mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより49 タンポポ

  こどもたちのなじみの花
 授業で学ぶ「たんぽぽ」のひみつ
 
 陽光を浴びて、タンポポが咲いています。野原やあぜ道はもちろん、石垣や道路のアスファルトのすきまからも顔をのぞかせています。幼いこどもがいちばん最初に名前を覚えて友だちになる花。それはたんぽぽでしょう。

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 光を浴びて咲くタンポポ。語源は鼓を叩く音が「たん」「ぽぽ」など、諸説あります。

 タンポポには、もともと日本に自生している在来の日本タンポポと、明治以降に外国からやってきたセイヨウタンポポとがあります。日本タンポポセイヨウタンポポは、花の下の緑色の総包片(そうほうへん)で見分けることができます。

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 日本タンポポは(総包片が反り返らない)  セイヨウタンポポは(総包片が反り返る)

 日本タンポポは春になると花を咲かせますが、セイヨウタンポポは一年中いつでも花を咲かせることができます。セイヨウタンポポは日本タンポポに比べて、小さな種子をたくさんつくります。その種子は軽いので遠くまで飛ぶことができます。しかもセイヨウタンポポは受粉しなくてもクローンの種子をつくれるので、都市化した新しい環境にどんどん分布を広げていくことができるのです。
 日本タンポポは、セイヨウタンポポより種子の数が少なくても、受粉をして大きめの種子をつくり、昔の風景が残る自然の土地で生育しています。日本タンポポが生育する環境は、夏にはたくさんの植物が生い茂るので、その前に花を咲かせ種子をとばします。他の草が茂る前に葉を枯らしてしまい、根は休眠して暑い夏をやり過ごします。他の植物が枯れる秋になると、ふたたび葉を広げ冬をこして春に花を咲かせます。日本タンポポが春しか咲かないのは、日本の四季にあわせた生き方をしているからなのです。
 セイヨウタンポポが都市化した環境で一年中生育できるのは、他の植物が生えないからです。日本タンポポが生育しているような、多くの植物が繁茂する環境では、育つことができません。タンポポたちは、それぞれ自分たちの生育に適した場所で分布を広げています。日本タンポポよりセイヨウタンポポの数が多く見られるのは、それだけ日本の自然が都市化している証だといえるでしょう。

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    東北地方に見られる日本タンポポエゾタンポポです。

 東京書籍2年生の「こくご」に「たんぽぽ」(ひらやま かずこ ぶん・え)という教材があります。教材のもとになっているのが、かがくのとも傑作集『たんぽぽ』(平山和子・ぶん・え 北村四郎監修・福音館書店)です。この絵本は、身近に見られるセイヨウタンポポをとりあげ、平山和子さんの長年にわたる観察と写生をもとに、タンポポの生態のふしぎさ、そのたくましさなどをこどもたちに伝えてくれます。教科書の教材文は、その平山さんの書下ろしです。

 この教材でこどもたちと授業をしたことがありました。こどもたちを惹きつけたのは、タンポポの生態をきちんと説明している文章でした。

 一つの 花のように 見えるのは、小さな 花の あつまりなのです。小さな 花を 数えて みたら、百八十も ありました。これより 多い ものも、少ない ものも あります。この 小さな 花に、みが 一つずつ できるように なっています。

 タンポポはキク科の花で、小花がたくさん集まる頭状花という一つの花を作っています。こどもたちは、一つの花が小さな花の集まりとは思っていなかったようです。しかも百八十もあるとは。ひとりずつ小さな花にわけて数えてみたら、小さな花の合計は、百八十より多いものも少ないものもあります。文章に書かれているとおりでした。小さな花のねもとには実(種子)のもとになるものも見つけました。

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 タンポポの花は小さな花の集まり   小さな花に実が一つずつできる

 花が しぼむと、みが そだって いきます。みが じゅくすまで、花の くきは、ひくく たおれて います。みが じゅくして たねが できると、くきは おき上がって、たかく のびます。

 茎は無駄なエネルギーを使わないしくみになっているのです。このような事実は、よほど注意深くタンポポを見ていないと気づけません。この文章は、継続して観察すると見えてくるものがあることを、こどもたちに教えてくれました。

 晴れた 日に、わた毛が ひらきます。たかく のびた くきの 上の わた毛には、風が よく あたります。わた毛は、風に ふきとばされます。かるくて ふわふわした わた毛は、風に のって、とおくに 行く ことが できます。

 タンポポは背の高い方が風によくあたります。タンポポの茎を集めて「せいくらべ」をしてみました。原っぱで咲いていたタンポポは10センチ内外で背は低いのに、草むらに生えていたタンポポは30センチを超えるのもありました。タンポポは周囲の草たちより、上へ上へと背伸びをして綿毛をとばそうとしていたのです。こどもたちは「たんぽぽは、すごい!」と感心していました。

 2年生の「こくご」・「たんぽぽ」の学習の「めあて」は、「じゅんじょに気をつけて読む」です。この「めあて」どおりの授業をしてしまうと、こどもは飽きてしまいます。こどもを惹きつけるものは、「文章の組み立て方」ではなく、「書かれている事実の発見」のふしぎさやおもしろさなのです。

 教科書の教材文「たんぽぽ」と原本である絵本「たんぽぽ」を読み比べてみると、ずいぶん印象が違います。冒頭の文章はこんな感じです。

 たんぽぽを しっていますか。どんなところで みましたか。こんなところに さいていることもあります(石垣に生えている絵)。どうやって はえたのでしょう。
たんぽぽのはなは きいろばかりではありません。しろいはなもあります。

 文章は、優しい語り口で、「たんぽぽ」のひみつを一緒に探ろうとよびかけています。さりげなくタンポポの色にふれて、このページには、日本タンポポのひとつであるシロバナタンポポが描かれていました。

