mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

「災害は忘れた頃にやってくる」

 3月3日の「天声人語」は、10年前の3.11大津波の時、三陸町の吉浜地区で1933年(昭和8)の三陸津波の記念石が津波にえぐられた斜面から発見されたこと。そして当時の住民が職住分離に努めたことで、3.11では「奇跡の集落」と呼ばれたことを紹介していた。そして結びでは寺田寅彦の随想『津波と人間』を引用し、津波被災地の高台移転について「5年たち、10年たち、15年20年とたつ間には、やはりいつともなく低い処を求めて人間は移って行く」、さらに災害記念碑もついには「山陰の竹藪の中」に埋もれてしまうと予言した、と紹介していた。3月1日のNHK番組「100分de名著」 で寺田寅彦の『天災と日本人』を取り上げ、番組を観てテクストを読んだ直後だったこともあり、天声人語子が訴えたいことがストンと胸に落ちた。

 1日の番組で寺田の『天災と日本人』を紹介した若松英輔の言葉を引きながら、もう少し今日の問題として考えてみたい。
 治水技術によって大水を手なずけ、治山を奨めれば土砂崩れは防ぐことができると思っているが、昨今、頻発する集中豪雨では、河川の氾濫や土砂災害による被害が後を絶たない現実があります。このようなことを予見するかのように、寺田は「文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた」と書き、「風圧水力に抗するような造営物をつくり、自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻をを破った猛獣の大群のように、自然が暴れ出して高楼を倒潰せしめ堤防を崩壊させて人命を危うくし財産を亡ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であるといっても不当ではないはずである」と記しています。
 また次の文も紹介しています。「現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプが縦横に交叉し、いろいろな交通網が隙間もなく張り渡されているありさまは、高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一箇所に故障が起これば、その影響はたちまち全体に波及するであろう」
 いずれも書かれたのが90年ほど前ですから、まさに見事な慧眼だと思います。
 そして私が最も興味深く読んだ箇所は、テクストの冒頭で寺田を紹介した部分です。
 物理学者として東京帝国大学の教授のほかに、理化学研究所、航空研究所、地震研究所にそれぞれ研究所をもち、その一方で夏目漱石門下の逸材・吉村冬彦としての生活を紹介しながら、次のように記していました。
 「優れた科学者であったために、科学の限界がはっきり見えていたのだと思う。科学の目は『事実』を認識するのは得意だが、『現実』を認識するのは不得手である。寺田はそのことに気づいていた。それが可能だったのは、彼が『科学者の眼』と『文学者の眼』を併せ持っていたからではないか。このような複眼の人は、災害はいつも、二つとない『いのち』の危機であることを決して見過ごすことがないのです。現実は、つねに人間と自然のあわいにある。そのことを想い出し、『自然と向き合う』のではなく、『自然とつながる』感覚を取り戻していく。その道程を照らしてくれるのが、寺田寅彦の言葉であり、彼の著作を読む意義ではないか」と。 
 長い番組紹介になってしまったが、コロナ問題も気候変動問題も、そして原子力発電の問題も、自然を経済的成長と利便性のために消費し続けてきた結果であり、災禍を起こさせたもとの起こりが「人間による細工」によるものと再確認する時間になりました。

  まもなく3.11から10年を迎えます。風化や忘却の問題がときおり指摘されます。なぜ人は災害を忘れてしまうのかについて、テクストの中で、可能性として語られる災害はつねに他人事だから。そして「いつか」「そのうち」来るとわかっていても、自分が遭遇することは、ほとんど想像できないからと指摘していました。そして生活の時計とは別の、ゆっくりと針の動く災害の時計を刻んで10年前を昨日のようにとらえる必要があると述べています。
 ちなみにタイトルの「災害は忘れた頃にやってくる」は、寺田寅彦の弟子であり、雪の結晶の研究で知られる中谷宇吉郎が、寺田が語っていた言葉だと紹介していました。
                                 <仁>