mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

モヤモヤには厳しい追及が必要です!

 「それは国会がお決めになること」「お答えは控えさせていただきます」、国会での政府関係者の答弁を聞くたび「間違ったことは言っていないが、何かおかしい!」と、何だかモヤモヤした気持ちになることがありました。
 国会議員の裏ガネ問題で、野党から証人喚問を求められた岸田首相も「国会がお決めになること」と神妙な顔で宣(のたま)っていました。心の中では「やらないよ」と思っているくせに、自分で「やりません」とは言わないのです。その代わりに「多数派を自民党が握っていて100%否決する」ことがわかっている国会に、さも「中立的に判断する」かのような印象を与えながら「委ねる」のです。自分の手は汚さず守りながら結果的にやらない方向に持っていく極めて狡猾なやり方です。

 先日、大竹まことさんと山崎雅弘さんの対談の中で「日本社会を蝕み続ける詭弁とウソ」というテーマでこの問題が取り上げられたのを聴き、目の前の霧が晴れるような感覚を覚えました。
  国会で多用される詭弁は、「ごく常識的な言葉」を連ねてあるので一見「もっともらしく、丁寧で、謙虚そう」に見えるが、実際には聞かれたことには答えず、はぐらかし責任を取ろうとしない「傲慢で悪質な態度」であるとの説明に大いに納得しました。国会議員が悪事に手を染めたときの「その意図はなかった」「誤解を与えたならお詫び申し上げる」なども一見丁寧そうですが、そのココロには「自分は悪くない」「あなたの理解力こそ問題」との本音が見え隠れしています。つまりは反省などしていないのです。
  「お答えは控えさせて云々」には「その理由は?」と突っ込みが必要です。つまりは謙虚に見せかけた「答弁拒否」なのです。それにごまかされたのでは、国会議員も報道するマスコミも国民の知る権利の負託に応えたことになりません。「そのご指摘は当たりません」も同様。「当たるかどうかはあなたが判断する問題ではない。こちらが問題だと認識しているから取り上げているのだ。答えろ!」と突っ込むべきでしょう。

  国会議員やマスコミが政府の詭弁に惑わされずに厳しく追及を続けることで、国会が文字通り国民主権を体現する議論の場になることを期待します。(エンドウ)

 

学校給食無償化に向けてHOP⤴ STEP⤴ JUMP!

 昨年4月15日にスタートした「学校給食を実現する仙台市民の会」。現在までに2万筆を超える署名を仙台市長に届けてきました。給食は子どもたちの血となり肉となって身体をつくるもとです。そこに予算を使い、安全な食材が提供されるのは「子どもの権利」です。
 給食無償化の意義を再確認し合い、さらに取り組みを前に進め・広げるために知恵を出し合いましょう。みんなで「子育てしやすいまち仙台」をつくりましょう。

 今回の集会では、群馬県で「学校給食の無料化をめざす会」を立ち上げ、取り組みをけん引してきた元教師でもある石田清人さんを講師に迎え、「給食は教育、子どもたちの権利」と題し講演していただきます。
 なんと!群馬県では、現在県内35自治体のうち33自治体で給食の無償化が進んでいるとのことです。
 石田さんの講演を聴いてホップ・ステップ・ジャンプと、私たちの取り組みを一回りも二回りも大きくしていきたいと思います。ぜひご参加ください。 

 と き:4月13日(土)13:30~16:00
 ところ:仙台市市民活動サポートセンター 6Fセミナーホール
 参加費:500円(託児あり・必要な方はチラシ連絡先まで申込み下さい。)
               
※ZOOMからの参加もできます。

 《講演》給食は教育、子どもたちの権利
      講師:石田清人さん(元
教師)

 《経験交流・討論》ジャンプ!実現に向けて

『奈良教育大附属小学校の教育を守る市民集会』のお知らせ

 3月8日付けdiaryで、仁さんが「奈良教育大学附属小学校で起きていること(訂正版)」と題し、奈良教育大学附属小学校で現在起きている異常ともいえる事態と学習指導要領の法的拘束力について書きました。

 3月1日に結成された『奈良教育大附属小を守る会』は、一方的で理不尽な人事異動に対し「奈良教育大の付属小教員出向人事に反対する緊急署名」に取り組み、短い期間にもかかわらず活動は全国に広がり、3月11日に7444名の署名を奈良教育大学に提出しています。多くの教育学者や教育関係者が今回の事態に対して抗議の声を上げていますが、混乱は続いたままです。

