mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

忘れえぬ先生の姿をさがして

 先月、diaryでの素敵な出会いについて書きましたが、 “ これは教育・子育てに関わるセンターならでは ” と感じる出来事を思い出しました。

 それは、しばらく前のことになります。センターに一本の電話がかかってきました。「そちらのホームページにある『カマラード』という本のなかに、小学校でお世話になった先生が書かれたものを見つけたのですが、見せてもらうことはできますか」と。そして「よければ、これから伺いたいのですが?」と言うのです。

 突然の話でしたが了解すると、センターにきたのは20代後半と思われる若者でした。一人で来るのはちょっと気がひけたのか、友だちと一緒でした。
 聞けば、その先生にお世話になったのは、小学4年の時とのこと。6年卒業時の担任なら何となく合点がいくのですが、4年生と聞いて逆に、その先生とのどのような忘れられない出来事や思い出があるのだろうと大変気になりました。いつもの私なら臆することなく、そのことについて聞いたと思うのですが、この時は何も聞きませんでした。聞いてはいけないような気がしたのです。
 東京で仕事をしている彼は、ちょうど仙台に帰省中だったそうですが、またすぐ東京に戻らなければならないと、先生の文章のコピーをとると早々に帰っていきました。

 なぜ彼が小学4年の時の担任の文章を探し求め、そして読みたいと思ったのか、その理由はわかりません。しかし彼にとって、その先生が今この時、何らかの理由で必要であったことは確かなことのように思います。だからこそセンターにまで尋ねて来たのです。彼のなかでは、今もその先生の存在が必要だったのでしょう。

 今は教師の力量やあり方がいろいろと問われる世の中ですが、教師の評価というのは担任しているその時だけにとどまらない、一筋縄ではいかない難しいものだと思うのでした。そしてまた、だからこそ教師の責任は重く、魅力的だともいえるのでしょう。(キヨ)