mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

あぁ~ごめんなさい。でも楽しみです!

 8月末の事務局会議は、今後の取り組みについて話し合いを行いました。その一つに、高校生公開授業があります。学びの場は学校だけではない。学校以外にあってもいい。学術文化の第一線で活躍されている方々と高校生たちとの出会いの場をつくりたい。1日だけでもいい、高校生に学びのジケンを起こしたい。そんな盛りだくさんの思いを持ちながら取り組んできました。
 ですが2020年1月の山極壽一さんによる公開授業を最後に、コロナ禍で大変な学校現場と感染者が出た場合の対応などを考えて、この間は実施を見送ってきています。8月末の事務局会議でも、まだ難しいだろうとの話になりました。

 そんな会議の後のことでした。以前に山極さんのブックレットをお求めいただいた東京のUさんからメールが届 きました。Uさんは、これまでもたびたびセンターの取り組みに関わる資料や情報を提供してくれている方です。今回はNHKの企画、それも山極さんに関わる企画の情報を教えてくれました(Uさん、いつもありがとうございます)。
 紹介いただいた企画は「NHKアカデミア」というものです。HPをみると、次のような呼びかけ案内文が掲載されていました。

 誰もがあこがれる各界のトップランナーたちが講師となり「若い人たちに最も伝えたいこと」をテーマに語りつくす講座番組「NHKアカデミア」。第7回・山極壽一さん(人類学者)のオンライン講座の参加者を募集します。
 霊長類、特にゴリラの長年の研究から、「人間とは何か」に迫り続けてきた山極さん。今回のテーマは、「ゴリラから見る暴力と戦争の起源」。地球生命の中でも、希有な「争い」を続ける人類は、何を学び未来へつないでいけばいいのか多角的に語っていただきます。
 山極さんに直接、質問できるコーナーもあります。あなたのアツい質問を添えて、ぜひご応募ください!

 高校生公開授業の思いとも重なるし、参加者募集というではありませんか。これをみなさんに紹介しない手はないと思いました。しかもテーマは「ゴリラから見た暴力と戦争の起源」、まさに今の世界状況を見すえてのテーマ設定という感じです。
 ですが、ここで謝らなくてはなりません。参加者募集の締め切りが昨日までだったのを見落としていたのです。何という不覚、ごめんなさい。落胆しましたよね。

 でも、ご安心ください。何しろ企画はNHKですから、もちろん放送されます。山極さんに直接質問はできないですが、山極さんの話はちゃんと聞けるはずです。えっ、放送予定日はいつかって? ちゃんと調べました。次の通りです。首を長くして待ちましょう。今から楽しみです。
 ただし、何かの事情で日程変更なんていうことがあるかもしれません。ですから、みなさんもご自身で確認しておいてくださいね。よろしくお願いします。

 2022年10月25日(火)午後10時45分~11時14分【Eテレ】
 ※再放送:10月31日(月)午後3時~【Eテレ】
                             (キヨ)

夏の出来事2題   替え歌と絵本

 久しぶりになるこのコーナーに、この夏、私が出会った2つの出来事について書いてみることにした。

 第1の出来事は衝撃的な替え歌。
 夏休みに入る直前、用事があって教育文化研究センターにでかけ、その帰りに駐車場に向かうところで、手荷物をいっぱい抱えた下校途中と思われる高学年の小学生の男子グループとすれ違った。
 すれ違う時に口ずさむ歌が聞こえてきた。曲は ♫ ぼくらは みんな 生きている 生きているから 歌うんだ ♫ の歌詞で有名な『手のひらを太陽に』なのだが、何と子どもたちの歌は・・・・・・!!