 明後日31日(日)には、下記チラシの『奈良教育大付属小学校の教育を守る市民集会』が行われます。宮城からの参加は難しいですが、先ずはみんなで関心をもってこの事態を注視し、考えていければと思います。
 なお、オンラインでの参加ができるそうです。オンラインでの参加を希望される方は(nara-edu-net@ae.auone-net.jp)まで。
 また、今回の奈良教育大学附属小学校のこれまでの経過や状況について知りたい方は、下記「応援団」ホームページをご覧ください。

季節のたより144 タラノキ

  タラの芽は山菜の王様  伐採地などに育つ先駆植物

 山林地で枝がなく棒のように立つ一本の幹。鋭いトゲに覆われ、先端に新芽が開いていたら、それはタラノキの「タラの芽」です。
 この芽がおいしいことを知っているのは山のけものたち。鹿やカモシカ、冬ごもりから目覚めた熊が食べにやってきます。人間には山菜として抜群の人気があり、「山菜の王様」と形容されるほど。天ぷらやお浸し、味噌汁にとその味を楽しむために、芽吹いたタラの芽をもぎ採っていきます。
 鋭いトゲで武装していても攻撃してくる相手は多く、芽吹きの季節は、タラノキにとって受難の日々が続きます。

 
   タラノキの冬芽        「タラの芽」と呼ばれるタラノキの新芽

 タラノキウコギ科タラノキ属の落葉低木です。別名はウドモドキ、タロウウド、オニノカナボウ 、タラッボなど、地方によってもさまざまな呼び名があって、方言名は110にも及ぶとも。名前の由来も、樹皮が鱈に似ているとの説、山菜のウドを古くは朝鮮語名の「ツチタラ」と呼んだことから、似た木として「タラノキ」に転訛した説、別名のタロウウドから「太郎の木」と呼ばれて「タラノキ」に転訛した説などさまざまあって、これもよくわかっていません。

 「タラの芽」がおいしいことは昔の人も知っていたようです。文献では、平安時代の『和泉式部集』に「又尼のもとにたらといふ物わらびなどやるとて」と、知り合いの尼にワラビなどと一緒に「タラの芽」を贈った際の歌が残っています。
 はるか以前には、日本最大の縄文時代の集落跡である「三内丸山遺跡」からタラノキの種子が見つかっています。自然の恵みのなかで生きていた縄文時代の人々もその味を楽しんでいたのでしょう。

 
 食べごろの「タラの芽」 天然の「タラの芽」の採れるのは、桜の咲く頃が目安とも。

 タラノキは山地の伐採地や崩壊地に真っ先に生えてくる先駆植物(パイオニア植物)のひとつです。乾燥した日当たりの良い場所を好み、きわめて成長の早い樹種で、かつてはクヌギやコナラなどの薪の確保に切り拓いた薪炭林に多く生えて、人々に恵みをもたらしていました。

 タラノキは新芽が傷つけられるとゼリー状の液を出して傷口を保護し、そこから再生してきます。新芽が摘まれたり食べられたりすると、その脇や幹から新しい芽を出してきます。それも採られてしまうと枯れてしまうこともありますが、なんとか生き延び成長できたものは、やがて葉を大きく広げていきます。

 
 脇から出す2番目の芽        幹から出す2番や3番目の芽

 春の終わりごろに、葉は全長が50cm~1mにも達する巨大な葉になります。太い軸が枝分かれし、たくさんの小さな葉をつけていても全部で一枚の葉です。鳥の羽を大きく広げたような形なので、羽状複葉(うじょうふくよう)と呼ばれています。大きな葉は太陽の光をたっぷり浴びて光合成し養分をつくり、タラノキはグングン伸びて大きくなります。

 
 タラノキの一枚の葉      鳥の羽のように大きく広がります(羽状複葉)

 タラノキが葉を広げると、今度は昆虫たちにねらわれます。シャクトリムシやヒメコガネはタラノキの葉をかじるようにして食べます。カメムシやアブラムシは葉の汁を吸い、カミキリムシは卵を幹に産みつけ、その幼虫は幹にトンネルをほり、その芯を食べて育ちます。
 林の縁には多数のツル植物が生えていてタラノキに巻きつき、光を求めて上に伸びていきます。ヤマノイモヘクソカズラヤブガラシなどが幹にからみつきます。クズやフジなどは幹をしめあげ、樹上を覆って太陽の光が当たらないようにしてしまうので大変です。

