mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより97 フデリンドウ

  春咲きのリンドウ 雨粒を利用し種子を散布

 春の日ざしが地面を照らして、草木の種子たちの芽吹きが始まりました。その芽吹き前に、陽の光を浴びて空を仰ぐように咲き出している花がありました。
 リンドウの花に似た小さな花です。リンドウといえば秋のイメージですが、これは春先に咲くフデリンドウの花です。
 冬の間、茶色だった地面が、青紫色の花で明るく華やかになりました。

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  フデリンドウの花が、枯れたアジサイのがく片をとり囲んで咲いています。

 フデリンドウはリンドウ科リンドウ属の越年草です。北海道から九州にかけて日当たりの良い草原や林縁、落葉樹林などの林床に自生しています。やや乾いた明るい環境を好み、低地から山地まで広く見られる花です。

 秋に咲くリンドウ(季節のたより15)は、漢字で「竜胆」あるいは「龍胆」と書きます。中国では古くから漢方の胃腸薬として熊の胆嚢を干した熊胆(ゆうたん)が珍重されていましたが、リンドウの根にも、熊胆に劣らぬ苦みと効能があるとして、竜胆(りゅうたん)という名で利用されてきました。日本ではその竜胆(りゅうたん)の音読みが、いつの間にか転訛してリンドウ(竜胆)と呼ばれるようになったといわれています。

 春に咲くフデリンドウの名は、つぼみや花を閉じた状態がちょうど筆の穂先を思わせるのでその名になったといわれています。秋に咲くリンドウや夏から咲き出すツルリンドウ(季節のたより40)などのリンドウ科の花も、同じようにつぼみが筆の穂先のようになります。フデリンドウだけが特別に似ているわけではないのですが。

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    地面から芽を出したフデリンドウ       筆の穂先のようなつぼみ

 フデリンドウは 芽吹いてすぐつぼみをつけます。でも、背丈が低く、近くにあってもわからず、花が咲いて初めて気がつくことが多いのです。
 葉は花より小さく、茎の各節から2枚ずつ向き合って(対生して)出ています。

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     花開いたフデリンドウ 小さいけれどすっきりした立ち姿

 花は3月から5月頃まで見られます。茎の上に小さな細長い釣鐘型の花を、上向きに数輪咲かせます。花は花びらが根元で1つになっている合弁花で、長い花びらが5枚と、短い花びらが5枚でできています。開花した花を見ると、5本の短い雄しべが、中央の長い雌しべに寄り添うようについています。

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    花の横顔          フデリンドウの花を上から見ると。

 花の色は青紫色系と青色系があるようです。春先の虫たちは、花の色に呼び寄せられて集まってきます。見ていると、ハナバチやツリアブの仲間がやってきて、花のなかにもぐりこんでいました。
 フデリンドウの花は、光にとても敏感で、陽に当たると開花し、曇りの日や夜は閉じています。虫たちが活発に活動する時間に花を開き、あとは閉じて無駄なエネルギーを使わないようにしているようです。上向きの花なので、雨風で花が痛んだり花粉が劣化したりするのを防いでもいるのでしょう。
 なかには、天候にかかわりなく開花しているものもいます。自然界に生きる野生種はどれも一様ではなく、生存に最も適した花の開閉運動ができるような能力を、進化の過程で身につけているのかもしれません。

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    群生はあまりなく、多くは点在して生えています。   一本に数輪の花をつけます。

 秋に咲くリンドウの花は、 花が終わった後にさや状の実ができます。蒴果(さくか)といって、熟して茶色になるとさやの下部が裂けて、風の吹く日に翼のある種子が飛ばされ、散布されるしくみになっています。フデリンドウもこれと同じしくみだと思っていました。ところが、まったく違っていたのです。

 フデリンドウは花が終わると、垂直に立った紡錘形の実ができます。この実が熟すと、先が大きく2つに裂けて、天に向かって盃状に口を開いたようになります。口のなかにたくさん入っている小さな茶色の粒のようなものが、種子です。

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    フデリンドウの実       熟すと開いて盃状になります(中にあるのが種子)

 フデリンドウの紡錘形の実は、花の時期とは反対で、天気のいい日は閉じていて、雨の日になると盃状の口を開きます。ポツリポツリと雨が降ってくると、その雨粒がなかの種子を弾き飛ばします。残った種子は、盃状の口に貯めこまれた雨水が溢れるときに一緒に洗い流され、地面に散布されるのです。種子が流れやすいようにと、盃状の口の両側には切れ込みが入っています。
 雨上がりに行ってみると、降る前にびっしり入っていた種子は、からっぽでした。

