal of Archaeological Science』に掲載)。

 ネアンデルタール人が死者を悼んで花を捧げていたというロマンは消えましたが、それでもシャニダール洞窟では家族が生活を営み、死者を埋葬していたことは確かです。ネアンデルタール人の死者を悼む文化については今後の研究が明らかにしてくれることでしょう。


  はるか人類誕生以前に地上に現れたノボロギクは、 今もその命をつないでいます。

 シャニダール洞窟の発掘が私たちに教えてくれるもう一つのことがあります。それは、当時洞窟で暮らしていたネアンデルタール人がその後に種として絶滅の道を歩んだのに、一緒に咲いていたノボロギクは今もいのちをつないで花を咲かせているということです。
 自然界のいのちある生きものたちは、種の存続と子孫の繁栄のために生きています。ただ一種、例外なのは人間で、子孫と自分と他者の生の尊厳を守ること以上に何か大事なものがあるのか、戦争をやめることができずにいます。
 ヒト属で現存する唯一の種、私たちホモ・サピエンスは、ノボロギクと共にこの先、この地上で生き延びることができるのでしょうか。(千)

◇昨年2月の「季節のたより」紹介の草花