 試練に耐えて、夏のおわりごろ、タラノキは木のてっぺんに花枝を出してたくさんのつぼみをつけました。

 
     たくさんのつぼみをつける花枝            つぼみ

 つぼみが次々に開くと、花枝は白い花で真っ白になります。夏の野山の緑のなかに群がる白い花が遠くからでもはっきり見えて、タラノキが山々のどこにあるかを教えてくれます。


       タラノキの花。咲き出すと遠くからでもはっきり見えます。

 花を見ようとそばに行くと、高い幹の上部に花を咲かせていて、見上げるだけです。山の斜面に登りタラノキを見下ろすようにすると花の姿が見えてきました。
 図鑑では、タラノキは雌雄同株で両性花と雄花があるということです。探してみると形の違う2つの花が見つかりました。下の写真①と②の花です。
 ①は花びらと雄しべが見えるので、雄花か両性花のどちらかですが、この段階では区別がつきません。両性花は雄性先熟で、雄しべが先に熟して花粉を放出、その後に雄しべと花びらを落として、雌しべが成熟するということです。②は雌しべの柱頭だけが見えるので、両性花の雌性期の花なのでしょう。それにしても直径3㎜ほどの小さな花ですが、自家受粉を避けて、丈夫な子孫を残す花のしくみを備えているのに驚きます。

 
 ①雄花か?:雄しべと花びらの数は5個  ②両性花(雌性期):雌しべの柱頭が5本

 花にはいろんな種類の昆虫たちが集まってきました。蜜はヤツデ季節のたより41などと同じで、花盤からたっぷり出ています。ハチやハエ、アブのような、なめる口の昆虫が多くやってきますが、蜜を吸うチョウの仲間も集まっています。小さな昆虫をねらって、トンボが飛び交っていました。
 蜜に集まる多くの昆虫たちによって、花粉が他の花の雌しべに届けられます。


 タラノキの白い花に集まる昆虫たち。ハチやハエ、アブの仲間が多く見られます。

 秋になると実ができました。実は小さいけれどものすごい数です。


               タラノキの実

 黒く熟した実には、キジバトヒヨドリホオジロメジロなどの野鳥がやってきます。黒色は人の目には地味に見えますが、鳥が食べる果実の色を調べてみると、圧倒的に赤か黒が多いという報告があって、黒色の実も赤色の実と同じように小鳥たちを引きつけます(中西1999)。
 黒色は近年紫外線を反射することがわかってきて、多くの鳥は紫外線反射が見えるので、鳥たちには目立つのだそうです(日本野鳥の会大阪支部HP和田岳さんの「身近な鳥から鳥類学」その5)。

 
     花枝につく実            完熟すると黒くなります。    

 完熟した実を割ってみると、小さい種子が5個ずつ入っていました。実の数の5倍です。タラノキは一本でどれだけの種子がつくられているのでしょうか。
 野鳥たちに食べられた実はあちこちに運ばれ、種子は糞にまじって地面に落ちます。薄暗い林のなかに落ちた種子は、土のなかで「数十年以上、平気で眠っていることができ、光が差すなど条件が揃うと休眠から解けて一気に発芽」するといいます(月刊『現代農業』2021年1月号)。

 秋、タラノキの葉は紅葉を迎えました。晩秋に葉は太い軸のつけねから、ばっさりと落ちてしまいます。ここからも巨大な1枚の葉ということがわかります。
 葉がすべて落ちると一本の棒のような幹になり、冬空に突っ立っています。高さ1~2m、大きいものは4mほど。芽吹きの準備をして翌年の春を待ちます。

 タラノキはたくさんの種子で発芽を待つだけでなく、地上部が伐採されたり、何らかの原因で枯死したりしても、「残った地下部の根の一部から茎が形成」「1本の幹が伐採されると、何十本・何百本ものタラノキが発生してくることもある。」ということです(理科大学・植生学 Ⅱ植生遷移)。簡単には絶滅しない強い生命力を持った樹木といえそうです。

