mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより75 ブナ

 肥沃な土壌をつくり、いのちを育むブナの森

 5月、栗駒山のブナの森におそい春がやってきます。
 県北の温湯温泉をとおって秋田の湯沢に抜ける国道398号線を車で走り、途中の湯浜峠に立つと、残雪が残る栗駒山が姿を見せます。眼下には淡緑色に色づき始めたブナの樹海が広がります。
 峠を下って樹海のなかを走ると、左右は残雪のなかに立ち並ぶブナの大木。幹のまわりには大きな空洞ができていました。ブナが目覚めて活動を始めると、その体温で根元の雪が解け始めます。ブナの森の春はブナの足元からやってくるのです。

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         残雪の上に立つブナ、足元には空洞ができています。

 固くしまった雪の上には芽吹いた冬芽の殻や折れた小枝が散乱していました。見上げると、ブナの梢では黄緑色の若葉が開いています。ブナは芽吹き始めると、次から次へと新しい葉を出していきます。ブナは秋のうちから冬芽に幼い葉を準備し、前の年に蓄えた養分を使って、またたく間に一年分の葉を開き切ります。
 黄緑色の若葉の色で1日1日山が膨らんでいくように見えるのがこの季節です。

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        ブナの若葉で、森は日に日にふくらんでいきます。

 ブナは冬芽が開くと同時に花が咲きます。若葉と雄花が同時にあらわれ、雄花は柄を伸ばしてぼんぼりのようにぶらさがっています。雌花は枝を伸ばした若葉のつけねに上向きにちょこんとついています。
 ブナの花は風の力を利用して受粉する風媒花です。風が吹くと雄花がゆれて花粉が飛び散り、風にのって雌花に運ばれていきます。
 ブナの森では時期を合わせたように一斉に開花します。風媒花はそのほうが単独で花を咲かせるよりもずっと受粉率が高くなるからでしょう。でも雌花に届くのはほんのわずか、大量の花粉が土に落ちて死滅してしまいます。それでも、ブナの雄花はできるだけ遠くの雌花に花粉を届けて丈夫な種子をつくろうとしています。

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  ぼんぼりのような雄花    上が雌花、下が雄花   大量に地面に落ちる雄花

 ブナが活動を始めると、ブナの体温と春のあたたかさで根元の雪解けが進んでいきます。黒い地面があらわれると、待っていたとばかりにミズバショウが芽を出し、昆虫たちも活動を始めます。カタクリ、イワウチワ、スミレなどのスブリングエフェメラルと呼ばれる植物たちが、地面を華やかに彩ります。
 冬眠から目覚めた熊やカモシカ、テンなどの動物たちも動き出し、ワラビやゼンマイ、山菜とりをする人たちでブナの森がにぎわい、ブナの森はブナの目覚めとともに躍動を始めます。

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      カタクリの花            オオバキスミレの群落

 雪解け水を吸い込んで落葉の下からブナのこどもが芽を出しているのを見つけました。昨年できたブナの実が熊や野ネズミたちに食べられずに残ったものでしょう。でもこの実生たちが運よく育ち若木になったとしても、多くは森の動物たちに食べられたり、地上に倒れたりして数を減らしていきます。

 ブナの森の奥に分け入り、長い年月を生き延びてきた巨木に出会いました。その荒々しい樹肌には、風雪に耐え生きてきた森の時間が刻まれていました。上空に広がる無数の枝葉を見上げて、あの小さな実生から育つ若木たちのことを思いました。すべての若木たちが育ったら、このような巨木や大木は存在できなかったでしょう。大木が育つには、栄養や水分、日光の配分などの大木を支えるだけの環境が必要です。多くの若木たちは、大木になる道を他者にゆずり、新たな森のいのちへと還元されていったのです。生存競争に負けたのではなく側面から大木になる若木を支え、種のいのちをつなぐ任務をその若木に託したのです。
 自然界の厳しい「選択」には、人間の思いや感傷を超えた叡智を感じます。

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     ブナの芽生え(実生)            ブナの若木の林

f:id:mkbkc:20210510161858p:plain f:id:mkbkc:20210510163507j:plain                           青年期のブナ         森の奥に立つ巨木(老年期)のブナ

 梅雨の季節にブナの森に入ってみました。森は雨と霧につつまれ煙っています。
 渓谷は水であふれていると思ったのですが、いつもと変わりがありません。
 降った雨はどこにいったのでしょう。降ってくる雨は、上向きに開いたブナの木の葉でじょうろのように受け止められています。葉にたまった雨は葉から枝へ、枝を伝って幹へと送られ、ブナの幹を伝い川のように流れています。そしてそのまま落ち葉の厚く積もった根元に吸い込まれていきました。
 地面に吸い込まれた雨は、落ち葉の下の土の層に豊かな地下水として蓄えられます。地下水は長い時間をかけて清水となって湧き出し、川となって一年中枯れることがなく豊かな水量を保ちます。
 ブナの森から流れ出す川の水は、森が作り出した栄養たっぷりの土も運んで、川の下流の広がる田畑を潤しイネや作物を育ててきました。

