mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより114 サルトリイバラ

  赤い実と鋭いトゲを持つ  火山灰地でも育つツル植物 

 野山は冬の眠りに入りました。木々が木の葉を落として寂しくなった雑木林に足を踏み入れると、すぐ目についたのはサルトリイバラの実でした。
 西日を受けて黄色に光る枯れ葉のかげで、成熟した赤い実がその姿を浮かび上がらせていました。


         西日が照らすサルトリイバラの葉と赤い実

 サルトリイバラとは変わった名前ですが、漢字で書くと「猿捕茨」。ノイバラやキイチゴよりも鋭いトゲがあり、本種の茂みにサルを追い込むと、トゲで身動きが取れなくなり、容易に捕らえることができるというので、その名になったといわれています。
 これでサルが捕まるかどうかはわかりませんが、「大造じいさんとガン」の作者で知られる椋鳩十の動物文学のなかに、病院や動物園に頼まれてサルを生け捕りにする狩人の話が出てきます。
 母親のいない2匹の子ザルの物語「チビザル兄弟」は、屋久島一の狩りの名人といわれる佐々木さんから聞いたサルの話をもとに創作されたものです。そのなかに、狩人がサルトリイバラをエサにして「おり」をしかける場面が出てきます。

 サルトリイバラの実は、サルが、とてもすきなたべものです。
 その実が、赤くひかって、たくさんもりあげてあるのです。
 チビザル兄弟は、おなかがすいていたのです。いそいでかけよりました。
 けれど、サルは、ようじんぶかい動物です。すぐには、サルトリイバラには手をだしませんでした。
 チビザル兄弟には、サルトリイバラのある場所が、気にいりませんでした。
 サルトリイバラは、つるから、ぶらさがっているはずです。ところが、まるたでつくったおりの中に、もりあげてあるではありませんか。
            (てのり文庫・椋鳩十「チビザル兄弟」・学習研究社

 最初は警戒していたものの、弟ザルは、とうとうエサに手を出しておりに閉じ込められて、そのまま人間に捕まってしまいます。物語はここから始まり、野生ザルの群れの生態、人の暮らしとサルとの衝突、屋久島の自然破壊などと関わらせて、助け合って生きる兄弟ザルを描いています。

 サルトリイバラは、サルトリイバラ科シオデ属の落葉ツル性の低木です。北海道から九州までの日本全土に分布、山野や丘陵の林内や林縁などの日当たりと水はけの良い場所に自生しています。
 根元に近い茎は硬くてトゲがあり、節ごとにジクザク状に曲がりくねっています。先端の緑色の枝はたくさん分枝してつる状になり、巻きひげを伸ばして低木の枝から枝へと絡みつくので、人の手が入らない場所では大きな藪になっています。

 
    サルトリイバラの若い葉とツル       節のまわりのトゲ

 春、赤味を帯びた新芽が冬芽から顔を出します。新葉は大きく成長するまで、舟の帆のように立っているので、サルトリイバラを見分ける手がかりになります。
 新葉とともに葉のわきから花茎が伸びてきます。気がつくと、いつの間にか、小さなつぼみをたくさんつけています。

 
   冬芽と舟の帆のような新葉      新葉とともに花茎が伸びて蕾をつける。

 サルトリイバラは、4~5月に花を咲かせます。淡い黄緑色の小さな花がたくさん集まった球状の花の塊がいくつもつくので、花の時期にはよく目につきます。


         サルトリイバラの雄花。花は球状につきます。

 サルトリイバラは雌雄異株で、雌株に雌花、雄株には雄花を咲かせます。花びらはどちらも6枚ずつあって、そり返るようについています。
 雄花には雄しべが6個、雌花には柱頭が3つに裂けた雌しべが見られますが、雄花の雌しべと雌花の仮雄しべは、ともに退化していてほとんど目立ちません。
 多くの花は受粉の仲立ちをする昆虫を呼ぶために、色鮮やかな花に進化していますが、サルトリイバラの花は、黄緑色です。それでも、花の時期にはハエなどの仲間が集まってきて、雄花と雌花を行ったり来たりしながら花粉を運んでいます。
 サルトリイバラは、花の色ではなく、花の奥から分泌する蜜で昆虫たちをひきつけているのです。

 
      サルトリイバラの雄花(雄株)     サルトリイバラの雌花(雌株)

 サルトリイバラの実は最初は明るい緑色で、しだいに赤く熟していきます。
 実は直径1センチほどの大きさで、なかにはクリーム色の堅い種子が2~5個入っています。真っ赤な実は光沢があってよく目立ち、小鳥たちを誘います。種子は実と一緒に呑み込まれて遠くに運ばれ、糞と一緒に散布されます。

 
      最初の頃の緑色の実           成熟して赤くなる実

 サルトリイバラは、荒れ地でも丈夫に育つ植物です。そのため、噴火とガスで荒れ地になった三宅島の緑化と復興に一役買うということがありました。
 2000年(平成12)に、三宅島は雄山(おやま)を中心に大噴火、全島民が島外での避難生活を余儀なくされました。また、土石流や火山性ガスの影響で島の約6割以上の森林が枯れて消滅してしまったということです。
 それから約4年半の島外避難を経て、島に戻った人たちが目にしたのは、強風が吹きつける荒れ地の山腹で、いち早く茎を伸ばし成長するサルトリイバラでした。
 人々はこのサルトリイバラに着目し、島の緑化事業として植栽、栽培して生け花として出荷、果実酒やクリスマスリースをつくって販売するなど、産業資源として生かしてきました。(東京都産業労働局・地域資源ナビ)
 火山性ガスの中でも生命力の強いサルトリイバラは、噴火災害で荒廃した島の自然回復と復興に希望をもたらす植物としてその役目を果たしたのです。