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 びっしり詰まっていた種子     雨上がり、種子は流れ落ちていました。

 雨によって散布された小さな種子は、親元の近くに留まることなく、流れにのって遠くまで運ばれていきます。
 フデリンドウの生育に適した環境は、冬から春にかけて地面に光のあたる土地です。明るい草原や適度に草刈りなどが行われている里山周辺であれば、新しい環境で芽を出し花を咲かせることができるでしょう。
 フデリンドウの種子ができるのは、梅雨の季節です。種子の散布にもっとも効果のある季節に合わせて結実しています。偶然とは思えず、フデリンドウの意志や知恵のようなものを感じて、不思議な気持ちになります。

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 フデリンドウ一粒の種子が、この地にたどり着き、発芽し花を咲かせました。

 秋咲きのリンドウと春咲きのリンドウの種子の散布の違いは、それぞれの花の一生と深く関係があるようです。その生活史を比べてみました。

 秋に花を咲かせるリンドウには、里山で普通に見られるリンドウと高山に咲くエゾリンドウやエゾオヤマリンドウがあります。

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    リンドウの花        エゾオヤマリンドウの花(蔵王連峰

 秋咲きのリンドウの種子は、春に発芽し成長します。秋にはいったん葉が枯れて休眠し、翌年の春に芽吹いてさらに成長して、その年の秋に花を咲かせます。発芽して花を咲かせるまで2年かかります。
 花の直径は4㎝から5㎝ほどで、背丈も30㎝から1mほどあります。春に咲くフデリンドウより花も背丈もはるかに大きくなります。それは、秋に咲くまわりの野草たちの背丈も花も大きいので、対等に大きくならないと光合成の競争に負けて生きていけなくなるからです。
 花は9月頃から咲き出し、秋遅くまで咲き続けています。他の草花たちの間から背伸びするように立ち上がり、青紫色から濃い青紫色の花を目立たせ、受粉のために虫たちを呼び寄せ実を結ぶのです。
 種子ができるのは晩秋の頃、ちょうど台風や木枯らしが吹き荒れる時期です。種子は、先に述べたように、風の力をかりて散布されます。
 冬が近づくと、その年に花を咲かせた地上部が枯れてしまいます。地下には根が残り、翌年からは、その根から芽吹いて毎年花を咲かせます。

 春に花を咲かせるフデリンドウの仲間には、ハルリンドウやコケリンドウがあります。県内ではコケリンドウとフデリンドウは見られますが、ハルリンドウはすでに絶滅していると考えられています。(宮城県植物誌2017 宮城植物の会)
 蔵王連峰栗駒山の湿原には、初夏にハルリンドウの変種で高山型といわれているタテヤマリンドウが花を咲かせます。この時期に湿原を歩くと、雪解けに芽を出し始めた高山植物たちにまじって、小さな薄青色の花が顔を出しているのに出会えるでしょう。

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  タテヤマリンドウの花(栗駒山)   その立ち姿     その実と種子

 春咲きのリンドウの種子は、秋に発芽し成長します。そのまま厳しい冬をのり越えて、春先にすぐに花を咲かせます。
 春咲きのリンドウの花の直径をみると、コケリンドウ(約1㎝)、フデリンドウ(約2㎝)、ハルリンドウ(約3㎝)で、背丈も2㎝~3㎝ほどです。秋咲きのリンドウの花とは比較にならないほど小さな花です。
 その小さなリンドウたちは、他の草花と競争しなくていいように、他の草花がまだ芽を出す前に、いち早く花を咲かせることで実を結んでいます。
 フデリンドウやコケリンドウの種子は、梅雨の時期にあわせて種子散布を行っています。夏に花を咲かせるタテヤマリンドウは、夏山の夕立ちや雷雨が種子散布のチャンスになっているのでしょう。
 種子をつくり散布を終えると、春咲きのリンドウたちは、秋になる前に枯れて一生を終えます。次の世代の種子たちは、夏の間は休眠し、秋が来るとさっそく芽生えて春に花咲く準備を始めるのです。

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越冬しすぐ花を咲かせます。   春を咲き急ぐフデリンドウは、葉より花が大きい。

