mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

詩ってなんだろう? ~ 学習会で語られたこと2 ~

 詩人が語る「詩」のこと  

 詩人は「詩」についてどんなことを語っているでしょうか。「こくご講座」では、3人の詩人を取り上げました。

 ◆谷川 俊太郎「詩ってなんだろう」

 「詩って何ですか?」という質問を受けます。子どもからも、大人からも、いつも私は困ってしまいます。詩とは何かという問いには、詩そのもので答えるしかないと思うからです。けれども詩の世界は深く豊かで限りなく多様です。詩は一篇の作品に感動する心のうちに生まれるものですが、その一篇の作品は孤立して存在しているわけではありません。日本語にも他の言語と同じく、読まれ、書かれてきた長い詩歌の伝統があります。その全体を知ることで、私たちはもっとよく、詩というとらえがたいものに近づくことができるでしょう。

 この本は、現行のいくつかの小学校国語教科書を読んで感じた私の危機感から出発しています。教科書には私の作を含めて多くの詩が収録されているのですが、その扱い方がばらばらで、日本の詩歌の時間的、空間的な広がりを子でもたちにどう教えていけばいいかという方法論が見当たらないのです。現場の先生方もまた、そういう大きな視点をもてない悩みをかかえているようでした。

(『詩って何だろう』 ちくま文庫 2007年)

 

 ◆柴田 翔「詩の基本的要素」 

 詩は、大ざっぱに言って三つの要素で成り立っています。イメージ、音の響き、考え(思想)です。

 詩のことばから生まれるその三つの要素が、互いに助け合い、支え合い、響き合い、溶け合って、詩の力を生み出しています。その意味で詩の三要素は決して切り離すことのできないものですが、しかしまた大抵の詩にあっては、その三つの要素がみな同じ力を持っていることは稀で、多くはそのうちのどれか一つが中心的、主導的な役割を果たしています。

 詩を読んで深く理解していこうとするとき、三要素のどれが主導的で、他の要素がそれにどういう形で呼応しているかを見てみるのも、一つの大事な手がかりです。(『詩への道しるべ』 ちくまプリマー新書2006年)

 こくご講座では、柴田翔さんの内容を考えるために、安西冬衛さんの「春」という詩が取り上げられました。

  春   安西冬衛  

 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った。

 ○ てふてふ・ちょうちょ・蝶々
 ○ 韃靼(だったん)海峡・間宮海峡タタール海峡

 「てふてふ」や「韃靼海峡」を、「ちょうちょ」や「間宮海峡」などに代えて声に出してみよう。そうしてみると作品「春」のもつ、(三要素の)音の響きが際立っていないだろうか。漢字かひらがなかもイメージに作用しているように感じます。

◆茨木 のり子「詩は教えられるか」

 学校教育の場で詩は教えられるか?と問われたら、教えられるかもしれないし、教えられないかもしれないと言うしかない。・・・

 万人にぴったりはまるような「詩の教え方」などあるはずがない。「詩の教え方」は百家争鳴であるべきで、それぞれがそれぞれの方法論を探ってゆくしかないだろう。(『言の葉さやげ』 花神社 1975年)

 少なくとも指導書にある扱いだけでは、うまくいかないことが暗に語られているように思います。ではどうしたらいいのか。あなたが心うごかされる詩と、たくさん出会うことなのかもしれません。

【子どもたちにどんな詩を?】
 講座では、詩が先にあるのではなく、自分の学級の子どもたちと、どんな気持ちや感覚を共有したいのかで選ぶことが大事ではないかと語られました。その教師がいいと思ったものでしか伝わらないのかもしれません。生きることそのものの励ましや何年経っても口ずさめる詩が、子どもたちの心に残ったらどんなにいいことでしょう。(正)