mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

フレームの内と外 ~三宅唱さんの「みのがす」から~

 6月はことのほか忙しかった(正確には、まだ6月は終わっていないが)。堀尾輝久さんを招いてのセンター設立30周年シンポジウムにホームページのリニューアル作業、今年度最初の運営委員会、さらに前半は研究年報の作成作業、6月全体を通じては「センターつうしん115号」の編集校正、そして今はその発送準備と続いている。
 そんなこんなで、まともに読めずにたまってしまった新聞に目を通すなか、目にとまったのは6月2日付け朝日新聞の「動標」欄。映画「ケイコ 目を澄ませて」や「夜明けのすべて」などの作品で高い評価を受けている映画監督の三宅唱さんが《三宅唱の「みのがす」 フレームの中、これがすべて?》と題する文章を寄せている。

 三宅さんは、映画監督という職業柄「ぜひお見逃しなく」と述べる機会が多いが、自らを振り返ると、日々の暮らしの様々な場面で多くのことを見逃している、あるいはそのことににさえ気づかずにいるという。だから自分の仕事場である撮影現場では「すべて」を見逃さずにいたいと心がけているそうだ。しかし、また「映画には必ずフレームがあって、フレームの外にも世界は広がっている。俯瞰や360度回転で撮ったところで『すべて』は映らない『これがすべて』と言い切ることは手品か詐欺に近い。」と言う。

 自分が見たもの、経験したことはすべてではない。その当たり前と言えば当たり前のことをあえて自覚し、「すべて」を見逃さずにいたいという三宅さんの姿勢が、まさに「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」という映画に投影し、その映画世界を豊かなものとして結実させているのだろうと思った。
 そして三宅さんの「フレームの外にも世界は広がっている」という言葉が、とりとめもなくいくつかの事を喚起させた。

 一つは、20代、30代の若い女性にも人気が広がっているという朝ドラ「虎に翼」。番組そのものを「見逃さない」のはもちろん、ドラマの中のある登場人物が気になって仕方なくなった。ある意味、その登場人物に目はくぎ付けである。それは傷痍軍人の姿だ。戦後、寅子は思いを寄せていた花岡と再会するが、その前後?からたびたび傷痍軍人の姿が、それこそテレビ画面のフレームの片隅に登場する。戦争で傷ついた傷痍軍人が白装束を身にまとい地べたに座り、生活の足しにする金銭を乞うている。ドラマの中では、花岡も寅ちゃんも、そこを行きかう人も空き缶に金銭を入れる姿が描かれる。ふと傷痍軍人がこのようにたびたび登場するドラマは他にあっただろうかと思った。
 と同時に、一つの記憶が鮮明に蘇ってきた。それは子どものときに両親に連れられ出かけたデパートの入り口付近に、義手義足の傷痍軍人がドラマのように座していたことを。そして、その傷痍軍人の姿に怯える自分がいたことを。
それは70年代の前半から中頃だったろうか? すでに町の中から戦争の傷跡はほとんど姿を消し、高度経済成長を経て物質的な豊かさを手にすることができる時代になっていた。そんな街と時代の中にぽっかり穴を穿ちタイムスリップしてきたかのような傷痍軍人と、彼の座るその一角だけが、ありありと戦争の暗い影と傷跡を印していた。物質的な豊かさに縁どられ始めた時代のフレームの外側から、傷痍軍人は人々が忘れかけている戦争の記憶と今に傷跡を、時代のフレームの内側へと解き放っていた。その異質さに怯え戦慄した。ちなみに我が家のよっちゃんに傷痍軍人を子ども時代に見たことがあるか聞いたところ、見たことはないと言っていた。

 次に、「フレーム」という言葉から喚起したのは、千さんがこのdiaryに寄せてくれる「季節のたより」の写真。千さんは毎月2回、季節ごとに取り上げた草花に関する豊富な写真を文章とともに寄せてくれている。その写真は、その草花が四季のめぐりの中で見せる、その時々の表情であり姿だ。いのちの始まりから終わりまでと言っていいかもしれない。日ごろ私たちが写真に撮って愛でようとする草花の姿は、その草花が華やかに最も美しく見えるときに限られがちだ。千さんは、私たちが日ごろ気にも留めず、写真のフレームに収めることもしない草花の四季の姿を、いのちのめぐりを届けてくれているのだと改めて思った。

 そんなことを思いながら仕事場に向かっていたら、台原森林公園の入り口に「ホタルを見る会」(6月20日~30日)の開催を知らせるのぼりが立っていた。この期間、多くの人がホタルを見に訪れる。でも、期間として設定されたフレームを外れても実はホタルは生きている。そしてまた、そのホタルのいのちをずっと育み、守っている人たちもいる。

 三宅唱さんの「フレームの外にも世界は広がっている」との言が、思いもしていなかった記憶や出来事を呼び起こし広げてくれた。(キヨ)