mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

加藤陽子さんインタビュー記事から想う

 たまっていた新聞を整理していたよっちゃんが、これ読んだ?と新聞を持ってきた。何だろうと紙面を覗くと、7月15日(木)付け朝日新聞のインタビュー記事「任命拒否する政権」だった。
 日本学術会議の会員に推薦されながら、菅首相によって任命拒否された6人のうちの一人、歴史学者加藤陽子さんへのインタビュー記事だ。拒否された6人の中では、報道やマスコミにあまり登場してこなかった加藤さんが、紙面の3分の2ほどを割いて、この問題について応えている。
 学術会議問題そのものについては、周知の事実だと思うので特に取り上げないが、記事のなかの次のやり取りが目に留まった。

——任命拒否された6人のうち 加藤さんを除く5人は、 学術会議会長から連携会員や特任連携会員に任命されるという形で実質的に会議の活動に参加していますね。加藤さんは断ったのですか。
「 はい 。昨年11月に 学術会議の幹部と話した席で『特任連携会員として会議に参加する道もありますが、どうですか』と聞かれ、 希望しませんと伝えました」
——なぜですか。
「『実』を取るより『名』を取りたいと思ったからです」
「特任連携会員になって学術会議の活動を支援することには確実なメリットがあります。 ただ、政府が問題のある行為をした事実、批判されても決定を覆そうとしない態度をとっている事実を歴史に刻むことも大事だと私は考えました。実質的に欠員が生じたままにしておくこと。私が外されたという痕跡を名簿の上に残しておくことが、名を取る道です」
——歴史に事実を刻み得たとしても、それによって政治がすぐに良くなるとは思えません。
「すぐには変わらないかもしれません。しかし事実として、出入国管理法の改正にしても東京都議選の結果にしても五輪の進め方にしても今、社会は政府や与党の望む通りには動いていません」
「6人が外されたこと、6という数字には特別な意味が込められていたかもしれないこと。みんなでそれを覚えておくことが、もう一度6人を削ろうとする動きへの牽制球になるでしょう。そこに希望を見いだしたいと思います」

 拒否された6人のうち加藤さんを除く5人は、実質的に学術会議の活動に参加しているという。そのような中で加藤さんは、会員から「外されたという痕跡を名簿の上に残しておくこと」、そしてその「事実を歴史に刻む」ことが大事だとの判断のもとに参加を拒否した。なんとも歴史学者らしいなあと感心するとともに、そういう態度と姿勢をきっぱり示せる加藤さんはやっぱりすごい人だと思う。

 すると突然、「革命家」という言葉が頭に浮かんだ。そしてひとり、あぁなるほど加藤さんは「革命家」だと、妙に納得する自分がいる。「勝手に革命家なんかにしないで」と、加藤さんには叱られるかもしれないが、そういう想像?連想?妄想?をしてしまったのは、アーノルド・ウェスカーの戯曲『友よ』の次のセリフを思い出したから。

「弟は反逆者でね、メーシー、あたしは—革命家。弟は現代の指導者たちの話をする。あたしは長い歴史の線の先端にいる人たちになにが必要かを見つめる。弟は二十世紀に対するあたしたちの責任という問題にとりつかれている、あたしは過去二十世紀間の感受性の集積に対するあたしたちの責任という問題にとりつかれている。弟は過去を恨むから反逆者、あたしは過去を無視できないほどゆたかに人間の苦悩と偉業を背負ったものと見るから革命家。女は生まれながらの革命家なのよ、ねえ、シモーヌ。」

 女は生まれながらの革命家なんてきっぱり言われると、男たちは立つ瀬がないが「長い歴史の線の先端にいる人たちになにが必要かを見つめる」とか、「あたしは過去を無視できないほどゆたかに人間の苦悩と偉業を背負ったものと見るから革命家」というセリフが、加藤さん≒「革命家」を連想させ結び付けさせた。

 そんなことを妄想する一方で、このような問題が決して他人事ではないことに思いあたる。ご記憶の方もあると思うが、2019年度の『宮城県教育関係職員録』に前所長の仁さんの名前が掲載されなかった。それは所長の任にあるにもかかわらず、加藤さんと同じように「外されたという痕跡を名簿の上に」残すことになった。宮城県教育会館の名簿のなかには今も一つの空白がある。その空白をこれからどう埋めるのか。そのことは、今の時代と決して無縁の出来事ではないのだと感じる。(キヨ)