mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『達ちゃん先生』からの応援歌 ~ 子どもにとって発問は? ~

 学校が再開して2か月。授業づくりは、様々な困難があるでしょう。3~5月分の授業の遅れを取り戻しながら、新年度の授業を進めなければいけない苦労。しかし、焦らず、子どもの様子をよく見て、声を聴いて、気持ちを考えて、授業を進めていきたいものです。そこで、今回は授業における「発問」の問題を考えてみたいと思います。

 私は、角田小で3年間「読み取りを深める発問の研究」に取り組みました。その研究の上に2年間白石市の研究委員として「児童の『代理問』としての発問の研究」を行いました。私は、研究の責任者として、当時出版されていた発問に関する文献にはほぼ目を通しました。

 発問中心の授業に対する研究者の問題点の指摘をまとめると次のようになります。
 児童生徒を「発問待ち」にし、受け身にする。児童の思考を枠づけし、児童生徒を引き回す学習になりやすい。発問なしでは読めず、ひとり読みの力、読解力を育てない。

 そして、発問の在り方についての意見をまとめると次のようになります。
 発問は、児童生徒の「問いの先取り」「問いのモデル」「自問自答を導くもの」「問うことの力を育て鍛えるもの」「自己学習能力を育てるもの」として用意されなければならない。
 みなさんは、これらのことを意識して、発問を考え準備していますか?

 41年間小学校教師をしてきた私が思う発問の問題点は、「子どもにとって、発問は、テストである。」ということです。児童生徒からみれば、発問は、「答え」を知っている教師が、「答え」を知らない児童生徒に「問題」を出していることになり、教師から「答え」を求められていることになるのです。発問に対する「答え」が分かった児童生徒は目を輝かせ、張り切って手を挙げ、教師に向かって答えます。一方、「答え」がわからない「学習が苦手な」児童生徒はじっと下を向き、黙ってしまうことになってしまうのです。

 では、こうした状況を変え、どうしたら学び合うクラスに変えていくことができるのか。次回、この点について考えてみたいと思います。(達)