mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

うつ病は、いつ誰がかかってもおかしくない

 教師生活41年を無事に勤め上げ退職した。今は労働相談業務の傍ら「働くものの命と健康を守る宮城県センター」の事務局や過労死を考える家族の会のお世話などで充実した生活を送っている。

 私がこれまで仕事を続けることができてきたわけ、それはある心療内科医との出会いにある。学校に多忙や困難な業務が増える中、全国に精神疾患で病休に入ったり教職を去らざるを得ないところまで追い込まれている教師が急増している。私の経験が少しでも悩んでいるみなさんのお役に立てば幸いである。  

 「いま死んだら楽になれるかなあ」「自殺した人はこんな風に追い詰められた気持ちだったのかなあ」学校からの帰路、車を運転しながらそんな考えがふっとよぎった。「だめだ。危ない、危ない」と首を振った。今思えば、かなりのうつ状態であった。25年前のことである。  

 その前年、仙台市職員組合の専従を終えて現場復帰した私は、職員を威圧するパワハラ校長への対応や、その下でギクシャクする職員関係を何とか改善しようと奮闘した。加えて担当学年の子どもたちが学校内外で連日事件を引き起こし対応に追われる日々が続いた。そしてようやく子どもたちを無事進級させ、ほっとした頃に症状は現れた。「燃え尽き症候群」「荷下ろし症候群」と言われるものである。

 自分に自信が持てなくなり、教室ではオドオドして声が震えた。人前に出るのが怖くなった。授業もままならない。わけもなく急に涙が流れたり、心臓の鼓動がなぜか不規則になる不整脈が増えた。しかし、心臓病専門の病院で診てもらっても「正常」だと言われた。「いったいどうなってしまったのか」「自分は教師を続けられるのだろうか」と途方に暮れた。

 そんなある日、心療内科医であるK先生(仙台市教委の相談医)の言葉がふと頭に浮かんだ。「うつ病はいつ誰がかかってもおかしくない病気。『心の風邪』とも言われている。日本ではまだまだ精神科に対する偏見があるが、欧米では精神科の主治医を持つことが当たり前。不安を感じたり、何かおかしいと思ったら精神科を気楽に受診するといい」2年前に行われた、元中学校教員の過労自死の公務災害認定を求める会の記念講演での話である。私も当時、事務局に関わっていたが、自分とは別の遠い世界のことと捉えていた。K先生は「この先生は過労によりうつ病を発症した。その結果の自殺であり、当然公務災害として認めるべき」という立場で医師として意見書を書いたり、原告側の証人として裁判所で証言してくださった方であった。

 私は野外活動の代休日(部活動がない日)にK先生を訪ねた。藁にもすがる思いだった。K先生は私の話にじっくり耳を傾けて聞いてくださり、今の状態について「うつ状態である」「働き過ぎである」「気分転換(趣味)が必要」と断言された。その時、私はようやく自分の精神状態が異常だったのだと理解し、少し安堵した。光が差した気がした。

 その帰り道、処方された錠剤を口にした時の感覚は今も忘れられない。駐車場の車内に飛び込むや否や薬を2粒口に放り込んだ。最後の命綱だった。結果、ポパイがホウレンソウを食べたときのそれのような経験をした。モヤモヤが続いていた頭の中の霧が急に消え去り、半年以上感じることができなかったエネルギーが身体中にみなぎるのを感じた。その薬自体が効いたというよりも、「この薬を飲めば変わるはず」「これでだめだったら終わりだ」という強烈な思いが効果を引き出したのだと思う。「まだ教師をやっていく力が残っている」「オレは大丈夫だ」そう確信できた瞬間であった。

 その後はK先生の指導に従い、学校や組合活動で時間がないことを理由に中断していた趣味の「釣り」を復活させた。一進一退を繰り返しながらも心の状態も回復に向かい、教員の仕事もなんとか続けることができた。今では子どもの頃のような釣りキチに戻り、さらに畑を借りての野菜作りまで始めて、心身のバランスに注意を払いながら充実した生活を送っている。

 当時、K先生のおかげで「復活」した私は、再び仙台市職員組合の専従になり、事務局の一員として裁判で国を相手に公務災害認定の勝利判決を勝ち取る力の一端を担うことができた。その後は、過労が心身をどのように蝕むかを身をもって体験したことを踏まえ、仙台市全体の安全衛生活動推進のために取り組んできた。学校でまかり通っている異常・違法な教師の労働の状態を一刻も早く克服し、教師が安心して快適に働ける学校現場をつくることが退職後も私のライフワークである。(エンドウ)