 ♫ ぼくらは みんな 生きてるが 生きている気が しないんだ・・・・・・♫

 ああ、この子たちは、約3年にもなるコロナ禍で、歌うことも 笑うことも 踊ることもできずに、3密をさけ、マスクを着用し、黙って給食を食べ続けることで、こんな替え歌を口ずさむようになってしまったのだなあと、胸が痛んだのだった。
 そして、昨年あたりからずっと気になっていたコロナ政策に疑義を抱くようになっていた。

・西欧ではとっくにマスク生活から解放しているのに、日本では依然と続ける謎。
武漢株に対応したワクチンを、コロナの種類が変わっても勧める謎。
PCR検査で判明する陽性は、イコールコロナ感染とは限らないのに推奨する謎。
PCR検査の説明書を参照すると、検出されるウイルスの例として、コロナウイル
 ス、RSウイルスB型、インフルエンザA型B型、マイコプラズマ肺炎、アデノ
 ウイルスなどで、どのウイルスかまでは判定できない。コロナウイルスの残骸も
 陽性がでるという話。

 マスコミは陽性者数を感染者数として報道し続ける。だから心配になってワクチンを接種する日本人。
 政府がワクチン接種を煽るのは、大量にワクチン会社から買いだめしたので打たせたい? だから無料でワクチン接種や無料のPCR検査を推奨しえいるのではと疑問が膨らむ。
 また厚労省の資料では、今年の6月6日から1ヶ月の感染者数約109万8千人で、その内訳がワクチン未接種者が14万6千人、ワクチン接種者が95万1千人と、接種者の方がコロナに感染していることを認めているのに、報道されない謎?
 さらには厚労省はマスク使用については緩める発表をしているけど、大人や教師がマスクを着用していては、子どもはマスクをはずす訳がない。などなど。

 海外に住んでいる2人の教え子たちからも、「先生、日本はどうなってんの? おかしくない?」とSNSでたずねられる始末です。
 子どもたちにこのような替え歌を歌わせているコロナ政策をもっと調べたいと思った。

 第2の出来事は高校野球と絵本。
 甲子園での仙台育英高校の優勝で、地元仙台は大会後1週間を過ぎても、テレビでは須江監督へのインタビューなどが放映される日が続いてます。
 どの番組でも取り上げられた監督の言葉は「青春はすべて密だから」でした。私は密なのは青年だけではない。保育園児や小学生だって、本来は『密』なんだ。それが全部禁止されているんだと共感しながら、監督の話に耳を傾けていました。

 その中でもう一つの話が、何と監督が1年前に選手たちに絵本の読み聞かせをしていたこと。ええっ、野球部の生徒たちに絵本の読み聞かせ?と一瞬耳を疑いました。私も高校野球球児だったこともあって、さまざまな全国の監督の話も聞いてきたが、絵本の読み聞かせをした高校野球監督がいることにびっくりしたのです。その絵本のタイトルが『あしたは きっと』
 実はこの絵本を、育英優勝の2週間前のお盆休みに東京から3年ぶりに遊びにきた孫たちに読んであげたばかりだったから、2度びっくりでした。

 私がこの本を知ったのは、通院している歯医者の待合室の書籍コーナーに、長崎県にある童話館出版という会社が絵本の新刊を紹介するパンフレットが置かれていて、その中から面白そうなのものを取り寄せていたのですが、3年前に購入した一冊が「あしたは きっと」だったのです。あまりにも偶然でびっくりした次第です。(仁)

研究センター、この夏のあれやこれや

 研究センターは、お盆の前後にしばらくお休みをいただきましたが、先週から気分も新たに再始動です。みなさん、今年の夏はどんな夏でしたか?

 昨年、一昨年は、コロナ禍で夏の主だった学習会や研究会は中止だったり延期だったりで、わりとのんびりした夏でした。
 ですが今年は、第7波のコロナ感染者増加にもかかわらず制限が出されなかったことや、この間のコロナ経験が蓄積された?のか、心配しつつも感染予防やオンラインなど工夫をしながら多くの企画や取り組みが再開されました。しばらく会えなかった友人たちとも対面でじかに会うことができ、コロナ禍とはいえ楽しい充実した時間を過ごすことができました。そんなセンターのこの夏の動きを、まさにDiary風に紹介・報告します。

