「冬の華」として育てられた 暖地の寒がりの花
野山の樹木も葉を落とし、庭や道端の草花も枯れて、冬の眠りにつき始めています。花のない寂しくなったこの季節に咲き出すのがサザンカの花です。
寒さに向って咲き出す サザンカの花
「かきねの かきねの まがりかど」「さざんか、さざんか、咲いた道」のことばとメロディーを耳にしたことがあるでしょう。これは童謡「たきび」(巽 聖歌作)のなかの歌詞です。
童謡といえば、漱石が俳体詩という形式で「童謡」という詩を作っています。この詩にもサザンカが登場します。
童謡 夏目 漱石
源兵衛が 練馬村から / 大根を 馬の背につけ / 御歳暮に 持て来てくれた
源兵衛が 手拭でもて / 股引の 埃をはたき / 台どこに 腰をおろしてる
源兵衛が 烟草をふかす / 遠慮なく 臭いのをふかす / すぱすぱと 平気でふかす
源兵衛に どうだと聞いたら / さうでがす 相変らずで / こん年も 寒いと言った
源兵衛が 烟草のむまに / 源兵衛の 馬が垣根の / 白と赤の 山茶花を食った
源兵衛の 烟草あ臭いが / 源兵衛は 好きなぢゝいだ / 源兵衛の 馬は悪馬だ
(岩波書店「漱石全集」第12巻 初期の文章及詩歌俳句)
人の好さそうな百姓の源兵衛さん、馬を垣根につないで一服していたら、垣根に咲くサザンカの花をパクリと食ったという、なんだか、芭蕉の「道のべの木槿は馬にくはれけり」(野ざらし紀行)の句を連想させるユーモラスな詩です。
「童謡」は、1905年(明治38年)「ホトトギス」の1月号に「吾輩は猫である」と共に掲載されたものです。「日本童謡集」(与田準一編・岩波文庫)の解説では、1918年(大正7年)に鈴木三重吉が興した「赤い鳥」運動以前に創られた童謡らしき創作の最初の作品としています。
童謡「たきび」で歌われたサザンカも、漱石の「童謡」のサザンカも、「垣根」に咲くサザンカの花です。明治、大正の頃から、サザンカは一般の家庭の生け垣に植えられ、晩秋から冬にかけての風物詩となっていたことがわかります。
白花の八重のサザンカも見られます。
サザンカは、日本原産の樹木です。学名は、「Camellia sasanqua Thunb.」で、小種名が日本名のサザンカ(山茶花)の名称をそのまま使って、「sasanqua」となっています。
サザンカと似ているのがツバキです。ツバキも古く自生している日本原産の樹木です。サザンカとツバキは同じように見えますが、見分けるのはそれほど難しくはありません。(多くの園芸種も出ているので、例外は見られます。)
ツバキの花は、花が十分に開いても花びらは開かず筒状のままです。一方、サザンカの花は、開花すると、花びらを平らに広げて開きます。これは、ツバキの花が花びらと雄しべがつながり筒状になっているのに対して、サザンカは花びらと雄しべが分かれていることによるものです。花の散り際をみると、その違いは、はっきりわかるでしょう。
ツバキの花は、筒状に開きます。 サザンカの花は、平らに開きます。
ツバキの花は、ガクと雌しべだけ残して、花首一輪がポトリと落ちます。首が落ちるというので、武士には嫌われていました。入院のお見舞いにふさわしくない花とされているのもそのためでしょう。
サザンカの花は、ツバキと違って、花びらがハラハラと散ります。「山茶花を 雀のこぼす 日和かな」(正岡子規)の句は、風のない穏やかな日に、小雀が止まるわずかな枝のゆれにも反応し、散ってゆくサザンカの花の特徴が描かれています。
ツバキの花は、花ごとポトリと落ちます。 サザンカの花びらは、はらはら散ります。
ツバキとサザンカは、一見すると、葉も花姿もよく似ているので、昔の人もずっと同じもののように考えていたようです。
というのは、日本では、ツバキという名前は、すでに「日本書紀」(720)に「海石榴」という文字で登場し、「万葉集」(759)でも、いくつかの万葉仮名(海石榴・都婆技・都婆吉・椿)で、和歌に詠まれています。