 秋咲きのリンドウの仲間は発芽したあとゆっくり成長し、背丈も大きくなり、何年も花を咲かせます。一方、春咲きのリンドウの仲間は小さいまま咲き急ぎ結実してその命を終えます。同じリンドウ科リンドウ属の花でありながら、その生活史は異なり対照的です。野草たちがこの地上でそのいのちをつなぐために、花を咲かせる時期を選び、めぐる季節の環境に適応しながら生き抜いていることを、リンドウの花たちの暮らし方からも見えてくるのでした。(千)

◇昨年4月の「季節のたより」紹介の草花

『偶然と想像』と、何度でも

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 『偶然と想像』第3話のタイトルは、「もう一度」。

 夏子(占部房子)は、高校時代の友人に会うことを期待しながら仙台で行われる高校の同窓会に参加する。しかし思いは叶わず、翌日がっかりして帰京へと向かう仙台駅のエスカレーターで、あや(河井青葉)とすれ違い、二人はあわてて駆け寄る。20年ぶりの再会に興奮を隠しきれず話し込む二人だが、やがて想像し得なかった変化が訪れる。

 映画を観て、幼稚園の子どもたちと劇づくりをしていたときのことを思い出していた。子どもたちと取り組んだのは「三年寝太郎」。劇のなかのセリフや動きも子どもたちと一緒に考えつくって楽しんだ。そんなある日の朝、ミツオが村人の昼飯を家でつくってきたと、大きくて立派な握り飯を見せながら劇のなかで使いたいと言う。ミツオの劇づくりへの思い入れの強さに気押されて、あまり深くも考えずに頷いた。しかし、それはすぐ浅はかだったと後悔した。というのも三年寝太郎の住む村は、日照りで米がとれず困っているのだ。その村人が立派な握り飯を食べるというのはどうみてもおかしい。どうしようかとも思ったが、子どもたちが喜んで使っている姿を見て結局なにも言わず、そのまま使うことにした。職場の同僚や劇の会(劇づくりの最後に保護者にも見てもらう会)を見に来た保護者に気づく人があるかもしれない。でも、それはそれでいいと半ば開き直った。

 それからしばらくしてのことだった。朝、教室で一日の活動の準備をしているとミサとノゾミが絵本をもってやってきた。二人は絵本を見せながら《村人は、おにぎりを食べてない。お芋を食べている》と言うのだ。彼女たちは、村人が立派な握り飯を食べるのがおかしいことに気づいたのだ。握り飯の矛盾をはっきり言語化したわけではないが、子どもはすごい!と感心した。問題は、二人の思いを受け止めつつどうするか? 一番はミツオの気持ちだと思った。ミツオは自分が作ってきた握り飯をクラスのみんなが喜んで使ってくれていることを誇らしく思っている。さらにミツオは、人一倍こだわりが強い。握り飯を使うのをやめることになったら、それを受け入れられるだろうか。そんなことを思いながらも、やっぱり子どもたちに聞くのが一番と、思い切って朝の集まりで話をすることにした。私の心配は杞憂に終わった。まったく問題なかった。ミツオはお芋でいいと、ごねることもなくすんなり受け入れた。それどころか、クラスのみんなで(小道具の)お芋をつくろうと張り切った。張り切りすぎて、今度はどれだけ腹いっぱい食べても大丈夫なぐらいの芋ができあがった。

 なんでこんなことを思い出し、そして書いたのか。それは、演じることで見えてくることがあると感じたから。子どもたちは、何度も何度も三年寝太郎ごっこを楽しんだ。寝太郎になったり村人になったり、寝太郎をからかう子どもになったりしながら楽しんだ。その中で、子どもたちは先の話に引きつけて言うなら、自分たちの演じている村人が、大きくて立派な白いまんまの握り飯を食べることのおかしさに気づいたのではないか。そう思ったからだ。演じることで見えてくるもの、わかってくることがある、そう感じたのだ。そして映画は、そんなことを私に思い出させてくれた。(キヨ)

前川喜平氏、三たびあらわる!

