mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

学ぶとは生きること、世界を広げること ~ オレは幸せ者6 ~

 先日、Aさんから手紙をいただいた。Aさんは、30数年前に5年・6年と担任をしたK子さんの母親。手紙の内容は、Kさんの弟のT君の現在を知らせるものであった。
 脳性麻痺という病を負っているT君は養護学校で毎日を体の機能訓練をつづける。その一方で母親のAさんは、T君が子どもたちの仲間に入れるようにしながら、絵本の読み聞かせなどにも力を入れつづけた。話を聞いただけでも、Aさんだけでなく家族全員のT君を支える努力は想像を絶するものであった。
 私は一度だけT君に会っている。姉のKさんが6年生で、T君が4年生のときだった。
 Aさんから、「今、機能訓練だけではと思って、週の何日かは、私が自己流で、Tに文字の指導をしています。こんなことでいいものかどうか一度見ていただけませんか」という手紙をいただき、お宅をお邪魔したのだ。

 身体に力が入らないので、T君は車椅子以外はいつも寝たきり状態の生活になっている。
 お宅をお邪魔し、短時間、T君についての話をお聞きした。その後、寝ているT君に向かってAさんが、「T君、今日のお勉強しようね」と言うと、K君は起き上がって座った(自分の力だけだったのか、Aさんの介助で座ったかの確かな記憶はない)。
 座ったT君の膝の上に、Aさんは、ボール紙でつくったひらがなの文字盤を置いた。文字盤は、T君が右手を伸ばして届く範囲の大きさ。そのために、濁音・半濁音などの文字はなく、「゛」「゜」を置き、清音にこの記号を使う約束にしてあった。
 Tさんが「昨日は学校で何をしたの?」と聞く。すると、T君は一字ずつ文字盤の字を指で指していく。それをAさんはノートに書きとっていき、区切りでAさんが確認して次の問いをする。そばで見ていて、二人ともに相当な根気がいると思った。
 それが30分以上つづいたように記憶している。T君の様子からは、座っていることに特別我慢をしている感じは見えない。Aさんが、「じゃ、T君、今日のお勉強はこれで終わりにしようね」と言ったとたんにT君の身体は崩れるようにコロンと横になった。見ていた私は驚いた。T君の身体を長時間支えていたのは、まちがいなくAさんとの(勉強だった)と思った。

 この時の様子は今になるも私のなかに鮮明に残っている。
 その頃、私の教員生活はもう折り返しにきていた。時がそうしたのだろうか、やっと自分のこれまでが見え出してきて、過ぎた日々の取り返しのつかない数々の事実に頭を抱えていたころだった。
 教師なりたての頃は、「教科書を教える」のが自分の仕事で、それ以上のことは考えず、教室にはいろんな子どもがいることは頭にありながら、すすめる授業は教科書に忠実。その決まった色以外の色には目もやらないどころか、外れる子どもにはただただ大声を出す。その後サークルに参加するようになり、自分のそれまでの非に気づくようになるが、それからはサークルでのまねごとをして満足する自分がつづく。サークルで学び、教科書一辺倒ではなくなっても、子どもを見る目は広がらず、これまで同様「一色」であることは同じ、そこに入りきれない子どもたちに目もくれない。
 そのような自分をやっと考えられるようになった時には折り返し地点に近づいていた。それまでの間に私に置き去りにされた子どもたちはどんなに多くいただろうことか。
 林竹二先生は「教師にとって一番大事な能力というのは、うまく教えるということではなくて、いかに深く柔軟に学ぶことができるかということです。学ぶということは、自分を何度でもつくりなおすということです。自分を絶えずつくりなおさなければ、ほんとうに子どもに向き合うことはできません。~~ 教師の原罪の非常に大きな一つは、自分が変わろうとしないで、子どもにだけ変わることを求めるということです。」と繰り返し話されていたが、それがオレにも言っていることにやっと気づくようになったのだ。

 教科書を教える自分から抜け出そう。それに、よいテキストだからといって、それをただなぞることだけの自分からもなんとか抜け出さなければいけない。やっと真剣に思い始めていた。
 そのために、子どもたちの顔を浮かべながら、本屋にもこれまで以上に足しげく通うようになった。また、授業でオレができない部分を少しでも補い、子どもたちをつなごう。親たちにも教室を知らせて応援をもらおう。それらのために「学級便り」を発行しようとも考えた。
 こんなときT君に出合える機会をAさんにつくってもらい、「学び」が体を支えているのだという事実を目の前で見せてもらったということになる。AさんとT君に深く感謝しなければならない。

 いただいた手紙から、T君の今を付しておく。現在47歳。医療教育センターに入所し、パソコンでの単語の入力もできるようになり、Aさんとはがきの交換もしている(住所を書いたハガキをT君に届けている)。自力で年賀状も作ったという。いろいろなものへの興味は広がっており、電動車いすで自由に走行できるようにもなっている。それでも、車いすから降りると寝たきりだという。寝たきりは変わらなくても、T君の世界はどんどん広がっているという。こんなT君をたいへん喜んで知らせてくれた。オレもうれしかった。( 春 )