ところが、サザンカ(山茶花)の名前が出てくるのは、室町時代になってからです。一条兼良(1402-81)の著と伝わる「尺素往来(せきそおうらい)」が初めてで、和歌にいたっては、江戸時代以前は一首のみ。田安宗武(徳川8代将軍吉宗の次男)が、毛虫による「ヒメツバキ」(サザンカの別名)の食害を嘆いたものだけなのです。
もしかすると、万葉集で詠まれているツバキには、サザンカも含まれていたということも考えられないでしょうか。
サザンカの花は、古来、ツバキの花と同じように見られていたようです。
日本ではサザンカを「山茶花」と書きますが、中国では、「山茶花」はツバキ類のことを指していました。ツバキも、葉が飲用になるので、チャノキに対して、「山に生える茶」という意味で「山茶」(さんちゃ)といい、その花なので、「山茶花」としたのです。ツバキは、すでに万葉仮名で使われていた「椿」の文字があてられ、サザンカを表す文字は、中国のツバキ類を表す「山茶花」が、そのままあてはめられていったようです。
サザンカは、品種改良され、全国で300種ほどあるといわれています。
さて、サザンカとツバキの区別は何とかつくのですが、悩ましいのは、カンツバキ(寒椿)です。サザンカより少し遅れて咲くカンツバキは、サザンカとツバキの交配種といわれ、ツバキの名を持ちますが、ツバキではなく、サザンカに分類されるサザンカそっくりの花なのです。花の散り方もサザンカと同じです。
カンツバキは、花びらがなめらかで14枚以上あり、サザンカは、花びらがシワシワで、その数が5~10枚ほどと、見分けるポイントもあるのですが、専門家でも見分けるのが難しいといわれるほどなので、悩んでもしかたがないようです。
カンツバキは、枝が横に伸び、整いやすく、生け垣として 雄しべが、花びら化して
よく利用されています。 いるのが見られます。
ツバキ科の植物は北半球の熱帯から亜熱帯に自生する植物群です。そのなかでツバキ、サザンカ、チャノキは、温帯に自生する植物で、日本でも自生しています。
これらのなかで、比較的寒さに強いのはツバキでしょう。自生地の北限は、ヤブツバキは青森県の夏泊半島、ユキツバキは秋田県の県南地方になっています。
チャノキも寒さに弱いのですが、北日本でも栽培されるようになり、県内でも約400年前から石巻で栽培されて、「桃生茶」としてその名が知られています。
ヤブツバキの花は、4月頃に盛んに咲き出します。 チャノキ(茶ノ木)の花
寒さにもっとも弱いのがサザンカでしょう。サザンカの野生の自生種は、沖縄、九州で見ることができますが、本州では、山口県の萩市が北限とされています。
もともと暖かい地方の一部で自生するサザンカなのに、本州の各地で見られるようになったのは、どうしてなのでしょうか。
ツバキは、冬のさなかに咲き出しますが、本格的に花を咲かせるのは春です。ところが、サザンカは晩秋から冬に向って花を咲かせます。他の花が少なくなる季節に、人々がサザンカの花に心ひかれるのは、今も昔も変わりなかったようです。
江戸時代の初期の頃から、野生種から品種改良も行われ、庭や庭園の生け垣に植えられていきました。原種となる野生種は、一重咲きの白花ですが、赤やピンクが生まれ、5枚だった花びらの数も7枚以上に増えて華やかになり、少しの寒さにも耐えられるほどになって、「冬の華」として親しまれていきました。
サザンカの花は、冬の華として育てられてきました。
サザンカが、寒い地方に適応できるようになっても、花の姿は暖地に咲く花のままです。冬の冷たい風に当たると花は弱り、−5℃より気温が下がると防寒が必要になってきます。当然、山野に自生することはできません。
サザンカが本来自生できない地方でも、その地に根をおろしていけたのは、冬場になると、敷き藁を敷いたり冬囲いをしたりする植木職人、園芸技能士さんなどの働きがあったからです。サザンカは北国では人に保護され育てられた樹木なのです。
漱石の「童謡」ではないけれど、馬にパクリと食われる危険はもうないものの、気候だけは変えられません。
北国に咲く赤や白や桃色のサザンカたちは、
「相変わらずで、こん年も 寒いね」
「ああ、寒いね」
と言いながら、花を咲かせているに違いありません。(千)
◇昨年12月の「季節のたより」紹介の草花