mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより45 モミ

 日かげで成長できる葉や樹形 年月を重ねて森林に

 堅雪のなかにすっくと立つのは、芽生えたばかりと思われるモミの幼木でした。
 太古から、自然のままに森林更新を繰り返してきたモミの原生林。高さ40mにも達すると思われる巨木のモミが、冬空を突いて立ち、広げた枝葉からこぼれる木もれ日が、暗い森の林床をてらします。冬の日差しがとどくのは、わずかの時間。幼木は、その光をたよりに大きくなろうとしています。

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  芽生えたばかりのモミの幼木。まだ、雪の下に閉ざされているものも。

 ここは、仙台市街地の西部の青葉山。緑濃い丘陵地は、古くから杜の都の象徴として親しまれ、モミの原生林が残る青葉山一帯は、学術上も貴重な生態系の宝庫として、1972年、全国で初めて天然記念物に指定されました。

 街の中心部なのに、どうしてこの地にモミの原生林が残っているのでしょうか。
 1600年(慶長5年)に伊達政宗仙台城を築いて以来、城の背後の青葉山は御裏林とよばれ、防備上重要な地だけでなく、城の水源地でもあったため、仙台藩の厳重な監視下に置かれていました。明治維新後は陸軍に引き継がれ、さらに第二次世界大戦後は駐留軍の管理下に置かれて、一般の立ち入れが制限され、ほとんど人手が加えられることがありませんでした。
 そのため、大都市ではまれにみるモミの原生林が残されることになったのです。

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  モミの木は、幹はまっすぐ、高木に育ちます。

 青葉山のモミは、マツ科モミ属の常緑の針葉樹です。針葉樹は、乾燥地や,寒冷な地に耐えられるように、葉は細く厚みを持った形に進化しています。多くは寒冷地に分布していますが、青葉山のモミは、その中でも最も温暖な地に分布する種で日本の固有種ということです。

 モミは一年中変わらない姿に見えます。風媒花(ふうばいか)なので、虫たちを誘導するための鮮やかな色の花を持つ必要がないからでしょう。
 花の季節は5月から6月。枝先に黄色い房状の雄花が咲いて、大量の花粉を風にのせて飛ばします。雌花は樹の上の方に咲いていて、花粉が届くと受粉します。
 受粉のあとに松ぽっくりのような球果ができます。モミぽっくりと名づけたいところですが、球果は、中の種子が放出されるときに、中軸を残して全部バラバラになってしまうので、地面に落ちたモミぽっくりは見られません。

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 雄花。大量の花粉が風で運ばれます。 モミの球果(雌花)と全部バラバラにな
                   って残った中軸

 モミの種子にはうすい翼がついていて、風にのって滑空するように散布されます。どこへ飛ぶかは風まかせ、落ちたところが終の棲家で、そこで生涯生きていくことになります。

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 モミの球果の破片。手前の3個が翼の      モミの種子の芽生え
 ついた種子です。

 5~6月に、森を歩くと、落ち葉の少ない裸地やがけ崩れの地で、昨年落ちた種子が、たくさん芽生えていました。芽生えたばかりの種子は、20~30mmほどの大きさで、殻のぼうしをかぶっています。幼い葉は、その殻をおしのけるように脱ぐと、勢いよく、上へ四方へと広がり伸びていきます。

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 種子の殻をぬいで、のびのびと葉を   モミの若木。枝を横にのばしながら
 広げています。            大きくなります。

 せっかく芽を出した幼木が、どれも成木まで生き延びられるわけではありません。虫や動物に食べられ、風雨、倒木、土砂くずれで消えて残るのはほんのわずかです。

 日当たりのよい場所に芽を出したモミは早く成長できますが、それはまれで、多くの幼木は、コナラ、クヌギ、ヌルデなどの幼木や成木にすでにとりかこまれています。これらの広葉樹は光を独占して、どんどん成長するので、モミの育つ環境はあっという間に日かげになってしまいます。

 でも、モミにとって、その日かげの環境は、想定内のようです。
 幼木は、葉を薄くしつつ表面積を広げて、互いに葉が重ならないように水平に並べています。上に伸びるより、横に成長することを優先し、傘のような樹形をつくります。そうすることで、上から下まで少ない光を無駄なく利用します。上に伸びるときは、まっすぐな主幹から枝を4本以上輪生させて、1年に1段ずつじっくりと成長していきます。

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 モミの葉。互いに重ならないように    モミの若木は、だんだん傘のような
 水平に広げています。                             樹形をつくっていきます。 

