井上靖に「十返肇のこと」というエッセーがある。それは、文学者仲間で中国に行った時、1ヶ月間同室だったことを思い出して書いた悼むことばだ。
「氏は容易なことでは他国の生活などになじまぬ生粋の日本人で、自分の好みを強く守って、絶対に妥協しない、職人かたぎとでもいうようなものを持った、今はほとんどなくなってしまった日本人のひとりであった。」
「招かれていったのだから、儀礼的な言葉もきかなければならなかったし、儀礼的な言葉も口から出さねばならぬ時もあったが、十返君は本当に厭そうで、気にくわないことはみんな口に出して言った。我慢していることができなかったのだ。私はそうした氏にはらはらさせられた。」
「しかし、その十返君が、接待側の人たちから一番親しまれ、一番愛された。通訳の若い大学生などもとかく十返君だけを取り巻きがちだった。持って生まれた地で押しきっていく偽りのない態度が、自然に中国の人たちにも理解され、美しくかんじられたからだろう。」
・・・と。
1957年のこととある。
日中関係を言おうとして抜き出したのではない。人間関係を考えたからである。本気で向き合うということが、しだいに少なくなっていることを寂しく思っているからである。
エッセーには書いていないが、「気にくわないこと」をストレートに言った十返は、気にくわないことだけを言ったわけではなかろう。その気にくわないことも、ただ自分の感情にまかせて言ったわけでもなかろう。このエッセーを私は、本気で、虚飾なく言う言葉は国境を越えて伝わった話と読みとる。
たとえ身近であろうとも、うわべだけの言葉が使われる場所には身を置きたくないなあ。