ひっそりと咲く白い花、根茎は漢方の処方薬に
早春の雑木林で、セリバオウレン(キンポウゲ科)の白いつぼみを見つけました。春を告げるマンサクの花が咲きだす頃に、カタクリよりも少し早くに、人に気づかれないようにひっそりと咲きだすのが、この花です。
早春の光がさしこむ林床にいっせいに咲きだすセリバオウレンの花
セリバオウレンは群落を作りますが、咲いている場所はさまざまです。落ち葉の下からちょこんと顔をのぞかせてる花、斜面にしがみつくように咲いている花、倒木の下から這い出るように咲いている花。それぞれが、厳しく異なる環境のなかで生きていて、多様な命の輝きがひとつの群落をつくっています。
野山に咲く野草の群落には、公園や花壇に整然と移植された花の華やかさはありませんが、自然の営みが奏でる美しさをいつも見せてくれています。
雪の下から咲き出す花
倒木の下から這い出て咲く花
セリバオウレンの小さな白い花は直径が1cmほど。花をのぞいてみると幾重にも花びらが重なっていてキクの花のようです。でも、一番外側に花びらのように見えるのがガク片で、その内側に小さな花びらがあって、さらに多くの雄しべが重なって美しく見せています。
花には、雄しべだけある雄花と、雄しべと雌しべがある両性花があって、まれに雌しべだけの雌花も見つかります。花が小さく区別は難しく見えますが、花を見比べていると、しだいにその違いがわかってくるようです。
キクの花のような雄花(桃色を帯びているのが雄しべ)
雄しべ(白)と 雌しべ(茶色)がある両性花
花が終わると、花の柄の先に放射状に広がる袋状の果実ができます。果実は最初は緑色で、熟すと赤茶色を帯びてきます。風が吹くと袋状の果実の開いた穴から種子が振り出されて、遠くへ散らばっていきます。
果実をつけたセリバオウレン 放射状に広がる果実の造形美
セリバオウレンは、ちょうど小葉がセリの葉のようなのでその名があります。セリバオウレンは太平洋側や西日本に多く分布していて、日本海側に分布するキクバオウレンの変種とされています。変種は他にもあって、どれも、広義では「オウレン」とまとめて呼んでいます。
セリバオウレンの葉とつぼみ
暗い林床で目立つ白い花
オウレンは、漢名の「黄蓮(黄連)」の音よみです。「黄蓮」は中国大陸に自生する「シナオウレン」の根茎を乾燥させた生薬で、古くから健胃、整腸薬とし処方されていました。根茎が黄色で数珠〈じゅず〉を連ねているようになっているのが名前の由来です。
日本には奈良時代に唐の本草学とともに「黄蓮」も伝来しましたが、日本には「カクマグサ」と呼ばれていた日本固有種のオウレンが自生していました。
平安時代の薬の辞典『本草和名〈ほんぞうわみょう〉』には、「黄蓮」の項に、和名「加久末久佐〈カクマグサ〉」と記載されています。当時の人は、この「カクマグサ」が中国の「黄蓮」と同じ薬効を持つ薬草だとわかって、処方していたことがわかります。
「カクマグサ」と呼ばれた日本のオウレンですが、古来から自生していた花なのに、万葉集や古代の歌集には詠まれていません。
「国語大辞典」(小学館)によると、「カクマグサ」のほかに、「カクモグサ」も〈おうれんの異名〉とありました。平安中期の類題和歌集『古今和歌六帖』に「カクモグサ」を詠んだ歌が2首ありました。そのうちの一首。
我が宿にかくもを植えてかくも草かくのみ恋ひは我れ痩せぬべし
(古今和歌六貼)
耐え忍んでいる恋のつらさを、カクモグサ〈オウレン〉の可憐な風情に重ねて詠んだ歌なのでしょう。
その後は、カクモグサという古名は、歌に詠まれることもなく忘れ去られていったようです。明治になって、与謝野晶子の和歌に「黄蓮」が歌われているのが一首ありました。
尼寺は女の衣の色ならぬ黄蓮さきぬ秋ちかき日に 〈常夏〉
この歌は、「黄蓮さきぬ秋ちかき日に」と詠んでいますが、オウレンは早春の花なのでちょっと季節が合いません。季節にかかわりなく、「尼僧の衣の色ならぬ」黄蓮に、生の情念を象徴させて詠んだものと考えた方がいいようです。
この後も、「黄蓮」を詠んだと思われる詩歌は見あたりませんでした。
詩歌には詠まれることのなかった小さな白き花
オウレンの仲間の花は、小さいけれど美しい花なのに、詩歌にまったく詠まれることがなかったのは、もっぱら漢方の「生薬」として存在が勝っていたからなのかもしれません。
昔から民間薬で胃腸薬といえば、まずオウレンを思い浮かべるほど知られていて、漢方では整腸、抗炎症、清熱作用を持つ生薬として、他の生薬と組み合わされ処方されてきました。
奈良、平安時代の病気の治療といえば、呪術や祈りに頼っていたように思われますが、病気の治療に薬草が使われ、医療も行われていたということになります。「黄蓮」は古来より重要な「生薬」でした。
早春の野辺に咲くオウレンの仲間は、和歌に詠まれる花ではなかったけれど、その薬草としての効果を発揮しながら、医療の進歩に貢献してきた植物であったことにまちがいないようです。〈千〉