 前川喜平氏、夜間中学を語る

  日 時:4月16日(土)午後2:30~4:30
  ところ:仙台市シルバーセンター7F  第1研修室
 
参加費:500円

【参加申し込み先】 以下までご連絡下さい。
 
e-mail:m.yachuken.@gmail.com
   080-6053-8618(佐藤)

 なお、コロナの感染状況によっては、延期・中止せざるを得ないこともあります。ご了承ください。 

 元文科省事務次官の前川さんをDiaryで取り上げるのは、これで3回目です。今回は、「みやぎ夜間中学研究会」のみなさんの主催で、夜間中学についての講演会です。

 前川さんは、現職時代から公立の夜間中学校の増設に取り組んでおり、自らもボランティアで「福島駅前自主夜間中学」のスタッフとして活動されています。
 講演では、ご自身の体験にもとづいた話や今後の方向性などについてお話しいただく予定です。ぜひ、興味関心のある方はご参加ください。

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未知なる存在としての子ども ~ オレは幸せ者4 ~

 私は初任校の3年後中学校に転勤、そこで8年間過ごし、その後は退職まで小学校で過ごした。中学校で同僚に恵まれたことについて前にふれたが、生徒にもたいへん恵まれた。彼らとの付き合いから、彼らに内在するさまざまな力に驚かされることが多く、彼らとの交わりを通して、一人ひとりとの人間としての向き合い方についてたくさんのことを学び、己の人間観を変えることを迫られる場に立たされることが何度もあった。ここでは、思い出す多くの中から、まず2つのことを書いてみる。

【その1】
 中学の2年目は学年持ち上がりで3年生担任になった。春の大きな学年行事は東京方面への修学旅行だったが、自分にとって今も忘れ得ない出来事が1つあった。それは、出発前のクラスでのグループ分けのときのことだ。

 グループつくりにあたって私は、「あなたたちの楽しみにしている旅行なのだから、グループ分けなどは当然自分たちで決めなさいよ」と話した。生徒たちは喜んで、さっそく、学級委員Kの司会で話し合いが始まり、あっという間に「組みたい者たち同士で組む」ということに決まった。そうなるだろうと思っていたが、内心そう決まることを私は恐れていた。理由は、夜尿症でおとなしいMの行き場についてだ。Mに「組もう」と誘ってくる者ないだろうし、おとなしいMから「入れて」と言うこともまず考えられないからだ。それが心配だったのだ。「組みたい者同士で組む」ことに決まって、周りは喜んでワーワー言っている。そこに私が名前をあげて口をはさむことは到底できない。

 司会者のKは、会の終わりに「ほかに話し合うことはないか。なければ話し合いはこれで終わるので、あとはそれぞれ集まってグループをつくれ。それからMは、オレの班に来い!」と言って会を閉じたのだ。私は大いに驚き、ホッとした。Mに目をやると、Mの顔が和らいで見えた。私の体から力が一気に抜けた。
 それにしても、Kは私の危惧を見ぬいていたわけではない。グループ分けのときのMを心配し、司会である自分が、その場を利用して先手を打ったのだろう。私は、(中学生って、なんて凄いんだろう)と思い、ただただ驚いて眺めていた。グループ分けはあっという間に終わった。

【その2】
 野球バカの私は、希望して野球部担当になった。土日もめったに練習を休まなかった。それでいて、秋の新人戦が終わり、オフに入るや、野球部の連中が多かったように記憶するが、山が霧氷になるまで、毎土日と言えるほど船形山に登りつづけた。
 バスの終点から登山口のキャンプ地までダラダラとした登り坂を2時間以上を歩く。それから背負ってきたテントを張り、夕食をつくり、翌日の夜明けとともに登り始める。そんなことの繰り返しなのだが、彼らは毎回喜んで「行く」と言う。家では何と言われていたかは特に聞くこともしなかったのでわからないが、現在なら、ほぼ考えられないのではないかと思うが・・・。

 そんなことがつづいていたある日、夕食が済んでテントの中で騒いでいた時、私の耳に、「お~い」と繰り返す声が遠くから聞こえてきた。騒ぎを止めさせると、その声は誰の耳にも入り、声がしだいに大きくなった。誰からともなく「Gの声じゃないか」「そうだ、Gだ!」「Gだ!」となり、テントを飛び出して 道路に走り出ると、自転車を押して登ってくるGの姿があった。
 理由はこうだ。Gは船形登山の常連で、今度も「行く!」と言ったのだが、彼は、翌日にある隣接する高校の運動会での郡内中学校招待リレーの代表選手のひとりであった。それで今回の山行きは我慢させたのだった。そのGが我慢できずに自転車を踏んできたのだと言う。
 しかも、「じゃあ、今晩はテントで一緒に過ごして、明日はここから帰るように」というと、Gは「一緒に登ってから帰る」と頑張る。
 仕方がないので、話し合って、明日のテント出発をGのリレー時間に間に合うようにスケジュールを変更し、夜明け前にテントを出発することにした。