 夏休みに入ってすぐの23日(土)、24日(日)は、去年はコロナで開催できなかった教職員組合の学習会に参加しました。しばらくぶりです。みなさん開催を待ち望んでいたのではないでしょう。多くの先生たちが集まり活気がありました。
 すこし前から研究センターでは部活動のあり方を含め、子どもたちの自治活動をどう教育活動として組んでいくのかが議論になっていました。学習会には教師の多忙化解消や部活動について新聞・マスコミなどで積極的に発言されてる内田良さんが講演講師とのこと。私と所長はもちろん、研究部長の久保先生も勇んで話を聞きにいきました。講演では、週の授業時数のなかに部活動を組み込み先生たちの多忙化解消も図ろうとする取り組みなども紹介されました。今後の議論の参考になる講演だったと感じました。

 翌週30日(土)は、午前中は研究部の取り組みについて協議、そして午後は、私たち研究センター主催の「夏休み こくご講座」。
 先週の組合学習会に続いての学習会となるため、参加者が集まってくれるだろうかとはらはらどきどきしましたが、約20名のみなさんの参加がありました。ありがとうございます。
 講座で取り上げたのは、4年生教材の「一つの花」。前半は講師の齋藤さんが文法的なことを丁寧に説明してくれました。後半は、文法的なことがわかると作品がどう読めるのか。次の2つの場面をめぐってさまざまな意見が出て、話し合いが深まりました。

【場面1】
 お母さんが、ゆみ子を一生けん命あやしているうちに、お父さんが、ぷいといなくなってしまいました。
 お父さんは、プラットホームのはしっぽの、ごみすて場のような所に、わすれられたようにさいていた、コスモスの花を見つけたのです。あわてて帰ってきたお父さんの手には、一輪のコスモスの花がありました。
「ゆみ。さあ、一つだけあげよう。一つだけのお花、だいじにするんだよう・・・。」
 ゆみ子は、お父さんに花をもらう、きゃっきゃっと、足をばたつかせてよろこびました。
 お父さんは、それを見てにっこり笑うと、何も言わずに汽車に乗って行ってしまいました。ゆみ子のにぎっている一つの花を見つめながら・・・・・・。

【場面2】
 それから、十年の年月がすぎました。
 ゆみ子はお父さんの顔を覚えていません。自分にお父さんがあったことも、あるいは知らないのかもしれません。
 でも、今、ゆみ子のとんとんぶきの小さな家は、コスモスの花でいっぱいにつつまれています。

 【場面1】では、「と」の文法的な使われ方を理解していると、この場面をどう読むことができるのかをめぐって。
 【場面2】では、「でも」という逆説の接続詞で結ばれた2つの文章から、どのようなことが読めるのか、見えてくるのかをめぐってでした。
 参加者からは「【でも】を深く話し合う過程が楽しすぎました。自分も深く考えることができたからです。」という感想をいただきました。

 1日空けて週明け月曜日の8月1日(月)~3日(水)は、臨床教育学会のみなさんと震災被災地域の学校関係者からの聞き取り調査と視察を行いました。震災直後からずっと続いている聞き取り調査です。今回は、南から福島の浪江、宮城の亘理荒浜・松島・石巻と調査に入りました。ちなみに私が運転できるのはベビーカーのみ。ということで、この3日間は目的地の最寄り駅までは交通機関を使っての移動で疲れました。でも一方で、ちょっとした旅気分も味わいました。
 これまでも聞き取り調査では、被災地域の実情を把握・知るとともに、臨床教育学会のみなさんからはセンターの取り組みや活動を考える上での多くの示唆とアドバイスをいただいています。

 このあたりで一息入れたいところでしたが、そうは問屋が卸しません。3年ぶりに開催された東北の先生方の学習会、東北民教研にも参加することになりました。
 記念講演は、多岐にわたるジャンルで著書を持ち、武道家であり思想家の内田樹さんでした。教育関係者や教育研究者とは違った視点・観点からの話で、昼食後の眠気も覚める講演でした。
 以上が、お盆休み前の主な取り組みでした。久しぶりに研究センターを飛び出して気分も一新、充実した日々でした。

