mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

トルストイ流にみると・・・

 歳を重ねるということは、過ぎ去ったことにこんなにも責められるものか。
 誰もがそうだということではない。いつの間にか、過ぎた出来事が時をかまわず浮かんでくるので、つい「歳のせい」と思ってしまう自分のことだ。
 それも、このごろやたら浮かんでくるのは、おのれが夢中になった(と自分では思っている)教師の仕事のことであり、それも、在職当時、生甲斐とも思った仕事のエラーの数々が昨日のように次々と沸き上がってくる。なんたることだ。
 それがなんと、自分の問題だけに終わらず、現在の「学校教育」そのものの在り方にまで疑念をふくらませ、せっかくこんなにも生きる時間をもらったのに、それが息苦しい時間になり、自分としてはなんともやっかいなことになっている。

 これも、どうやら、おのれの「歳」に加えて、コロナ禍に関わって論議される教育問題までもが自分の過去のエラーに輪をかけているようだ。
 例のない学校休業がつづいているなかで「9月入学」が大真面目に論じられたり、大学・高校の入試の出題範囲うんぬんとか。今、「教育」について議論することはそういうことなんだろうか。どんな辛い時でも教育への希望をもっともっと語らなくていいのだろうかと、元教師はひとりで八つ当たり気味になっている。

 なぜそんな自分になったのだろう。よくわからないが、どうも、「子どもはみんな違うのに・・・」という当たり前のことを、ムカシより強く思うようになっていることが八つ当たりの理由の一つと言えそうだ。それをひとつの物差しにするゆえに、本来広々とあるべき「教育」という場が年ごとに狭くなり、それに異を唱える声も聞こえず仕事も見えてこないことがイライラを募らせているようだ。

 では、自分の現職時代はどうだったか。「子どもはみんな違う」「違う子どもたちが集まって一緒に暮らすから教室は意味があるのだ」と思いつづけ、それが教師としての何よりの楽しみだった。それなのに、今振り返ってみると、それは口先だけが多く、思い出す個々の子どもたちとの具体的な動きになっていなかったことが、次々と浮かんでくるので身の置き場がなくなってしまっている。そんな自分を、以前、この欄でちょっと触れたようにも思うが、3年生のⅯ君のことを例に振り返ってみる。

 彼の書いたある日の日記は、「今日は、〇〇と◇◇をしてあそびました」という感じのものだった。読んだ私は、いかにも仕方なしに書いた文に情けなくなり、「たいへんごくろうさまでした」と皮肉な一文を書いて、Ⅿ君に日記を返した。この文意が通じまいとかまわなかった。

 すると、それを読んだⅯ君が、間を置かずに「なんでこんなことを書いた!」と私につめよってきた。その様子を見て私は、(「ごくろうさまでした」と書いた私の意が彼に通じたんだ)と内心驚きながら、うれしくて彼にことばを返すことなく笑いつづけた。そんな私に呆れはてて(と思った)彼はそのまま自分の席にもどった。

 「トルストイが、『われわれがなしうるすべては、文をつくることにたいしてどのようにとりくむかを、彼らに教えこむこと』であり、その方法は、私は4つあると言い、たとえば第3として『第3(特に重要である)は、子どもの作文を検討するときには決してノートがきちんとしていることや、書法のことや、綴り字のことや、大切なことだが、文の組み立てのことや論理のことでもって生徒たちを非難してはならない』・・・と言っている」と、ビゴツキーは書いている(「子どもの想像力と創造」)。

 トルストイ流にみると、そもそもⅯ君の日記の私の読みがまちがっていたことになる。それなのに、皮肉なことばを書いて返すというとんでもないことをして、それが通じたと大いに喜んだのだ。なんとしたこと。

 しかし、Ⅿ君は諦めなかった。帰りの会で手を上げ、「先生はぼくを日記でばかにしましたが、先生、どうですか」と言ったものだ。言われた私は、素直に「すみませんでした」と詫びると、彼はそれで満足して腰を下ろし、このことはそれで終わりになった。

 それを今思い返すと、残念なのだ。私の大きなエラーになると思うのだ。彼のためにも、クラスのためにも、「いろんな子どもが一緒に暮らすから教室は意味がある」ことを口では言いながら、Ⅿ君との事件を私が喜ぶだけで、Ⅿ君のためにも、クラスの仲間たちのためにもそこから返すことなく、Ⅿ君のつくってくれた数少ない場を終わりにした。一つの日記をめぐって二重のエラーを重ねたことになる。せめて最後の締めをやっておればよかったのに。元教師は本当に情けなく思う。
おそらくクラスの仲間の多くは、Ⅿ君と同じように私の文を感じることができただろう。しかし、Ⅿ君のようにそれを私に言ってくる子どもは他にいなかったろう。それなのに、私はⅯ君の抗議を喜び、そして詫びるだけで終わりにしてしまった。全体にⅯ君のとった行動の大事さをあらためてⅯ君に話すことを通して彼のすばらしさを評価し、それをクラス全体のものにすべきだった。それが教師の仕事であろう。このようないい加減さがたくさん浮かんでくるのだ。
 
 朝日新聞6月27日の記事「フロントランナー」は「里親  坂本洋子さん(63歳)」の話だった。
 坂本さんは、実の親と暮らせない子どもを育てて35年が経った。迎え入れた子は18人。多くの子に何らかの障害があった。初めては偶然だったが、今は「ハンディキャップのある子を育てたい」と行政側に伝え、進んで受け入れているという。「何でって? 大好きだから」と言う。
 坂本さんは言う。ハンディのある子の成長はゆっくりで、足踏みしがちだ。だがふとしたきっかけで、目を見張るほどグンと伸びる時がある。驚き、心が震える瞬間。その喜びが、育てる自分に力を与えてくれる。「もう、健常児じゃ物足りないくらいよ」「『家庭』のせいで傷つけられた子の心は、『家庭』でふっくらさせてあげないと」。不変の信条の前には、血のつながりもハンディキャップの有無も、関係ない・・・と。

 私の今の情けないことをくだくだ並べ立てたが、坂本さんに完全に一蹴された。坂本さんは一番小さい5歳の子が成人を迎えるまでつづけると、生き生きと語っていた。
 現役は年齢ではなく心なんだな、おそらく。( 春 )