冬を彩る赤い実 日本に自生する栽培種バラの原種
さっきまでヤブのなかで何かを啄んでいたヒヨドリが、ピーッと一声鳴いて飛び去りました。行ってみると、落葉した灌木の枝先に赤い実が残っていました。
ノイバラの実です。ふだんはくすんだ赤色の実ですが、冬の日差しに柔らかに照らされ輝いています。
冬の日差しに輝くノイバラの実
ノイバラは沖縄を除く日本各地に分布するバラ科バラ属の落葉つる性低木です。山林の縁や川岸の岩場、郊外の道路沿いや空き地などの日当たりのよい場所に自生しています。
ノイバラの名は、野に咲く荊(イバラ)ということです。イバラは棘(トゲ)のある植物の総称ですが、ノイバラは日本の野生バラのひとつで、正式な和名です。
ふつう「野ばら」とも言われ、その名を聞けば、5月から6月頃に咲くあの白い花を思いうかべてもらえるでしょう。
「野ばら」の名で親しまれてきたノイバラの花
野ばらの名でよく知られているのは、シューベルトの「野ばら」(作品3-3 D257)です。歌曲として親しまれていますので、一度は口ずさんだ方も多いと思います。
童(わらべ)はみたり 野なかの薔薇(ばら)
清らに咲ける その色愛(め)でつ
飽かずながむ
紅(くれない)におう 野なかの薔薇
この歌は若き日のゲーテが恋をした女性に贈った詩にシューベルトやウェルナーが作曲し、世界的な愛唱歌となりました。日本ではシューベルトの曲に近藤朔風が日本語の訳詞をつけ、音楽教科書を通して広く人々に知られるようになりました。
この曲で歌われる野ばらは「くれないにおう」とあるので、日本に自生する白い花のノイバラではなく、ヨーロッパのほぼ全域に分布している日本のハマナスに似た野生種とされています。
日本に咲く白いノイバラの花を詩にしているのが佐藤春夫です。これも、かつて高校の教科書に取り上げられています。
国は違っていても、その地に咲く野生のバラの素朴な愛らしさが詩人の心をとらえています。
甘い香りを漂わせます たくさんの雄しべが目立ちます。
ノイバラの特徴はその名にあるとおり、鋭いトゲがあることです。ノイバラの咲く群落にうっかり足を踏み入れてしまうと痛い目にあいます。トゲで手足は引っ掻かれ、シャツやズボンには枝が絡んできて抜け出すのが大変です。これではけものたちも避けて通るでしょう。
植物のトゲは、進化の過程で葉が光合成をやめて別の役割りを持つようになったものです。ノイバラの茎のトゲは太く、下向きに曲がっていて、葉や花を食べに来る動物たちを寄せつけません。若い細長いツル状の茎は、このトゲをまわりの草木にカギのようにひっかけて伸びていきます。
若い時期の赤く鋭いトゲ 古い幹の硬いトゲ
ノイバラの花は直径2~3㎝ほどの小型の花です。いくつも集まって円すい形の花序をつくって咲きます。花びら、ガクがそれぞれ5枚、雄しべが多数、雌しべがひとつの両性花です。
花は虫媒花です。咲いた直後は雄しべの葯が黄色で、花粉が出てしまうと赤紫色になって目立たなくなります。雌しべはそのあとに伸びてきます。花粉を飛ばしたあとから雌しべが成熟し、自家受粉を防いでいると考えられます。
花の甘い香りに誘われてやって来るのは、ハチやアブ、ハナムグリ、ツユムシの仲間です。雌しべの周囲にある蜜を求めて、チョウの仲間もやってきます。
これらの昆虫たちを見ていると、雄しべと雌しべの先にはふれず、ちゃっかり花粉や蜜だけをもらって帰るものもいます。
ノイバラの花は寛容です。それらの昆虫たちをすべて受け入れ、気長に受粉のチャンスを待っています。受粉ができた花には、緑色の実ができます。
初期の花(左)と花粉を出し終えた(右) ガクの下側に緑色の実ができます。
ノイバラの緑色の実は、初めは雄しべの殻とガクがついています。ふくらみながらそれらを脱ぎ捨て、秋に赤く色づいていきます。
ふくらむ実。 上部に雄しべの殻が残る。 赤くなる実。 先端にガク片やガクの痕。
ふつう、雌しべに花粉がつくと子房がふくらみ、実ができます。カキやサクランボなどの実は、子房のふくらんだものです。一方、ノイバラの実はガクの下に子房があって、その子房を包むガクの下の筒がふくらんでできたものです。リンゴやイチゴのように茎の先の花床が肥大して実になったものもあります。
植物生態学では、子房が成長して実になったものを真果(しんか)といい、子房以外のものが成長して実になったものを偽果(ぎか)というようです。
ノイバラの実は偽果で、その先端にガク片やガクの痕が残っていて、ガクの下の筒がふくらみ実になったという痕跡を残しています。
ノイバラの赤い実には、どれも先端にガク片の茶色い痕が見えます。
