mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

またまた日本学術会議問題を考える

 今日、センターで毎年開催してきた「こくご講座」の世話人会があった。次回の講座の内容をどんなものにするかについて時間をかけて話し合った。
文学作品(物語文)の読みをどう進めるか。そのための教材分析の仕方や授業の進め方は、どうあればよいのか。そもそも、子どもたちと読みあうのに相応しい教材とは何か。教科書にあるからというだけで、指導書(赤本)にそって授業を行うのが当たり前のうようになっている現状を変えるには、どのような提案や話し合いの仕方が必要なのか。毎度のことだが、いつも考えさせられることである。
 現職当時、どのように授業を進めるかということを考えるとき何よりも大切にしたことは、どんな意見でも自由に発言できる学級にするということだった。その結果、討論のあと、少数意見が最終的に全体に受け入れられた経験がたくさんある。
 そんなことを考えながらハンドルを握って家に帰るとき、またもや、あの許せない日本学術会議の人事案件が頭をよぎってきた。

  菅首相は6人を任命しなかったのはなぜなのか。理由を述べることをかたくなに拒否するのはなぜなのか。なぜ? どうして?が、この間ずっと頭の中でグルグルと走り回っている。社会が誤った方向へ進まないようにするためにも、軌道を修正する選択肢はなるべくたくさんあるほうが良いと思うのだ。たとえどんな小さな意見でも、それこそ多様な考えから、話し合い、議論を重ね、全体の合意を図っていく。その中で誰もが納得するような結論を導き出すことができるのになあと考えてきた。

 問答無用で今回の「事件」を是とするならば、これは新たな「パージ」ではないかとさえ思えてくる。「アカデミックパージ」そのものではないかと・・・。
 今回の6人は思想がどうこうといった問題ではなく、1947年から始まった公職追放同様、「反政府的言動」を共産党と見立ててのレッドパージと考えると、まさにその第1弾ということになるのだろうか。これからは政府のアカデミズムへのパージは、かなり露骨に行われるようになるのだろう。
 改めて歴史的教訓に学ぶ必要がある。滝川教授追放事件、美濃部達吉天皇機関説排撃などにも見られたのだが、このように政府の気に入らない人物を追放する時には必ず一定の法則があるという。どういう法則か。ノンフィクション作家の保阪正康氏の文から引用すると、《まず必ずターゲットを決めて、その人物を追放するように扇動する学者、研究者がいる。彼らは悪口雑言を浴びせるのが役目だ。やがて呼応する右翼勢力がそれに加わる。そして議会の国家主義的議員がそれを口汚くののしり出す。かつての時代はこれに軍部が支援の姿勢を露わにして、暴力的な威圧をかける。その揚げ句に行政がその人物を教壇から、あるいは学校や研究機関から追い出す具体的処分を行う》とある。

ああ恐ろしい。過去の出来事などと他人事としてすますわけにはいかない。

と、ここまで書いて夕方のニュースをみていたら、また驚くことが。

菅首相の著書「政治家の覚悟」の改訂版が今日発売になったのだが、2012年の初版本から「公文書の管理の重要性」の章が削除されているというもの。初版本には「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為である」と書かれていたというのである。これは当時の民主党政権にむけて書いたものだが、このまま、安倍・菅政権にお返ししたい文章ではないか。                  <仁>