 
      紅葉し葉を落とすタラノキ         落葉後の姿。高さ5mほどに。

  タラノキには2種類あって、トゲが多く鋭いものを「オダラ」といい、トゲが無いか少ないものを「メダラ」といいます。メダラはオダラの変種で、野生のタラノキの多くはオダラですが、栽培しやすいのはメダラです。スーパーの店頭に並んだり和食屋さんなどの料理に使われたりしている「タラの芽」のほとんどが、メダラのものです。
 メダラの「タラの芽」はほろ苦さのあるまろやかな味、オダラの「タラの芽」は苦みの強さが美味となる野性の味です。食べ比べると味の違いに驚かれるかもしれません。季節が来ると「道の駅」には、地元の人が採ってきたオダラの「タラの芽」が並んでいます。機会があったら手に入れ、天ぷらで味わってみてはどうでしょう。野生のタラノキがなぜこんなにも鋭いトゲで武装しているかがわかります。
 ウコギ科のものには、タラノキの他に、コシアブラやハリギリの若芽、そしてウドの新芽がおいしく食べられるので、いろいろと旬の味を楽しむことができます。

 
 鋭いトゲで武装するオダラ(野生種)   トゲの少ないメダラ(栽培種)

 子どもの頃、山菜採りに出かける祖母についていったことがありました。祖母は山菜を採りながら「ワラビ、ゼンマイ、5本あったら、2本は残せ。タラっぽ、つむのは一番だけだぞ。2番、3番とったら枯れるぞ」と呪文のように唄うのがおもしろく、意味もわからず一緒に唄っていたことを思い出します。
 山菜とりのルールは絶滅を防ぐこと。自然を敬い、自然の恵みに感謝して生きてきた先人たちの知恵が、その言葉に込められていたのでした。

 現代の生活は便利で快適な人工的空間での暮らしが普通になり、自然とのつながりが少なくなっています。人はいつの間にか、自然のなかに生きている実感を失い、自然をコントロールできると思い込んでいます。
 ナスやキュウリ、イチゴなどが年中店頭に並び、食べ物の旬の味も季節感も感じられない生活が普通になっていることが、これから育つ子どもたちにとって幸せなことでしょうか。
 タラの芽に限らず、早春の若菜やフキノトウヨモギ、ノビルなどの野草を摘めば、旬のものを味わうことができます。そのことで自然のなかで育つ野草や山菜のいのちとのつながりを感じ、季節を感じることができます。
 科学や技術革新が進んだとしても、人は自然のめぐりに逆らい、季節を追い抜いたり、その季節にとどまったりすることはできません。
 人は季節のめぐりのなかにいて、自然に生かされているという先人たちの感覚は、今も変わらず私たちの生き方の原点になるものです。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花

どれに行こうかな? 春の教育講座

 新年度、子どもたちは期待と不安を胸に学校にやってきます。新しい友だちや先生との出会いにわくわくどきどき。そして、それは先生も同じ。子どもたちの願いや期待にどう応えていこうか、これから始まる一年を思いめぐらします。

 今年も宮城県職員組合が主催する「春の教育講座」が4月6日(土)、13日(土)に県内各地を会場に行われます。楽しい出会いと学びがいっぱいです。

 各講座の内容は、下記チラシをご覧ください。参加申し込みは申込フォームから、お申し込みください。

   申込フォームは、ココ から    

   

うつ病は、いつ誰がかかってもおかしくない

 教師生活41年を無事に勤め上げ退職した。今は労働相談業務の傍ら「働くものの命と健康を守る宮城県センター」の事務局や過労死を考える家族の会のお世話などで充実した生活を送っている。

 私がこれまで仕事を続けることができてきたわけ、それはある心療内科医との出会いにある。学校に多忙や困難な業務が増える中、全国に精神疾患で病休に入ったり教職を去らざるを得ないところまで追い込まれている教師が急増している。私の経験が少しでも悩んでいるみなさんのお役に立てば幸いである。  

 「いま死んだら楽になれるかなあ」「自殺した人はこんな風に追い詰められた気持ちだったのかなあ」学校からの帰路、車を運転しながらそんな考えがふっとよぎった。「だめだ。危ない、危ない」と首を振った。今思えば、かなりのうつ状態であった。25年前のことである。  