ノイバラの実は霜に当たると甘くなり、こどもの頃、ガマズミの実と一緒に食べたものです。食べすぎてお腹をこわしたことがありました。この実は「営実(えいじつ)」という名の漢方の生薬で、その用途は利尿剤や下剤でした。図鑑によっては、実に軽い毒性があるとするものもあり、軽く味を見る程度にしておくのが無難かと思います。
実のなかにはわりと大きめの種子が4~5個入っています。実は小鳥たちに食べられ、種子は糞と一緒に散布されます。
霜に当たって熟した実 実の中の種子
ノイバラの歴史は古く、兵庫県の明石市の遺跡からは、推定100万年以上前とされるノイバラ系の化石が見つかっています。
日本の文献に初めてノイバラが登場してくるのは、『常陸風土記』(721年)です。これは当時の常陸国(現在の茨城県の大部分)の様子を語る地誌で、「茨棘(うばら)で城を築き賊を退治した」とか「土地の人々に危害を加える悪賊を滅ぼすのに茨(うばら)で城(き)を造った」との説話が載っていて、現在の茨城(いばらき)県の県名は、それが由来とされています。(「筑波大付属図書館」資料)。
『万葉集』(783年)では、ノイバラが宇万良(うまら)という名で詠まれています。
道の辺の 宇万良の末(うれ)に 這ほ豆の からまる君を 別れか行かむ
丈部鳥 (万葉集 巻20―4352)
作者の丈部鳥(はつかべのとり)は、防人として筑紫に派遣されてきた東国の農民。大伴家持が防人たちの歌を84首選んで、万葉集に収めているものの一首です。
道端のノイバラに絡みつくツルマメのごと、必死にしがみつく妻や子の手を振りはらい、遠い国に旅立ってきた防人の切ない哀しさが伝わってくる歌です。
奈良時代の末期になると唐との交流が進み、中国原産の薔薇(そうび)が渡来します。赤い花びらに香りも高い薔薇は、たちまち宮廷人の人気となり、多くの歌集に詠まれて、ノイバラは忘れ去られていきました。
ノイバラが再び息を吹き返したのは江戸初期の頃です。俳諧が盛んになり、ノイバラの野趣や素朴さに目が向けられるようになりました。以後、詩や歌に詠まれ、ノイバラの「花」は初夏の、「実」は晩秋の季語となっています。
懸命に 赤くならんと 茨の実 河合凱夫
今、花屋さんやバラ園で見られる栽培種のバラは2万品種を超えるといわれています。その原種となったのが野生種のバラです。
野生種のバラは北半球にのみ分布し、150種ほどあるといわれていますが、原種となったのは9種ほどで、日本ではノイバラ、ハマナス、テリハノイバラの3種が原種とされています。
ノイバラはヨーロッパに渡り、四季咲きの大輪バラなどと交配されて、中輪の「フロリバンダ系」と呼ばれる園芸バラの一群が誕生しています。ノイバラの丈夫な幹は、今も栽培バラ苗の接ぎ木の台木として使われています。
「中国新聞」の連載に海を渡ったノイバラを追いかけた記事がありました。
やっと見つけたのは、世界中の植物標本700万点を管理するロンドンの王立キュー植物園。「中国と日本のバラ」の棚にツュンベリーより100年ほど下るものの、1862年の標本が残っていた。(略)
標本はあった。でも、欧州で改良が進んだ現在の園芸品種のうち、一見してノイバラの子孫と分かるバラが少ないのはなぜか。その疑問はじきに解けた。
「イングリッシュローズ」と呼ばれる人気シリーズの苗木を世界中に販売している英国バーミンガム近郊、オースチン社の育種場を訪ねた時のことだ。
栽培部長のマイケル・マリオットさん(48)は、この3月に発表するピンクの新品種の畑に案内してくれた。「愛らしい、香りもいい。強くて育てやすい」。そんな長所は「日本のバラのおかげさ」。
ノイバラにいろんな品種を掛け合わせた中輪咲きの系統を親に、多くのイングリッシュローズが生まれたという。(略)
世界の愛好家が新品種に関心を寄せる育種場。孫やひ孫のイングリッシュローズが華麗さを競うそばで、山野町のあぜ道で見たノイバラが咲いていた。素朴で丈夫そうな花姿だった。
(中国新聞「ばらの来た道」― 野の花海を渡る 杉本喜信・文)
栽培バラの原種となるノイバラ。野生種の魅力も。
花屋さんに並ぶ栽培種のバラは、これからも品種改良が重ねられ、優雅な花形や色、芳醇な香りを備えた花が商品化されて、品種の数も際限なく増えていくことでしょう。それと同時に、人間には邪魔となるトゲや実をつけない品種もつくられ、原種である野生種の性質は失われていくように思います。
花にどんな美しさを求めるかは人それぞれですが、華やかさや豪華さ、色鮮やかさを削ぎ落としたあとでもなお残る、いのちの根源とも言える美しさが野生種の魅力です。
ノイバラは日本列島に人類が住み始めるはるか以前から自生し、地殻変動や気象の変化に対応して生き延びてきた種です。環境変化に対しては人間よりもはるかに強靭な生命力でこれからも生存し続けていくような気がします。(千)
◇昨年12月の「季節のたより」紹介の草花