mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより46 アオキ

 ヨーロッパでは憧れの赤い実、花と実が一緒の春

 いま、目の前にある赤い実が、とても珍しい植物のものだとしたら、たくさんの人がその実を見るために集まってくるでしょう。
 ちょっと外に出かければどこにでも見られるアオキの赤い実ですが、ヨーロッパでは一世紀半も幻の樹木の実だったのです。

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   アオキの赤い実は、長い間ヨーロッパの人々の憧れの実でした。

 アオキがはじめてヨーロッパに紹介されたのは、1690年に来日したドイツ人のケンペルが赤い実に感動し、帰国後に書いた著書の中ででした。その後、1783年、イギリスからやってきたジョン・グレファーは、やはり赤い実と緑の葉のアオキに魅せられ、本国へ持ち帰りました。美しい緑の葉はたちまち評判となりましたが、結実することはありませんでした。アオキは雌雄異株で、持ち帰った株は雌株だけだったのです。深紅の実は幻の実となり、イギリスで見事な赤い実が見られるようになったのはそれから80年余り後、1860年に王立園芸協会所属のプラント・ハンター、ロバート・フォーチュンにより雄株がもたらされてからでした。
 ロバート・フォーチュンは、幕末にやって来て、当時の日本社会を詳細に記録した「幕末日本探訪記」を残して有名ですが、そのいきさつをこう記しています。

 私の訪日の目的の一つは、イギリスの在来品種のアオキ雌木のために雄木の品種を手にいれることであった。(略)この植物は英国の厳冬にも寒害はなく、またロンドンのスモッグの中でも、他の植物よりもよく生育する。だから、公園や街の広場やロンドン市民の家の庭にも、どこにでも見られる非常に普遍的な植物の一つである。しかし英国では、私が日本で見たように、この木に深紅色の果実がいっぱい実っているのを見た者は、一人もいない。(ロバート・フォーチュン・三宅馨訳「幕末日本探訪記―江戸と北京―」講談社学術文庫

 彼は来日すると、すぐにアオキの雄木を探し出し本国に送ります。1864年にアオキはやっと深紅の実をつけ、一般にも公開されました。ヨーロッパで初めてアオキが結実を見ることができたのは、アオキが紹介されてから約170年余りの時を経ていました。長く厳しいヨーロッパの冬にも、アオキは美しい緑色を保ち赤い実をつけて、土地の人々に親しまれています。

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   雌株に実を結んだ赤い実。熟すとつややかな深紅の色になります。

 アオキは、ガリア科またはアオキ科アオキ属の常緑低木です。名前のとおり、葉だけでなく枝まで一年中緑色なので、“ 青木葉(アオキバ)” と呼ばれていました。その “ 青木葉 ” の “ 葉 ” がしだいに抜けて “ アオキ ” となったものです。
 アオキの “ アオ ” は、万葉集に出てくる「あをによし」の「あを」のように、緑色に見える物を「青」と呼ぶ習慣が万葉以前よりあったと思われます。
 アオキの学名は、「Aucuba japonica Thunb」ですが、属名の Aucuba(アウクバ)はアオキバのことで、japonica は日本の古来種であることを示しています。Thunbは、アオキを初めて学会に報告した出島のオランダ商館医ツンベルクの名前です。

 現在は庭木として見られるアオキですが、従来日本の山野のどこにでも生えていた樹木で、いまも山野の樹林下に自生している姿が普通に見られます。
 アオキは日かげでもよく育ち、普段は樹林下にあってあまり目立ちませんが、晩秋から冬の季節に、広葉樹が葉を落とすと、がぜん目立ってきます。からりと明るくなった雑木林を歩くと目に入るのは、常緑の葉ですが、その多くはアオキとヤツデです。アオキとヤツデでは葉の形や大きさから区別ができます。

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 冬の雑木林で、緑の葉が鮮やかなのは、アオキ(手前)とヤツデ(左上)です。

 2月のこの時期、アオキは緑の葉を広げたまま何も変化がないように見えますが、もうすぐ、新芽が筆先のように伸びて若葉が柔らかに広がっていくようすが見られます。雄株には雄花のつぼみが膨らんでいるのが見えます。緑の実が数個、枝についているのが雌株です。雌株の枝の先には小さい雌花のつぼみも見られます。

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   アオキの若葉          雄花のつぼみ(雄株)       青い実と雌花のつぼみ(雌株) 

