mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

「吉里吉里忌」のすごさに脱帽です!

  

 コロナで3年近く続いていた週2日ほどのテレワークがなくなり、4月からは毎日出勤の生活となった。それで改めて気づいた。研究センターは、いろいろな人に必要とされているということが。毎日、誰かが顔を出し、さまざまな活動の予定が組まれ、取り組みが動き出した。それは、とってももうれしいのだが、いろいろなことがわっと急に入ってきて、頭と体がついて行かない。気忙しい1か月でもあった。

 さて、そんな4月をこのゴールデンウイークでゆっくり振り返ると、特筆すべき出来事の一つは、4月9日に山形県川西町で行われた作家・劇作家の故井上ひさしさんをしのぶ「吉里吉里忌」に行ったこと。会場は満員で、入場券は予約受付開始2時間ほどで終了となったそうだ。並々ならぬ参加者の期待がわかる。その期待の大きさの原因は、他でもない小泉今日子さんが「井上ひさしさんと私」と題して話をするからだ。実際、今回の「吉里吉里忌」を伝える新聞も、ほとんどが小泉今日子さんに割かれている。話を聞くことへの期待以前に、本人に一目会いたいと参加した方も少なくないだろう。

 かくいう私も同じだが、それだけではない。新聞ではほんの数行しか報じられなかったが、小泉さんの前には第1部「井上ひさしとジャーナリズム」と題し、ジャーナリストの金平茂紀さん、作家の吉岡忍さん、東大名誉教授の小森陽一さんという、豪華メンバーによる鼎談が組まれていた。金平さんと小森さんは、私たちが行ってきた「高校生公開授業」で授業をしてもらっており、大変お世話になっている。お世話になった二人への応援の気持ちもあった。それにしても小泉さんをはじめ、各界で活躍されている名だたるみなさんを一堂に会することができるところに、井上ひさしさんの仕事と残したものの大きさが現れているといえるだろう。

 新聞ではほんの数行と、小泉さんの扱いに比べるとあまりにも不公平な扱いを受けている第1部の鼎談「井上ひさしとジャーナリズム」は、ジャーナリズムの「ジャーナル」が、「日記」とか「日誌」という意味であること。また「小説」の始まりが、そのような「日記」や手紙であったこと。そして日記による事実と事実の間にある余白と言えばいいだろうか、そこにフィクションとしての作品の題材があり、そこに作家としての想像力を通じて真実に迫る、作品づくりがあること。そのようなことが三人の話から浮かび上がっていたように思う(三人の話と、当日の資料として配布された『ホワイトハウスから徒歩5分』をもとにした)。

 さて、こうして第1部の概要をまとめてみると、今回の「吉里吉里忌」全体の企画力の妙がみえてくる。第2部の小泉今日子さんが大切にしてきたと語り、また朗読した井上ひさしさんの作品「赤い手」は、出生届や死亡届などの証明書や手紙だけの構成で、一人の女性の人生を描き出している。
 まさに第1部と第2部は、「ジャーナル」としての日記と手紙で貫かれている。ゆえに、小泉さんだけで「吉里吉里忌」を語るのやはり不十分に思われる。

  多くの人々の耳目が小泉今日子さんに注がれるのは致し方ないが、ジャーナリズムとしての新聞は、もう少し第1部についても触れてよかったのではないだろうか。小森さん、金平さん、吉岡さんを応援する一人としては、ちょっと悔しい。と同時に、今回のこの「吉里吉里忌」が、どのような話し合いや経過の中でつくられたのか。その裏話というか、事実を聞いてみたいとも思った。そして、もしかしたら、そこから一つの新たな物語が生まれるかもしれないなどと勝手な想像もした。( キヨ )

井上ひさしさんの言葉を次世代へ 川西・吉里吉里忌、小泉今日子さんが講演
                              (山形新聞
小泉今日子さんが語る井上ひさし作品 「小さいとき、出会っていた」
                                     (朝日新聞デジタル