 休み明けの先週は事務局会を開き、これからの取り組みについて話し合いました。みなさんの協力を得ながら、このコロナ禍でもできることを一つひとつ地道に取り組んでいきたいと思います。ご協力のほど、よろしくお願いします。(キヨ)

季節のたより106 センニンソウ

 雪を思わせる純白の花と実  クレマチスの原種

 詩「東岩手火山」は、宮沢賢治が農学校の生徒を連れて岩手山に登山したときの印象をもとに創作されたものです。その一節にセンニンソウ(仙人草)が登場します。

 ・・・・・・・・
 《雪ですか 雪ぢゃないでせう》
 困ったやうに返事してゐるのは
 雪ではなく 仙人草のくさむらなのだ
 さうでなければ高陵土(カオリンゲル)
 ・・・・・・・・・                (詩「東岩手火山」)


          雪を思わせる白さのセンニンソウの花

 1922年(大正11年)9月18日の3時40分。登山隊は岩手山の山頂をなす外輪山の一角に到着。詩の一節は、夜明けを待って最後の登頂をしようと待機しているときの賢治の心象スケッチです。詩のことばを読みとると、

 うっすらと白く見えるあれは残雪でしょうか
 いや 雪ではないでしょう(こんなに暖かいのだもの)
 (誰だろう) 困ったように返事をしているのは
 あれは雪ではなく、仙人草の草むらなのだ
 そうでなければ、高陵土(カオリンゲル)でしょう

という意味でしょうか。詩の前の部分に(わたくしはもう十何べんも来ていますが/こんなにしずかでそして暖かなことはなかったのです)の一節が見られます。この日は山頂でも気温が高く、残雪があるとは考えられなかったのでしょう。

 「高陵土」は「高嶺土」ともいい、古くから中国の景徳鎮付近の高嶺(カオリン:Kaoling)という産地の地名から名づけられた良質の粘土のことです。白磁などの陶磁器の原料とされてきました。そのカオリンをドイツ語風に語尾にゲルをつけカオリンゲルとしたのは、賢治の造語だろうと「定本宮沢賢治語彙事典」(筑摩書房)の解説にあります。
 センニンソウ(仙人草)はキンポウゲ科センニンソウ属の多年草で、白い花をたくさん咲かせるので遠くからみると雪のように白く見えるのです。


     花茎が枝分かれするので、たくさんの花を咲かせることができます。

 センニンソウは北海道から沖縄まで日本各地に分布、山野に自生するつる性の植物でクレマチスの原種といわれています。
 長く曲がりくねるようにつるを伸ばし、日当たりの良い平地や山野の道端、山地の繁みなどで、木立などに絡んで生育、繁殖しています。
 夏の暑い時期から初秋にかけて、葉の脇から伸びた花茎が枝分かれし、その先に純白の花を咲かせます。

 白い花は十字形。花びらのように見えるのは4枚のガク片です。花のなかを見ると、先に熟した多くの雄しべが放射状に突き出て並んでいます。中央に雌しべ。雌しべの柱頭も熟すと開き、花全体が打ち上げ花火のように華やかです。
 開花とともにキンモクセイに似た香りが漂います。涼しげで爽やかな雰囲気と甘い香りが一緒に楽しめるのが、センニンソウの花の魅力です。

 
   全体が花火のように華やか       放射状の雄しべと柱頭が開く雌しべ

 花には昆虫が蜜を求めて集まってきますが、キンポウゲ科のなかのセンニンソウ属は例外的に蜜を出さないといわれてきました。(「ニッポニカ」センニンソウ
 これに疑問をもった小豆むつ子氏(ひとはく地域研究員・植物リサーチクラブの会)が、センニンソウ属植物の5種について調査したところ、「センニンソウ・ボタンヅルは、従来から言われていたとおり蜜の分泌は確認されなかったが、ハンショウヅル・トリガタハンショウヅル・クサボタンは蜜の分泌が確認できた。蜜の分 泌が確認できた種は、いずれも釣鐘状で下向きに咲く花を持っており、蜜の分泌が確認できなかった種は、いずれも花が皿状で上向きに咲く花を持っていた。」と報告しています。(共生のひろば・6号 「センニンソウ属は本当に蜜を分泌しないのか?」2011.3月)
 考察では、「下向きの花は昆虫を呼び込むために多くの蜜を出す必要があり、上向きの花は昆虫を呼び込みやすく蜜を出す必要がないものと考えられる。蜜の有無は花冠の形に大きく影響していると思われた。」とありました。
 センニンソウは、蜜がないのにもかかわらず、ツマグロキンバエ・ベニシジミ・クマバチ・ハチ類などの多くの昆虫が訪れていたことも報告されています。
 センニンソウは蜜をつくるエネルギーを節約し、甘い香りだけで昆虫たちを誘い、昆虫たちはそれにうまくのせられているようです。