 その前年、仙台市職員組合の専従を終えて現場復帰した私は、職員を威圧するパワハラ校長への対応や、その下でギクシャクする職員関係を何とか改善しようと奮闘した。加えて担当学年の子どもたちが学校内外で連日事件を引き起こし対応に追われる日々が続いた。そしてようやく子どもたちを無事進級させ、ほっとした頃に症状は現れた。「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」と言われるものである。

 自分に自信が持てなくなり、教室ではオドオドして声が震えた。人前に出るのが怖くなった。授業もままならない。わけもなく急に涙が流れたり、心臓の鼓動がなぜか不規則になる不整脈が増えた。しかし、心臓病専門の病院で診てもらっても「正常」だと言われた。「いったいどうなってしまったのか」「自分は教師を続けられるのだろうか」と途方に暮れた。

 そんなある日、心療内科医であるK先生(仙台市教委の相談医)の言葉がふと頭に浮かんだ。「うつ病はいつ誰がかかってもおかしくない病気。『心の風邪』とも言われている。日本ではまだまだ精神科に対する偏見があるが、欧米では精神科の主治医を持つことが当たり前。不安を感じたり、何かおかしいと思ったら精神科を気楽に受診するといい」2年前に行われた、元中学校教員の過労自死の公務災害認定を求める会の記念講演での話である。私も当時、事務局に関わっていたが、自分とは別の遠い世界のことと捉えていた。K先生は「この先生は過労によりうつ病を発症した。その結果の自殺であり、当然公務災害として認めるべき」という立場で医師として意見書を書いたり、原告側の証人として裁判所で証言してくださった方であった。

 私は野外活動の代休日(部活動がない日)にK先生を訪ねた。藁にもすがる思いだった。K先生は私の話にじっくり耳を傾けて聞いてくださり、今の状態について「うつ状態である」「働き過ぎである」「気分転換(趣味)が必要」と断言された。その時、私はようやく自分の精神状態が異常だったのだと理解し、少し安堵した。光が差した気がした。

 その帰り道、処方された錠剤を口にした時の感覚は今も忘れられない。駐車場の車内に飛び込むや否や薬を2粒口に放り込んだ。最後の命綱だった。結果、ポパイがホウレンソウを食べたときのそれのような経験をした。モヤモヤが続いていた頭の中の霧が急に消え去り、半年以上感じることができなかったエネルギーが身体中にみなぎるのを感じた。その薬自体が効いたというよりも、「この薬を飲めば変わるはず」「これでだめだったら終わりだ」という強烈な思いが効果を引き出したのだと思う。「まだ教師をやっていく力が残っている」「オレは大丈夫だ」そう確信できた瞬間であった。

 その後はK先生の指導に従い、学校や組合活動で時間がないことを理由に中断していた趣味の「釣り」を復活させた。一進一退を繰り返しながらも心の状態も回復に向かい、教員の仕事もなんとか続けることができた。今では子どもの頃のような釣りキチに戻り、さらに畑を借りての野菜作りまで始めて、心身のバランスに注意を払いながら充実した生活を送っている。

 当時、K先生のおかげで「復活」した私は、再び仙台市職員組合の専従になり、事務局の一員として裁判で国を相手に公務災害認定の勝利判決を勝ち取る力の一端を担うことができた。その後は、過労が心身をどのように蝕むかを身をもって体験したことを踏まえ、仙台市全体の安全衛生活動推進のために取り組んできた。学校でまかり通っている異常・違法な教師の労働の状態を一刻も早く克服し、教師が安心して快適に働ける学校現場をつくることが退職後も私のライフワークである。(エンドウ)

同志会 " 陸上運動指導法講座 " のご案内

 夏の全国大会の準備を着々と進めながら、しっかり授業づくりの取り組みも行っている同志会のみなさんが、新年度のスタートダッシュにむけて陸上運動の実技講座を行います(内容の詳細などは、チラシをご覧ください)。
 ちなみに講師は、研究センター研究部長の久保先生です!

 みなさん、春です。ケルルンクック冬眠している生き物たちも目を覚まします。寒さで縮こまった心と身体を解きほぐしませんか。リフレッシュもかねて、ぜひご参加ください。

 と き:3月30日(土)13:30~16:30
 ところ:宮城教育大学グランド、または体育館
 講 師:久保健さん(みやぎ教育文化研究センター研究部長)
 準備物:運動のできる服装、体育館シューズ、飲み物
 参加費:500円(学生100円 ※同志会会員、全国大会実行委員は無料)

   申し込みは、ココ  から