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   幹を流れる水   落葉に吸い込まれる水  年中枯れることのない谷川の水

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栗駒山の山肌に4月の終わり頃、残雪が「駒の姿」(左側)と「種まき坊主」(右側、山の陰になってしまいました)の姿を現します。この姿を見て、昔の人は農作業の準備をしたと言います。

 夏になると、ブナの森は濃い緑色に変わります。森のなかに足を踏み入れると、ひんやりとした空気が肌をつつみます。外の暑さとは別世界です。
 ブナの木々は大きく広げた葉で夏の日ざしを受け止め、根からはさかんに水分をすいあげて光合成の真っ最中。夏はブナがたくさんの栄養分を作り出し、幹を太らせ翌年の花を咲かせ実を実らせようと活動している季節なのです。

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 夏が過ぎると1日1日と陽が沈むのが早くなります。ブナの森が朝夕冷え込み、霧でおおわれるようになると、低木のハウチワカエデが真っ赤に染まり、ブナやミズナラ、トチなどがそのあとを追うように色づき始めます。
 寒暖の差が大きいと、ブナの木は一気に黄色に染まり、わずかの間に茶色に変わって落ち始めます。ときおり木枯らしがふきつけるとあっと言う間に丸裸。落ち葉は高く舞いあがり、地面に落ちてあつく積み重なっていきます。

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     木々が混生するブナの森の紅葉          ブナの木の黄葉

 落ち葉の下を掘ってみました。朽ちた落ち葉が何層にも積み重なっています。なかから、ミミズやトビムシヤスデなどの生きものたちが出てきました。
 落ち葉の層には、他にも多くの生きものたちが住んでいます。積み重なった落ち葉を食べてかみ砕くのは、ミミズやトブムシなどの仲間。森に住む動物たちの排泄物や死体をかたづけるのが、シデムシやゴミムシなどの仲間です。これらの土壌生物が砕いたものを、さらにキノコやカビや目に見えない微生物が、細かく分解して、養分たっぷりの柔らかい黒い土に変えていきます。
 その土が、また新たなブナや他の植物を育てます。そしてその植物の葉や花や実を食べて、森に住む生きものたちのいのちをつないでいます。
 ブナの森のなかは、人がよけいな手を加えなくても、植物たちが作り出す栄養を中心にした食物連鎖と循環のしくみが永遠に続いていくのです。

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  倒れたブナの木、落ち葉と一緒に土に還る    キノコは枯れ木の分解者

 森の豊かな環境があるかぎり、植物たちは日光と水分と大気から取り入れた二酸化炭素を原料に、栄養分を作り続けます。さらに人も含めてすべての生きものたちが必要とする新鮮な酸素を、大気中にはきだします。この自然のしくみの恩恵がどんなに貴重なものかを、人が森の大気にふれながら、理屈ではなく体をとおして感じていたら、自然破壊はこれほどまでに進行することはなかったでしょう。

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     秋の終わり、木の葉を落とすと ブナは冬の眠りにはいります。

 ブナは漢字で「橅」と書きます。ブナ材は、狂いが激しく、加工が困難で建築材には向かないので、役に立たない「歩の合わない木」、あるいは「ぶんなげる木」が転訛してブナになったなどと言われています。
 それをそのまま受け止めていいのか、ずっと疑問でした。昔の人々は、経験上、ブナの森が全てのいのちを育む水源の森であるとわかっていたはず。それなのに、ブナを「役立たずの木」としているのが、どうも腑に落ちないのです。

 八溝山系の山中に猟犬・クマと自給自足の暮らしをする猟師の義っしゃんは、森を訪ねてきた友人に、「橅」について、土地のことばでこんなふうに語ります。

「・・橅ってない。木偏に無とかくばい。これにはちゃんと意味(わけ)あってよ。親父が言ってたげどない。『木では無い』っていう意味なんだど。それはない、この木を使って家(うち)建でっとよ、その家は土台から傾ぐもんだから、木でねんだから建物に使っては駄目だって教えらっちゃぞい」「橅は本当はうまく乾燥して使えばとても優れた建築材になるんだけど、」「とにかく、大切な樹木なものだから、勝手に切って家を建てたら、土台が傾いて罰(ばち)が当たるぞっていう教えなんだなあ。」  (小泉武夫著・『猟師の肉は腐らない』・新潮社)

 ブナの森の豊かな恵みを知っていた昔の人々は、ブナを永遠に守るために「橅」の漢字にあてていたようです。そこには後に続く世代を思いやる祖先の想像力と深い想いを感じるのです。(千)

◆昨年5月「季節のたより」紹介の草花