            センニンソウ属の仲間

     上向きの花(蜜がない)       下向きの花(蜜がある)
     
   センニンソウ      ボタンヅル  トリガタハンショウズル  クサボタン

 センニンソウは受粉を終えると実ができます。実は平たい卵型で初めは黄緑色、熟すと赤褐色に変わっていきます。
 センニンソウの実には銀白の羽毛のような綿毛がついていますが、これは花後に白い毛のある雌しべの花柱が成長したもの。この綿毛がセンニンソウ(仙人草)の名前の由来です。仙人の髭や白髪のように見えるからです。
 センニンソウの実は、果皮が薄く種子と一体化していて痩果(そうか)と呼ばれるものです。熟しても開かず種子をはじき出すことをしません。綿毛が風を受けるとそのまま遠くまで運ばれ、新天地で芽を出し分布を広げていきます。

   
 花後の雌しべの姿   綿毛は雌しべの花柱が伸び変化したもの  種子散布は風力

 センニンソウは、花の季節も銀色に光る実の時期もそれぞれ味わいがあって美しいのですが、じつは株全体に有毒成分を持っている有毒植物なのです。
 センニンソウにはおもしろい地方名が多数あって、例えば、ウマクワズ(馬食わず)は、本能的に動物は有毒を知っているということでしょう。ウシノハオトシ(牛の歯落とし)やウマノハコボレ(馬歯欠)などは、牛馬が口にすると大変なことになるから飼料にするな。ハッポウソウ(発疱草)、ハレグサ(腫草)は、人が葉や茎に触れると炎症を起こすので注意すべしと警告する名前。「有毒植物」とすぐわかる名は、庶民の生活の知恵から生まれたもの。みごとなものです。

 センニンソウによく似ている花に、同じ時期に花を咲かせている「ボタンヅル」があります。同じキンポウゲ科センニンソウ属の植物で、これもつる性の有毒植物です。花を見ただけでは違いがわからないほどよく似ていて、私も最初は区別がつきませんでした。

 
 ボタンヅルの花。センニンソウにそっくり。    ボタンヅルの実(冬)

 2つの花を見比べる機会はそう巡ってこないので、それらしい白い花を見つけたら、まず葉に注目してみましょう。ボタンヅルはその名のとおり、小葉が牡丹の葉に似ています。葉に切れ込みが入っていたらボタンヅル、入っていなかったらセンニンソウです。
 花ならば、雄しべとガク片の長さを比べてみます。雄しべがガク片より長く飛び出していたらボタンヅル、雄しべがガク片より短いようでしたらセンニンソウです。(ほぼ同じの場合もあります。)
 ほかにボタンヅルの花の色は薄いクリーム色、センニンソウ花の色は白とか、葉のつきかたや実の形もそれぞれ違っています。下に整理してみました。観点を決めて確かめると、見分けるのもそう難しくはないと思います。

     
花は白。雄しべがガク片   葉に切れ込み無い。   葉のつき方は3~7枚   実は平たい卵型。
より短い。         縁は滑らか。      の羽状複葉。           実の数は多数。

     
花はクリーム。雄しべが   葉に切れ込みある。     葉のつき方は1回    実は紡錘形。実の
ガクより長い。     (牡丹の葉に似る)    3出複葉。        数は多数。

