mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

私だけではあるまい

 今日は9月29日。自民党の総裁選挙当日である。あと数時間で新総裁が決まる。ここ2週間あまりは4人の候補者の動向を伝える報道が連日続き、うんざりしているのは私だけではあるまい。4人の候補者には、いずれも安倍・菅内閣で果たしてきた役割をどう考えているのか問いたい。

 少なくとも菅総理・総裁のとき、最初に行ったのが日本学術会議の6名の委員の承認を拒否したことは、未だに解決していない。それどころか、日本学術会議が税金を無駄遣いしているとか、会員が優遇されているとか、政府に何も提言していないとか、見当違いの誹謗中傷が自民党議員から続出して世論を誤った方向へ誘導した。これは問題のすり替えだし、明らかに菅総裁への忖度だったのは明らかである。

 以前、高校生公開授業でお世話になった山極寿一さんが「サルの社会では、サルはボスの前でおべっかを使い、弱いものを見つけるとこぞってそれをいじめて自分の地位を確保しようとする」と話されていた。安倍・菅政権を取り巻く人々の態度は、あまりにもこれとよく似ている。

 そもそも自民党総裁は、自民党国会議員と全国に散らばる党員・党友110万人(推定)の票数で決まる訳だから、総裁選で投票できるのは全人口の1%に過ぎない。99%の国民は直接関係することはできない。現行の選挙制度では、総理を選ぶ権利は国民にはない。とくに昨年の総裁選挙は、自民党員ですら投票できず、国会議員からなる自民党の派閥が選んだ結果となった。国会議員自らの選択ではなく、派閥の勢力争いが国のトップを決める。まさに、理由なき力の政治がまかり通ってきた。国会議員を選んだのは私たち国民なのに、その議員たちが国民の声を聞かずに派閥の親分の意向に従っている。

 政権党の代表(総裁)が総理になる日本の今の制度下では、憲法との整合性などから実現可能性はないが、首相公選制の導入で自国の首相を自らの手で直接選ぶ制度に魅力も覚えてしまう。
 そのような中で、『市民と野党の共闘』が宮城の中でも具体的に進んでいる。希望を寄せるのは、これも私だけではあるまい。<仁>