 翌日は幸い天候に恵まれ、朝食は下山途中のたった1カ所だけある水場でつくり、食事後すぐGを一人で出発させ、他は片づけをしてキャンプ地にもどるということにした。私たちがテントにもどったときには、Gの自転車はなかった。
 私たちの帰りは夕方になったが、だれもがGのその後が心配だった。バスを降りてすぐ公衆電話から連絡すると、時間には間に合い、「優勝した」という返事。私たちはホッとし、解散した。
 翌日、Gはいつもと少しも変りなく過ごしていた。もちろん、私たちも。
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 2つの例だけだが、私に残る記憶はまだまだある。自分の中学生時代のことはもう薄くなっているが、KのこともGのことも、かけだし教師としての私への刺激は、たとえるもののない大きなものだったから今になるも薄れることはない。

 たまに、女子の群れが下宿に現れることがあった。私は、ほとんどその中に入ることはなかったが、彼女らはよくしゃべった。そして、いいかげんしゃべると帰っていくのが常だったが、そのおしゃべりのなかには、私の知らない彼女らがいたし、そこにいないAやBらについて知らないことも私の耳に入った。

 KやGのこともそうだが、見聞きする子どもたちについて私の知っていることは本当に氷山の一角なのだとよくよく思わせられた。いや、一角すらも見えているかすら危うく思うのだった。
 それでいて、子どもたちを容易に「よい」とか「よくない」とかと見ている自分に気づかされた。氷山の一角だけであっても確かに知ることの努力、見えない部分を少しでも見えるような努力をしているかが大いに怪しいと思うのだった。その普段の努力こそが教師である私に欠かせない必須条件のはずなのに。ましてや、生徒に見えたマイナス部分だけで、その人間評価や決めつけをしているのではないかと教師としての自分が大いに気になった。

 前回に紹介したYさんの手紙でYさんが私に言いたかったのもこのことだったと思い、「それでも先生になるのですか」と厳しく迫ったYさんのことばは、まさにこのことと思うのだった。( 春 )

映画上映でウクライナを支援!

  ウクライナ支援・映画「ひまわり」上映会

 この2年ほどは、ずっとコロナに振り回されて思うような取り組みができない日々が続いています。それは、今も変わらないと言えば変わらないのですが、春はなぜか心が ❝ うきうき ❞、❝ わくわく ❞してくるから不思議です。やっぱりいのちが一斉に世界を彩っていくからでしょうか。そして、私たちのいのちもそれに共鳴・共振しているからでしょうか。

 そんな春なのに、ロシアによるウクライナ侵略は世界の人々に暗い影を落とし、多くのいのちが奪われています。一日でも早く戦闘が終わり、ウクライナに平和と人々の笑顔がもどってほしいと思います。
 映画の製作・配給・上映の仕事をしている「シネマとうほく」さんが、ウクライナ支援の取り組みとして映画「ひまわり」の緊急上映会を行うそうです。映画文化を通じて支援するという「シネマとうほく」さんならではの支援だと思いました。日時・会場などは、次の通りです。ぜひよかったら、ご参加ください。

 
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 日時:4月9日(土) ①10:00 ②12:30 ③15:00
 会場:仙台メディアテーク スタジオシアター

 当日券】一般・シニア(1,500円) 大学生(1,300円) 中高生(800円)
 【前売券】一般・シニア・大学生(1,200円)
 
(前売券は、仙台メディアテーク1F  カネイリ、または主催まで連絡下さい)

 ※ 上映経費を差し引いた額と会場での募金を「セーブ・ザ・チルドレン・ジャ
  パン」を通して「ウクライナ支援」にあてます。

    主催:シネマとうほく(℡022-225-0986 FAX022-268-5264)
       e-mail:sendai@cinema-tohoku.co.jp

新年度のスタートは『春の教育講座』から!

