今年の成人式は、コロナウイルスで中止や延期、あるいはオンラインや感染防止の対策を講じての実施など様々だったようだ。晴着やはかま、スーツに身を包んだ若者たちの姿を見ながら、自分たちの頃に比べると、ずいぶん派手になって一大イベントだなと思ったりする。どうしてそうなってきたのだろう。日本が平和で豊かになる一方で、少子化が進むなか息子・娘が成人になることへの(親としての)喜びと、それにかけられる経済的余裕がそれなりにあるからだろうか。
しばらく前に「大人になるってどういうこと」を書いたが、成人≒大人になることに関わって何か書かれたものはないだろうか?と改めて本棚を眺めてみた。見つけたのは谷川俊太郎さんの「成人の日に」。
2000年から導入されたハッピーマンデー制度に伴って今年の「成人の日」は終わっていますが、それ以前は確か1月15日だったはず。それでいけば今日がまさに「成人の日」ということで、谷川さんの詩を紹介します。
成人の日に
人間とは常に人間になりつつある存在だ
かつて教えられたその言葉が
しこりのように胸の奥に残っている
成人とは人に成ること もしそうなら
私たちはみな日々成人の日を生きている
完全な人間はどこにもいない
人間とは何かを知りつくしている者もいない
だからみな問いかけるのだ
人間とはいったい何かを
そしてみな答えているのだ その問いに
毎日のささやかな行動で
人は人を傷つける 人は人を慰める
人は人を怖れ 人は人を求める
子どもとおとなの区別がどこにあるのか
子どもは生まれ出たそのときから小さなおとな
おとなは一生大きな子ども
どんな美しい記念の晴着も
どんな華やかなお祝いの花束も
それだけではきみをおとなにはしてくれない
他人のうちに自分と同じ美しさをみとめ
自分のうちに他人と同じ醜さをみとめ
でき上ったどんな権威にもしばられず
流れ動く多数の意見に惑わされず
とらわれぬ子どもの魂で
いまあるものを組み直しつくりかえる
それこそがおとなの始まり
永遠に終わらないおとなへの出発点
人間が人間になりつづけるための
苦しみと喜びの方法論だ
(『魂のいちばんおいしいところ』より)
詩は、人間になるとはどういうことかを成人を迎える若者たちだけでなく、私たちみんなに問いかけています。(キヨ)