 地元ではサルトリイバラをサンキライとも呼んでいます。これは別名です。
 サンキライは漢字で書くと「山帰来」。助かる見込みがなくなって山に追いやられた病人が、そこでこの植物の根を食べたら、すっかり元気になって山から帰ったという話が、その名の由来です。根茎部分は生薬としても用いられています。

 
   熟し始めた実と黄葉する葉       艶のある実と役目を終えた葉

 サルトリイバラの葉は丸いハート形をしています。この葉はルリタテハという蝶の幼虫の食草です。丸い葉に時々不定形の穴があいていることがあって、その葉をひっくり返すと、裏側にサルトリイバラのトゲに負けないくらいトゲトゲのある幼虫が見つかることがあります。

 端午の節句に食べる柏餅。包む葉はカシワの葉ですが、じつは西日本では、サルトリイバラの葉が使われているのです。
 端午の節句に柏餅を供えるという食文化は江戸で生まれて、参勤交代で日本全国に広まったとされています。このとき、カシワの葉を用いた柏餅は関東を中心に東日本に広がっていきました。ところが、西日本ではもともとカシワの木の自生が少なかったので、餅やお菓子はサルトリイバラなどの葉で包むという慣習がありました。それが柏餅にも利用されていったのでした。

 柏餅といえば、正岡子規の亡くなる前年に書かれた「墨汁一滴」(明治34年発表)の5月7日の随筆には、「かしは餅」の短歌が10首、詠まれています。そこには幼少の頃に食べた柏餅の思い出とともに病んで食べられなくなった辛い思いが詠まれています。
 子規の生まれは伊予松山(愛媛県松山市)。歌の内容とは関わりないことですが、子規が食べた「かしは餅」も、サルトリイバラの葉で包まれたものだったのでしょう。

 
    晩秋のサルトリイバラ        黄葉する葉が、満月のよう。

 宮沢賢治の童話に「十力の金剛石」というのがあって、サルトリイバラが登場します。題名にある「十力」とは仏教用語で、仏の持つ十の力のことで「全智全能」というほどの意味です。そのような力を持った本当の「金剛石」(ダイヤモンドのこと)とは何であるかが、解き明かされていく物語です。全編が多種多様な鉱物や宝石で彩られていて、賢治童話の特色がよく現れている美しい作品です。

 霧の朝、ある国の王子が仲良しの大臣の子と一緒に、自分たちの持っている宝石よりも立派な宝石を探そうと森に分け入ります。行く手をさえぎるのは、サルトリイバラでした。

 小藪のそばを通るとき、さるとりいばらが緑色のたくさんのかぎを出して、王子の着物をつかんで引き留めようとしました。はなそうとしてもなかなかはなれませんでした。
 王子はめんどうくさくなったので剣をぬいていきなり小藪をばらんと切ってしまいました。        (底本:校本宮澤賢治全集第7巻「十力の金剛石」)

 森に入ると薄暗くふたりは途方に暮れていると、霧は雨に変わり、雨はあられに変わり、ふたりはきれいな草花の丘の頂上に立っていました。
 驚いたことに、さっきあられと思ったのはみんなダイアモンドやトパァスやサファイアです。よく見ると草花までもみな宝石。王子はあたり一面にきらきらする宝石を拾いながら「もうなんだか拾うのがばかげているような」気がしてくるのです。
 ところが、草木たちは、こんなにも宝石に囲まれているのに、なぜかさびしいといいます。もっと大切な「十力の金剛石」がまだ降りてこないといいます。
「十力の金剛石」っていったい何なのか。ふたりが思いをめぐらせていると、ふた粒の宝石が花の間に落ちてきました。
 すると、きらきらした宝石でできていた草花が、本来の花びらの色や緑の葉に変わりました。そして、美しく、柔らかく、その命を輝かせています。
「十力の金剛石」は「露」でした。そして、その露のみならず、青い空、太陽、風、花びら、輝く瞳、涙、・・・、いたるところに本来の美しさを輝かせるものが溢れていて、それらがすべて「十力の金剛石」であると、ふたりは感じるのでした。
 林のむこうからふたりを探す家来たちの声が聞こえてきました。

 二人はかがやく黒い瞳を青ぞらから林の方に向けしずかに丘を下って行きました。
 林の中からけらいたちが出て来てよろこんで笑ってこっちへ走って参りました。
王子も叫んで走ろうとしましたが、一本のさるとりいばらがにわかにすこしの青い鉤(かぎ)を出して王子の足に引っかけました。王子はかがんでしずかにそれをはずしました。(同)


       本来の美しいを輝かせるものが、自然に溢れています。

 賢治は、物語にトゲのあるサルトリイバラを唯一の悪役として登場させて、王子が「十力の金剛石」と出会う前と出会った後の姿をそれとなく描いています。
 森をめざす王子は、サルトリイバラは目的のためには邪魔者でした。それで剣で切り払います。ところが、帰りにはサルトリイバラが青い鉤を出してきても、かがんでしずかにそれをはずしました。
 王子は、森の中で自然界の生きとし生けるものたちの存在に気がつき、それらを創造した主の存在を感じました。それは、神であり仏であり、自然の摂理といってもいいでしょう。そして、自分もまた自然界に存在する万物の小さなひとつであることを感じたのでしょう。他者に対する優しさもそこから生まれています。
 王子は、森のなかでどんなにきらびやかな宝石よりも、ずっと素敵な本当の「金剛石」を見つけることができたようです。(千)

◇昨年12月の「季節のたより」紹介の草花