 アオキの花が見られるのは、3月頃からです。雄花の方が先に咲いて、あとから雌花が咲きます。雄花と雌花のどちらの花も濃い紅紫色で、4枚の花びらが十字形に並んで大きさもほぼ同じ、どちらが雄花か雌花かわからないほどよく似ています。それでも、よく見ると、雄花には4本の短い雄しべがあって黄色い花粉が金色に光って見えます。雌花には平たい柱頭を持つ太い雌しべがあるだけなので、雄花と雌花の区別はすぐつくでしょう。地味な花ですが、どこか趣のある花です。

    アオキの雄花             アオキの雌花
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 雄花の花序は、大きく花数も多い。   雄花の花序は、小さく花数も少ない。

 アオキの雄花と雌花の花の形が似ているのは、雄花の花粉を食べに来たアブやハエなどが、同じように雌花にも来てもらう仕掛けではないか、といわれています。そういえば、アケビの仲間やキュウリの花も雄花と雌花がよく似ています。アケビの雌花は蜜がなく、キュウリの雌花は甘い香りがありません。雌花は一度受粉すればいいので、蜜や香りをつくる余分なエネルギーを実のために残しているのでしょうか。雌花が、雄花と同じように見せかけ、虫たちをよびよせ花粉をうまく運んでもらっているのだとしたら、これも植物たちの命をつなぐ知恵といっていいでしょう。

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   キュウリの雄花(左)と雌花(右)。花の形は同じ。   

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   ミツバアケビ。房の小さい花が雄花。手前の大きい花が雌花。
   大きさは違っても花の形は似ています。

 アオキの雌株についた緑の実は、雌花が咲き出す頃に赤くなります。図鑑では、「果実は秋に赤くなり、翌年の4月頃までついている。」(「樹木・秋冬編」山と渓谷社)とありますが、地域差があるのかどうか、これまで見てきたアオキの実は、秋は小さく緑のままでした。冬の間に大きくふくらみ、春にやっと赤くなるようです。    
 アオキの雌株は前年にできた実をほぼ一年かけて育てているので、春のアオキの雌株には、昨年できて赤くなった実と今年咲き出した雌花が一緒についているという、他の樹木には見られない珍しい光景を見ることができます。

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 実が熟する頃、雌花が咲きだします。  熟した深紅の実と、雌花の花序

 よく熟れたアオキの実は、冬の野鳥たちの餌となります。よくヒヨドリがやってきて飲み込んで飛び去っていきます。ヒヨドリに運ばれる実の中には、大きな卵型の種がひとつ。固い殻はなく弾力性ある胚乳には栄養分が蓄えられています。
 9月半ば、林床を歩くとアオキの種が芽生えていました。双葉を大きく広げているのもありました。アオキは、少々の光不足でも大丈夫です。寒さにも強いので、大きな樹木の下であっても、ゆっくり時間をかけて育っていきます。

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アオキの芽生え    双葉を広げるアオキ   冬の陽ざしは 大きく育つチャンス

 先にふれたロバート・フォーチュンの「幕末日本探訪記」には、幕末の日本の庶民の生活や日本の植生、農業、気候など詳しく書かれています。そのなかに、江戸時代の庶民の草花や樹木に対する姿勢がわかる興味深い一文がありました。

 (江戸)郊外の小ぢんまりした住居や農家や小屋の傍らを通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。(同・講談社学術文庫

 ロバート・フォーチュンは、当時の人々が庭をつくり好きな草花を育てていることに驚いているのです。野生のアオキが庭木として育てられるようになったのも、このころのこと。江戸の庶民にとって、気にいった草花や樹木を庭で育てることは普段の暮らしの中ではあたりまえのことだったようです。植物を身近において、芽を出し、花開き、実を結び、枯れ行く一生を愛おしみ、姿形のきれいな花だけが美しいのではなく、草花の命の変化を美しさとして感じとっていたようにも思います。その感性は、江戸時代以前から私たちの祖先が自然とのつきあいかたから学んできたもの。ロバート・フォーチュンは、花の愛で方の違いをとおして、日本と母国の人たちとの自然観の違いを感じとっているようです。

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  冬の緑の実がしだいに色づきます。雌花の準備もするアオキの雌株は、
  一番エネルギーを必要とする時期です。

 アオキの葉や枝はシカの好物です。ニホンジカの生息地ではよく食べられていて、他の植物より先に消えていく植物になっています。あまりにも身近な植物は、消えてからその存在に気づくものかもしれません。一年中、艶やかな緑であり続けるにはどれだけ持続的なエネルギーが必要なことでしょう。一年かけて実を育て、花も同時につける雌株はさらに今が一番エネルギーが必要なときです。それなのに、アオキは淡々といまを生きて、葉は鮮やかさを増しています。アオキはこれから一番美しいときを迎えようとしています。(千)

◆昨年2月「季節のたより」紹介の草花