 キンポウゲ科の植物は毒性があって、なかでもキンポウゲや特にトリカブトは一般に広く知られています。
 植物の毒成分の働きはさまざまで、人や動物が触れたり食べたりすると、炎症や中毒、嘔吐などの症状を起こし、時には死に至ることもあります。
 センニンソウを、特にこどもたちと一緒に観察するときは、毒性のあることを伝えて、口にしたり手に触れたりしないようにと伝えておきましょう。
 と同時に恐怖感をあおるだけでなく、人は昔から毒がある植物を上手に薬として利用してきていることや、自分から逃げることのできない植物が、毒成分を持つことで食べられることから身を守ったり、病原菌の感染を防御したりしていることを考え合いたいものです。


    毒草であることは、センニンソウが自らのいのちを守るしくみなのです。

 さて、冒頭の詩にもどります。
 うっすらと白く見えるものを、賢治は「雪じゃないでせう」といって、「仙人草」か「高陵土(カオリンゲル)」としています。
 岩手山の標高は2038メートル。開花の季節は間違いなくても、高山植物でないセンニンソウが、山頂近くに咲くものでしょうか。
 また、陶器の原料となる高陵土は、良質のものは国内では産出されず中国や韓国からの輸入に頼っています。賢治の生存中には、岩手県で産出されたカオリンは土畑鉱山と松尾鉱山のみ、その後も産出記録(「鉱物データーベース」)はありません。
 これらに疑問をもって、白いものはやはり残雪ではないかと推測している研究者(「東岩手火山」渡部芳紀氏)もいます。

 この詩の草稿とも思われる「心象スケッチ外輪山」(岩手毎日新聞・大正12年4月8日)を見ると、この部分は次のようになっていました。

 「雪ですか 雪ぢゃないでせう」
 「いいえ」(困ったやうに返事をしてゐる)
  雪ぢゃないのだ、仙人草の草だらうか
  さうでなければ カオリンだ        (詩「心象スケッチ外輪山」)

 「『いいえ」』(困ったやうに返事をしてゐる)」のは、生徒なのでしょう。先生も「雪ぢゃないのだ」と言ったものの、「仙人草」や「カオリン」かの確信はないようです。

 賢治は外輪山に到着し、夜明けを待って登頂をめざす間、生徒たちにこうよびかけていました。
  
 さあみなさん ご勝手におあるきなさい
 向うの白いのですか
 雪じゃありません
 けれども行ってごらんなさい
 まだ一時間もありますから            (詩「東岩手火山」)
                    
 「『いいえ」』(困ったやうに返事をしてゐる)」のところは、このとき確かめにいった生徒が、(先生は雪じゃないと思い込んでいますが、本当は雪でした)と言っていいものかどうか、戸惑っているようによめます。
 白いものは何かを最後まで確かめたようすはなく、詩「東岩手火山」では、

 雪ではなく 仙人草のくさむらなのだ
 さうでなければ高陵土(カオリンゲル)       (詩「東岩手火山」)

 と確信ある表現に変わっています。

 自然科学者で地質にも詳しい賢治が、センニンソウの生育環境や高陵土の産出地を知らなかったとは思われません。でも、詩人は作品の中で、時として、言葉による魔術師になります。詩は観察記録とは違い、思いやイメージを言語化することによって、一つの宇宙を創出します。
 賢治は、夜明け前の銀河が光る岩手山の光景にふさわしいものとして、夏のなごりに消え残る残雪ではなく、純白をイメージさせるセンニンソウ白磁をイメージさせる高陵土(カオリンゲル)の言葉を選択したのではないでしょうか。
 実際に存在しているかどうかではなく、賢治の詩人としての美的感性が、これらの言葉を選択し、詩「東岩手山」というひとつの宇宙を創生させたのではと考えてみるのです。真夏の夜の夢想ですが。(千)

◇昨年8月の「季節のたより」紹介の草花

『うさぎ日記』より ~ オレは幸せ者10 ~

 うさぎが、みんなの友達だったころの話

「子どもたちの健やかな成長と個性豊かな発達を願って」を設立趣旨の冒頭に掲げて出発し奮闘しているセンターの貴重なページを、趣旨とはおよそ縁遠いもので埋めるのは申し訳ないが、以下、「オレは幸せ者」の閑話休題編としてお許し願いたい。