 新年度に教職員組合のみなさんが取り組んでいる《春の教育講座》は、ここ2年ほど、コロナ禍で思うように実施することができずに来ました。
 この2年間の悔し~い思いを力に、今度こそ!と、新年度にふさわしい魅力あふれる講座を企画しているようです。

 日ごろからセンターの取り組みに協力いただいている教職員組合の企画です。素敵な仲間との出会いのなかで、新年度のスタートを切ってみてはいかがですか。

 下記チラシにあるように、
 4月2日仙台支部の講座を皮切りに、4月9日仙南支部、中央支部、東部支部それから養護教諭事務職員部など講座がいっぱい、さらに6月には、内容未定ですが古川・栗原支部が締めの企画を予定のようです。

 コロナ禍なので、それぞれの企画ごとに参加人数に制限があり、事前の申し込みが必要です。参加したい方はすぐ、参加しようかどうしようか迷っている人も迷わず、宮教組に、まずは連絡を!
 (宮城県職員組合 ℡022-234-4161)

    

『偶然と想像』と、寂しげな神さま

 2月のDiaryで書かなかった映画『偶然と想像』の第2話「扉は開けたままで」について。第2話「扉は開けたままで」のあらすじは、おおよそ次の通り。

 芥川賞作家で教授の瀬川(渋川清彦)は、単位を求める学生・佐々木(甲斐翔真)の懇願を拒否し、佐々木は就職内定が取り消しになる。留年した彼は逆恨みし、同じゼミ生でセフレの奈緒(森郁月)に色仕掛けの共謀(ハニートラップ)をもちかけ、瀬川にスキャンダルを起こさせようとする。

 この後の展開については・・・映画を見てほしいが、個人的には3つの話のなかで一番刺激的だった。色仕掛けだからということではない。刺激的だったのはタイトルのとおり、瀬川教授の研究室が常に「扉は開けたままで」状態にあるということが。

 映画は冒頭、土下座して「お願いします!」と単位の認定を懇願する学生・佐々木が登場する。向かいの演習室でゼミをしていた教員は慌てて、瀬川の研究室の扉を閉めようとするが、瀬川は「開けたままでお願いします」とさえぎる。瀬川は、佐々木に対して不適切なアカハラ行為がなされていると誤解されることを避けるために密室状況を避け、扉を開けオープンにしておきたかったのだろう。また、その後の話で出てくるハニートラップの場面でも、女子学生・奈緒との不適切な行為と誤解されぬよう「扉は開けたままに」される。つまり「扉を開けたままに」しておくのは、不適切な行為がなされていると誤解されるのを回避するため。それなら四六時中ずっと扉を開けておく必要はないはず。それはなぜ?  そのことが気になりだして、頭のなかをとりとめない考えがめぐり始め、妄想列車が走り出した。

 そしてはっと閃く。そうか! 瀬川は、学生たちが気さくに研究室に入ってきてくれるのをずっと待っているのだ。扉が常に開けられているのはそのためなんだと。ところが学生たちは、彼の研究室の前をみな素通りしていく。誰も見向きもしない。扉が常に開いていることすら気づいていない。彼は、静かに避けられている。

 それはアーノルド・ローベルの「おてがみ」のがまくんと一緒! がまくんは手紙が来ることを楽しみに待っているのに、誰からも手紙が来なくてしょんぼりしている。それから「ないたあかおに」も。人間たちと仲よくなりたくてお茶とお菓子を用意して待っているのに、誰も来やしない。がまくんと赤鬼の悲しげな表情が、映画のなかで瀬川教授を演じる渋川さんの無愛想で寂しげな表情と重なってくる。彼は、学生をずっと待っている。

 さらに瀬川教授(渋川さん)のクシャクシャの頭髪とモジャモジャの髭の顔をみつめていると、今度はそこにイエス・キリストが浮かんでみえてくる。妄想列車は神の域まで来てしまった。それでも、ひれ伏す(土下座する)佐々木の姿や、神は死んだとその存在を否定され、見向きもされない神を思えば、あながち瀬川に悲しげな「神」を見ても許されるのではないだろうか。そう、瀬川教授は現代における忘れられた「神」なのだ。それは、今の大学という存在そのものを示しているかもしれない。
 そして、そういう視点でこの映画を観ると、まったく違う世界がみえてくる。そろそろ妄想列車は、終点に近づいたようなので、今日はこのへんで。(キヨ)

(追伸)濱口竜介監督が、本日『ドライブ・マイ・カー』で、第94回アカデミー賞・国際長編映画賞を受賞しました。おめでとうございます。