 モミは日かげでも成長できて寿命も長いのです。成長の早い樹木が先に森林を形成していても、やがてこれらを追い越して森の中心の樹木となるときがくるのです。
 モミの寿命は200年から300年ほどといわれています。青葉山のモミは何度も更新をくりかえし、森の最も優勢な樹木になっています。

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 森でモミが優勢になると、林床で光を多く必要とする樹木の成長が抑えられます。

 モミの木が国を救った話をご存じでしょうか。

 100年ほど前、明治のキリスト教思想家である内村鑑三は、東京で行なった講演を自ら文章化し、「デンマルク国の話」という一文を発表しました。副題は「信仰と樹木によって国を救いし話」。

 1864年、ドイツ・オーストリア連合軍との戦いに敗れたデンマークは、南部の肥沃な土地をとり上げられ、不毛の原野だけが残されます。その原野を美しい森林によみがえらせたのは、工兵士官であり博物学者でもあったダルガスとその息子の2代にわたるモミの植林と、武器を鋤に変えて荒地を耕したデンマークの国民の取り組みでした。ダルガス親子が荒野にモミを根づかせるドラマは、富山和子さんが、講演をもとに「森は生きている」(講談社 青い鳥文庫)の中でとりあげていて、こどもたちも読めるようになっています。

 さて、不毛の原野が森林に変わることで、どんな変化がおきたでしょうか。
 気候が変わり、農業が変わりました。夏に昼は砂漠で夜が霜が降りるほどの、厳しい気候が穏やかになり、ジャガイモやライ麦しか育たなかった土地に、小麦や砂糖大根、各種の野菜が栽培されました。収穫量も増えました。モミ林が海から吹く砂あらしを防ぎ、水害をなくしました。国内で木材も利用できるようになりました。
 内村鑑三は、その話のあとに次のように言います。

しかし、木材よりも、野菜よりも、穀類よりも、そして畜類よりもさらに貴いものは、国民の精神です。デンマルク人の精神は、植林成功の結果として、ここに一変したのです。失望していた彼等は、ここに希望を回復しました。彼等は国を削られて、さらに新たに良い国を得たのです。しかも、他人の国を奪ったのではありません。自分の国を改造したのです。自由宗教から来る熱誠と忍耐と、これに加えて大モミ小モミの不思議な力によって、彼等の荒れた国を挽回したのです。 
内村鑑三「後世への最大遺物 デンマルク国の話」岩波文庫

 昨年9月に国連が発表した「世界幸福度レポート」では、デンマークは世界第2位。それ以前には、第1位を連続2度もランクされる世界で幸せな国です。国民の高い幸福度は、モミで国をよみがえらせた意識に支えられていないでしょうか。 
 ちなみに、同レポートの評価基準は、人口あたりGDP、社会的支援、健康寿命、人生の選択の自由度、社会的寛容さ、政府腐敗のクリーン度です。日本は、毎年順位を下げ、今年は54位に。

 内村鑑三は、講演のおわりに、次のようにも言っています。

富は有利化されたるエネルギー(力)であります。しかしてエネルギーは太陽の光線にもあります、海の波濤にもあります、吹く風にもあります、噴火する火山にもあります。もしこれを利用することができれば、これらはことごとく富の源であります。(同)

 驚くのは、100年も前に、太陽光発電や波力発電、風力発電地熱発電による自然エネルギーの利用をよびかけていることです。
 デンマークは、2015年に総電力消費の42.1%を風力でまかない、さらに2020年に50% 、2035年までには84%をめざす計画。世界のCO2ゼロの動きは、これから、内村鑑三のことばどおりに進んでいくでしょう。

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 大気汚染に弱いモミの木は、鉱山のカナリアのよう。空気の汚れの指標にも。

 モミは大気汚染に弱く、かつて大都市周辺に育っていたモミはほとんど枯れて姿を消しました。青葉山のモミ林は、市民による「青葉山の緑を守る会」の保護活動にもささえられ、大都市内にある稀に見る自然林として残り続けてきましたが、いまは、利便性と経済効果を求める開発の危機にさらされています。モミの大木も伐採され、生態系は破壊、多くの希少動植物が姿を消し始めました。

 古代文明の多くは森林破壊のあとに起こる悲劇を見通せず滅びていきました。私たちの便利な暮らしと身近にある森林との関係にもあてはまることです。
 人はいつも自然に生かされているという感覚が、日常の暮らしの中にあるのかどうか。それは、これからの私たちの生存に深くかかわっています。(千)

◆昨年2月「季節のたより」紹介の草花

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