mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

ナヤンデルタールで、お悩み解決・・・?

 12月9日に行ったナヤンデルタール学習会『子どもとつくる物語の授業』では、小学3年の「モチモチの木」と小学5年の「大造じいさんとがん」の授業づくりをしました。そこで話し合った内容を正さんが丁寧にまとめてくれました。
  参加できなかったみなさんにも役に立てばと思い、話し合いの記録(正さんの報告)を以下に掲載します。
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★『モチモチの木』山場(「豆太は見た」の前半部)をどう授業するか

  
①「こわさ」の質が変わる
 頭の上のくまのうなり声に、怖い、助けてという思いで「じさまあっ」としがみつこうとした。くまに対する「こわさ」

 次に豆太は、「くまみたいに体を丸めてうなっていたのは、じさまだった。」という発見をする。いつだって自分を守ってくれるじさまだったのに、これまで見たことのないじさまの姿に「こわくて、びっくらして」どうしていいかわからず、夢中で飛びついた。
 けれども、じさまは、ころりと転げると、歯をくいしばってますますすごくうなるだけ。受け止めてくれるはずと思っていたじさまのこの姿に、豆太は「ますますこわく、びっくらした」。混乱しながらも、なんとかしなきゃ!「医者様をよばなくっちゃ。」 と外に飛び出していく。 

②「じさまあっ!」と「じさまっ!」の音読から、「こわさ」が変わったことを引き出せないか。
 声に出してみると、切迫感だけが共通になり、呼びかけている豆太の内面までは表現しきれない。もちろん文脈を支えとして子どもたちは音読することになるだろうが。かなり鍛えられた学級でなければ、この方法は難しい。
 とすれば、豆太の呼びかけがどこから出たのかを明らかにするために、「じさまあっ」(      )「じさまっ」(      )の呼びかけの後に、どんな言葉が入るかな?と尋ねてみるのはどうかという意見が出た。音読を使いながら豆太のこわさが作れたらよいのでは。
 また、(なきなき走る豆太の姿)にかける時間のことも考慮した展開を再度考える必要がありそうだ。

③くまみたいに体を丸めてうなっているじさまの姿はどんなかっこうなのか
 「ころりとたたみに転げる」と結びつけると、少なくとも初めから横になって苦しんでいるわけではない。腹を押さえて小さく丸まっている感じか。そこに豆太が飛びついた。じさまは、そのかっこうのまま、あっけなくころんと転げた。教科書の挿絵は、時として子どもに間違ったイメージを与えてしまうことがある。ここでの挿絵は、ころんと転がった場面であり、体を丸めてうなっている場面ではない。紛らわしいところだ。

  

④「ますますすごくうなるだけだ」 子どもにやらせてみる
 動作化は時として授業を拡散させる原因ともなるが、ここはうならせてみるのもいいのではないか。3年生の子どもたちは喜んでやってくれそうだ。豆太はじさまの姿だけでなく、歯を食いしばってうなっている声も目の前で聞いていたのだから。

⑤なきなき走る豆太の姿が見える板書
 教科書にも峠の一部は挿絵として載っているが、どこからどこまで走ったのか、外の様子、地面の様子など全体が見えるようにしておくことが大事。ということで、板書例が示された。峠から麓の医者さままでの道を含む全てが霜で真っ白になっていることや、でこぼこしている峠道などが子どもの発言によって作られるならば、なきなき走っている豆太の必死さが浮かぶように思う。

  

  ※「大造じいさんとがん」の話し合いについては、次回報告します。