 自分に残る時が「秒読み」に入ったことを自覚するようになってから、少しずつ身辺整理をしているつもりだが、未だにその跡が見えない。片付けながら目的を忘れてついつい読んでしまい、昔を思い出すことの繰り返しがつづくからだ。
 先日も「うさぎ日記」と名づくプリントを手にして読んでしまい、読むだけで終わらず、ウサギのその時々のことを自分たちのその時々に合わせていろいろ思い出してしまう。この調子での片づけはいつ終わるかまるっきりわからないことに気づき焦るのだが、また同じことを繰り返してしまう。
 今回の「オレは幸せ者 10」を「閑話休題」とさせていただくのは、その「うさぎ日記」についてである。

 オレの最後の勤務校はK小学校。あるとき、仲間のAさんが、駐車場そばの空き地に、どこかのゴルフ場から、使い古しのネットをもらい、柱にする廃材を集め、ひとりで広い遊び場を作った。だれのため? そこに放されたのはウサギ数匹。入口のドアは鍵なし。子どもたちの出入りは自由。誰言うとなく「ウサギランド」の名称がつく。ウサギは穴を掘り、子を産み、その数はどんどん増えていった。オレの記憶では、最高時には80匹超。それ以上に増えなかったのは広さが数を決めたのだと思う。いつの間にか、餌を全校で考えなければならなくなる。
 その「ウサギランド」も年が経つにつれてあばら家になり、ネコその他がうろうろするようになった。それを見かねた教頭さんと技師さんが時間をつくってはウサギランドの改修を始めたのだ。これが、「うさぎ日記」の書かれた年になる。改修に関する部分を「日記」から拾ってみる。

9月23日 天気 快晴
 昨日、突然積み上げられた立派な材木は、私たちのウサギランド新築のための柱にするものだということを知った。いつも朝、立ち寄ってくれる、あまり豊かには見えない男の先生が驚きの声を上げていたのだ。
 なんでも、4寸角の柱が4~50本、カガさんという方が届けてくれ、その男先生の家の柱より太いので、できたら、家に持って行って取り換えたいとまで言うのだ。
 そう言えば、かつて、日本人の家は「ウサギ小屋だ」と、誰かが言ったとか言わなかったとかを耳にしたことがある。その時は、私たちを粗末に扱っていながら、なんということを言うのだろうと腹を立てたものだった。でも、何十年と働いたに見えるその先生の家の柱より太い柱で、私たちの家をこれから造るという。
 どんな家が建つのだろう。だれが造ってくれるのだろう。
 そんなことを考えるだけでワクワクするなあ。もうウサギ小屋なんて、笑いの材料にはさせないぞ!


10月11日 天気 晴れ
 2時半、ウサギランド上棟式ということで、先生たちと子どもたちが集まった。昨日までに、すべての柱が据え付けられたのは、この式のためだ。柱や土台のそちこちに水がまかれた。サケの匂いがした。旗も立てられた。サカキが何回も振られた。
 そんな様子を見ていると、ウキウキしてくる。どんな棲家がつくられるんだろう。
 集まった子どもたちは,先生たちがつくったつきそこないの餅を喜んで食べていた。
 学校のみんなが、新しくつくられる私たちの家を、こんなに喜んでくれるなんて、本当にうれしくなる。

10月31日 天気 晴れ
 待ちに待った移転の日だ。3時半、突然、たくさんの人たちが集まった。子どもたちや先生たちにつかまれて新しい部屋に移ったが、気分は最高だ。穴もあるんだが、自分で掘らなければ。ただただ食べているだけになるから、穴はやっぱり自分たちで掘らなくちゃ。
 私たちが移り終わった後、古いこれまでの部屋は、あっという間に片付けられてしまった。