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 東北地方では、シロバナタンポポに似ている。頭花の白いウスギタンポポが見られます。

 絵本の魅力はなんといっても平山さんの長年の観察で描かれた絵にあります。優しくあたたかな絵ですが、実物に忠実で写真ではよくわからない細部まで描写されています。教科書にも同じ絵がさし絵として使われていますが、その迫力が違います。なかでも、タンポポの花を構成する小さな花の一つひとつが並んでいて、その一つがルーペで拡大されている場面にはひきつけられます。そして、4ページにわたり実物大に描かれた80センチをこえるタンポポの根の絵は圧巻です。
絵本は絵と文がお互いにひびきあい、読み手の心にはたらきかけてきます。タンポポのみごとな根の絵といっしょにならんでいるのが次の文章です。

 たんぽぽのねを ほってみました。ずいぶん ながいねです。
 はが ふまれたり、つみとられたりしても、ねは いきています。つぎつぎに、あたらしいはを つくりだします。
 ねを きって うえてみると、やがて はが でてきて、ひとかぶの たんぽぽになります。じょうぶな ねですね。

 教科書の教材文にあるのは、最初の1文だけです。後半の「ねを きって うえてみると、やがて はが でてきて、ひとかぶの たんぽぽになります。」の文章はありませんが、これを読むと、こどもたちはきっと根を切ってためしてみたくなるでしょう。自分の目で新しいタンポポの再生を確かめてこそ、タンポポのたくましい生命力を実感できると思うのです。

 もうひとつ、教科書にない文章がありました。

 ふゆのあいだ、たんぽぽは はを ひくく、じめんに ひろげていました。こうして つめたいかぜから はを まもっていたのです。
あたたかく なると、たんぽぽは あたらしいはを だして たちあがります。

 タンポポはロゼット状の葉で寒さに耐えて生き延びます。春に咲く花を準備する冬の姿に気づかせてくれる文章です。タンポポの一年の暮らしをまるごとみつめることで、タンポポの生きる知恵やたくましさが見えてくるのではないでしょうか。

 絵本の読み聞かせをしてみると、こどもたちの集中のしかたが違いました。絵本「たんぽぽ」には教科書の「たんぽぽ」にはない豊かさと迫力がありました。
 もちろん、教科書は限られたページがあり絵本のようにはいきません。それでも、教科書の教材文をあつかいながら絵本を生かすこともできますし、絵本をまるごと教材にする方法もあるでしょう。「たんぽぽ」という教材は、工夫しだいで、子どもたちを夢中にさせる授業がつくれるように思えるのです。

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春の野原に咲く草花たち。タンポポヒメオドリコソウナズナオオイヌノフグリ

 タンポポを教材に2年生のこどもたちと一年間取り組んだ実践が「カマラード」(宮城民教連発行)に報告されています。(大宮せい子・「タンポポの一年をみつめて」カマラード23号。・「実践報告 たんぽぽのかんさつ」カマラード30号)

 大宮さんが取り組んだ「たんぽぽ」の授業は3回。1回目は国語の教材文「たんぽぽ」をそのまま使い、2回目からは「絵本」を使って国語と生活科の合科的な授業をしています。絵本を使ったのは、「絵本の方が書き手の感情が入っているところが何箇所かあって子どもが知っている事実を発展させることができる」と考えたからのようです。例えば、冒頭の「たんぽぽをしっていますか。どんなところでみましたか。」という問いかけに、こどもたちは「知ってる。知ってる。がけ、あぜ道、いえのまわり、植木鉢、ベランダの下、コンクリート」と次から次へと話しだして、「たんぽぽが生えているところに必ず土がある」ことにも気づいたというのです。絵本の著者の語りかけがちゃんと子どもたちの心に届いているようです。

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 石段やコンクリートの間に根をはるタンポポ(わずかでも土があるのです。)

 大宮さんの授業は、回を重ねるごとに工夫され、作文、絵、タンポポの分布地図などの記録から、こどもたちがタンポポに夢中になっていく姿が伝わってきます。
 「たんぽぽ」の絵本は、書かれていることを観察で確かめたり、こどもたちが観察してきたことの「まとめ」に読んだりするというように使われています。
 自然界のタンポポと「絵本」を見続けているうちに、こどもたちは、自然界には絵本に書かれていることと違う事実があることに気づきます。
 絵本では、「あめのひや、くもりのひに、たんぽぽを みてごらんなさい。はなは、とじていて、はれてくるまで ひらきません。」と書かれていました。ところが、こどもたちがいろんな天候の日に観察を続けてみたら、曇っていても空が明るいとタンポポの花は開いていました。その開いた花にバケツをかぶせて数時間おくとすっかり閉じました。たんぽぽは気温よりも光に敏感に反応していたのです。
「みがじゅくすと、くきは おきあがって、たかく のびます。」のところのタンポポの茎の絵は、ぴんと伸びています。こどもたちの観察では、実際は咲いている場所や天気によって曲がった茎がありました。つまり、自然界のタンポポは、絵本では描ききれない多様な姿をしていることを、こどもたちは発見しているのです。すなおに自然をみつめ、考える子が育っていると思いました。

 こうしたこどもが育っているのは、大宮さんの授業に「子どもたちを自然と豊かにかかわらせ、生きものの美しさ、不思議さに目をみはらせ、考える子を育てたい」(カマラード30号)という明確な願いがあったからです。その願いで「たんぽぽ」という教材が選択され、合科という授業の工夫がされていきました。国語の「じゅんじょを気をつけてよむ」とか、生活科の「ごっこ遊び」や「活動主義」のなかでは決して育つことのない「学び」と「探求」の力が育てられたと思うのです。(千)

◆昨年4月「季節のたより」紹介の草花

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