mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

2020東京オリンピック、祭りのあとで・・・

 2020東京オリンピックが、やっと閉幕した。
 「原発はアンダーコントロールされている」そして「3.11からの復興五輪だ」とか、「過ごしやすい快適な7、8月の東京」など、ウソで塗り固められて開催にこぎ着けた東京五輪
 そして開幕直前には、組織委員会会長の森元総理をはじめ、大会関係者の更迭・変更が相次いで起こった。その中でも、コロナパンデミックの中での開催という、常識では考えられないオリンピックの強行開催は、選手のがんばりを評価しつつも、いろいろと考えさせられた。

 そんな中で、恥ずかしながら、最近になって初めて知った言葉がある。「スポーツ・ウォッシング」という言葉だ。ウォッシング=洗濯である。
 元米国の五輪・サッカーの代表選手で、現在は政治学者のジュールズ・ボイコフという人が『オリンピック 反対する側の論理』(作品社)の中で、「スポーツ・ウォッシング」という言葉を使っている。五輪という「スポーツイベントを使って、染みのついた評判を洗濯し、慢性的な問題から国内の一般大衆の注意を逸らすのだ」と書いている。五輪の開催は、悪評を洗浄するために使われるというのである。
 いざオリンピック開催まで持ち込めば、選手やチームが感動的なシーンを作り出し、それに国民が乗っかり、様々な疑惑を全て忘れてくれると思っている。

 そしてこれはオリンピックだけの問題ではない。日本という国では巻き起こる問題の多くが、同じ形をしている。「問題視される」と「逃げる」そして「忘れてもらう」。この流れが続く。そしてまともなに検証をしないまま、次の問題に移行してしまう。途中なのに、とにかく逃げてしまう。そして、逃してしまう。やはり私も含めて、国民がもっともっと賢くならなければいけないと、改めて気づかされた東京オリンピックであった。<仁>