 「うさぎ日記」より、「ウサギランド」新築移転に関する部分だけを抜き出したが、そもそも、この「うさぎ日記」は、1995年4月から12月にかけて、オレが、時々、「ウサギランド」でウサギから聞き取りをしたものをまとめたものである。ウサギたちは競って聞き取りに応じてくれた。学校全体に大事にしてもらっているから、話したいことが山ほどあったのだろう。
 せっかくみんなお礼の気持ちでしゃべってくれたものをオレだけのものにしてはいけない。それに、彼らの話には、固有名詞もたくさん登場していたのだから、いつの日か、子どもたちまでは無理としても、同僚には伝えなければと思っていた。
 それを、忘年会場で、当番でもあるオレが、聞き取りをまとめてみんなに伝えようと思いつき、忘年会の日、朝から教室にこもってまとめたのが、この「うさぎ日記」だ。
 ただ、残念なことは、忘年会の日に思いつき始めた作業で時間がまったく足りない。ウサギたちが競ってしゃべったものなのに、聞き取りのほんの一部だけになってしまったことは甚だ残念だ。「オレの話したことが少しも入っていない」などと騒がれてはと、ウサギたちにはこのことを知らせていない。

 オレは翌年の3月退職。風の便りで、「ウサギランド」は解体し、立派な立派な網戸のウサギ小屋が造られ、何匹かのウサギが住んでいると耳にした。しかし、オレにはまったく興味がないので未だ見ていない。
 個人的関心で言えば、まるでしょっちゅう動く「キョウイクカイカク」と同じに思えるのだ。( 春 )

夏休み明けに向け、いろんな学習会が行われます!

 ここ2年ほどは、コロナ禍で夏の研究会や学習会が思うように開催できずにきていましたが、今年の夏はコロナ対策など工夫をしながら、さまざまな研究会や学習会が行われました。お盆明け後も、今週末からさっそく夏休み明けの授業や取り組みに向けての学習会が行われます。

 今週末(8月20日)には、宮城作文の会とオールドマロンの共催による「作文教育入門講座」と、学校体育研究同志会宮城支部主催の「体つくり運動指導法講座」が、それぞれ行われます。
 また次週末(8月27日)には、宮城生活指導研究協議会主催の学習会も行われます。詳しい内容や参加についてのお問い合わせは、各チラシにある主催団体にご連絡ください。よろしくお願いいたします。

忘れえぬ先生の姿をさがして

 先月、diaryでの素敵な出会いについて書きましたが、 “ これは教育・子育てに関わるセンターならでは ” と感じる出来事を思い出しました。

 それは、しばらく前のことになります。センターに一本の電話がかかってきました。「そちらのホームページにある『カマラード』という本のなかに、小学校でお世話になった先生が書かれたものを見つけたのですが、見せてもらうことはできますか」と。そして「よければ、これから伺いたいのですが?」と言うのです。

 突然の話でしたが了解すると、センターにきたのは20代後半と思われる若者でした。一人で来るのはちょっと気がひけたのか、友だちと一緒でした。
 聞けば、その先生にお世話になったのは、小学4年の時とのこと。6年卒業時の担任なら何となく合点がいくのですが、4年生と聞いて逆に、その先生とのどのような忘れられない出来事や思い出があるのだろうと大変気になりました。いつもの私なら臆することなく、そのことについて聞いたと思うのですが、この時は何も聞きませんでした。聞いてはいけないような気がしたのです。
 東京で仕事をしている彼は、ちょうど仙台に帰省中だったそうですが、またすぐ東京に戻らなければならないと、先生の文章のコピーをとると早々に帰っていきました。

 なぜ彼が小学4年の時の担任の文章を探し求め、そして読みたいと思ったのか、その理由はわかりません。しかし彼にとって、その先生が今この時、何らかの理由で必要であったことは確かなことのように思います。だからこそセンターにまで尋ねて来たのです。彼のなかでは、今もその先生の存在が必要だったのでしょう。

 今は教師の力量やあり方がいろいろと問われる世の中ですが、教師の評価というのは担任しているその時だけにとどまらない、一筋縄ではいかない難しいものだと思うのでした。そしてまた、だからこそ教師の責任は重く、魅力的だともいえるのでしょう。(キヨ)