mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

昔も今も・・・「個人の覚醒」は、望むべからざる事?

 私のパソコンには、「ことば」という項目の部屋があります。退職後に設けたものですが、それでも、この部屋は20年を超えます。物覚えがきわめてよくないので、それを少しでもカバーしたく、主に本からの抜き書きを入れておく部屋です。何かの目的をもって大真面目につづけているわけではなく、時間に余裕のある時に限られますから年数が経っても大部屋にはなっていません。その「ことば」の部屋とは別にもう一つ「心に残る子どものことば」という部屋もあります。これは、在職中、教室で拾った子どものことばと子どもの書いたものからとりこんだものです。これも、特別に目的をもったものではなく、たまたま時間があり、おもしろいと思ったもの・気になったものなどの収納庫です。当然ですが、これは退職時でストップ、変化はありません。

 数日前久々に、「ことば」の部屋を開いてみました。
 すっかり忘れていたのですが、「ことば」の部屋のスタートは、永井荷風の「断腸亭日乗」からの次の文でした。

 昭和11年2月14日
 ~ そはともあれ日本現代の禍根は政党の腐敗と軍人の過激思想と国民の自覚な
 きことの三事なり。政党の腐敗も軍人の暴行もこれを要するに一般国民の自覚に
 乏しきに起因するなり。個人の覚醒せざるがために起こることなり。然りしかう
 して個人の覚醒は将来においてもこれは到底望むべからざる事なるべし。
                        (上巻 p345)

 私の書棚の『断腸亭日乗』は、1987年版岩波文庫の6刷(1992年)です。文庫の表紙には、

 永井荷風(1879~1959)は38歳から79歳の死の直前まで42年間に
 わたって日記を書きつづけた。断腸亭とは荷風の別号、日乗とは日記のこと。岩
 波晩全集で約3000ページにのぼる全文からエッセンスを抄出し読みやすい形
 で提供する。この壮絶な個人主義者はいかに生き、いかに時代を見つづけたか。

と記され、摘録で文庫版とは言いながら、上巻460ページ・下巻436ページもあるものです。

 さて、私の「ことば」の部屋の荷風の日付「昭和11年2月14日」は、この16日後に私がヒトの仲間入りをしていますので、なんと85年前の日記ということになります。
 荷風は「日本現代の禍根」を3点あげています。現在の私たちにとって85年前はもう「日本現代」とは言わないと思うのですが、この日記に書かれている「軍人の過激思想」と「軍人の暴行」を除けば、85年前の「日本現代」は、まさに正真正銘の「現代」と変わらない。そのことに大いに驚きます。

 荷風自身「個人の覚醒は将来においてもこれは到底望むべからざることなるべし」と書いているのです。荷風は、「個人の覚醒は将来も・・・」と、どうして透視できたのでしょう。まさにその通りと思うからです。このときの彼になかったはずの「敗戦」があり、占領下の「戦後」を経ての日本があります。それも後日荷風は見てはいますが、少なくとも荷風は、その10年も前に、「個人の覚醒は到底望めない」と言っているのです。あのような戦争をくぐりながら、私たち一般国民の自覚の乏しき」は、情けないことに少しも変わらない(?)。見事に的を射ているではありませんか。

 荷風に、なぜそう考えたか聞くことのできないのがたいへん残念です。いや、たとえ尋ねることができても、荷風先生は、「自分で考えてみろ」と言い、突き放されるだけだろうと思うのですが・・・。
 でも、やはり、国民のひとりとして真剣に考えてみなければならないと思ったのでした。( 春 )