mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより96 ウグイスカグラ

  鶯の初音の頃に咲き出す花  赤い実は古代の果物

 3月中旬に朝の散歩道で鶯の初鳴きを聞きました。ケキョ、ケキョ、キョキョとたどたどしいさえずりです。求愛となわばりを守るために、ひときわ高く澄んだホーホケキョという鳴き声めざして、オスの鶯の練習が始まるようです。
 このウグイスのさえずる頃に咲き出す花が、ウグイスカグラです。普段は目に入らない低木ですが、早春の雑木林を歩くと、コナラやイヌシデなどが芽吹く前に、小さな淡紅色の花を咲かせている姿を見ることができます。

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      早春に、葉の展開とともに花ひらくウグイスカグラの花

 ウグイスカグラは、スイカズラスイカズラ属の落葉低木で、北海道南部・本州・四国・九州に分布し、日当たりのよい山野の林縁に自生しています。
 背丈が1mから2m程で、早春に葉が展開するのと同時に花が咲き出します。花は1~2cm程の長さのろうと形をしていて、枝先の葉のわきに1~2個ずつ下向きにつきます。花の先端は5つに裂けて大きく開き、花筒のなかから5本の雄しべと1本の雌しべが突き出ています。
 葉は対生し、春先は長さ1cm程の小さな卵形をしていますが、夏にかけて大きくなります。芽吹きの頃は、花と新葉の大きさはほぼ同じ、互いにほどよいバランスで配置されていて、淡紅色の花が目立って見えます。

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    つぼみは小さなヒョウタンの形      雄しべに黄色い花粉が溢れています

 ウグイスカグラにそっくりの花で、ヤマウグイスカグラ、ミヤマウグイスカグラと呼ばれているものがあります。これらは葉と花と実に毛があるかどうかで区別されます。葉、花、実のどれにも毛がないものをウグイスカグラ、葉、花、実のどれにも毛があるものをミヤマウグイスカグラ、葉だけに毛があればヤマウグイスカグラといいます。
 原種となるのは、ヤマウグイスガグラで、あとの2種はその変種とされていますが、毛の有無は微妙なところがあって見分けが難しいところです。
 「宮城県植物誌」(宮城植物の会2017)を見ると、県内では3種とも分布していて、私が歩く青葉山太白山の林縁で見かけるのは、ミヤマウグイスカグラのようです。ここであつかうウグイスカグラは3種の総称ということにします。

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葉に毛があるのが見えますが、花の毛は微妙です。ミヤマウグイスカグラでしょうか

 早春に咲く花は、動き出したばかりの昆虫たちの蜜源となり、花たちにとっても花粉媒介の貴重なチャンスになります。
 ウグイスカグラの花にもハナバチらしい昆虫がやってきて、花のなかにもぐりこもうとしていました。

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    飛んできたハナバチの仲間      花筒の奥の蜜は吸えるのでしょうか。

 ウグイスカグラには、この花だけ専門にやってくるハナバチがいるというのです。その名はコガタホオナガヒメハナバチといい、別名をウグイスカグラヒメハナバチというそうです。
 このハチは、ウグイスカグラの細長いろうと形の花に適応して、蜜を吸うストローのような口の部分(口吻)が、他のヒメハナバチに比べて長く進化しているそうです。花と昆虫とのこのような関係を共進化といいますが、観察者の記録では、「折りたたみ式の口吻を持っているようです。」とありました。(ブログ「自然観察ガイド」―ウグイスカグラ専門のハナバチ)

 コガタホオナガヒメハナバチが発生するのは春先で、ウグイスカグラの開花時期や生育地域と重なるとのことですが、ネット上で見ると、九州から東京、神奈川方面で観察されているものの、その生息はきわめて稀のようです。福井県では県域絶滅危惧Ⅱ類に指定されていますが、全国での生息分布のデーターはなく、東北地方での観察の記録も見当たりません。
 県内でコガタホオナガヒメハナバチは見られるのでしょうか。どなたか昆虫に詳しく観察されている方がおられましたら、教えて下さい。

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       ウグイスが神楽舞う名の紅の花    三条蕗山

 ウグイスカグラの花に、他のハナバチもやってきます。専門のハチでなくても蜜を吸えるのでしょうか。ハナバチが蜜を得られなくても、花の入り口でもがいてくれれば、花の受粉は可能なのでしょう。雄しべと雌しべが突き出ているのもそのためか、受粉は確かに行われているようです。

 受粉が終ると緑の実ができます。初夏の頃に実は熟して透き通った赤い色になります。こどもの頃に、この実をグミといって好んで食べたものです。全国各地のこどもも同じように食べていたのでしょう。いろんな名前がついています。
 うぐいすかずら、うぐいすぼく、うぐいすぐみなどのウグイス系の名前や、あずきぐみ、なわしろぐみ、たうえぐみ、やまぐみ、なつぐみなどのグミ系の名前が多く見られます。なわしろぐみ、たうえぐみなどは、農繁期のこどもたちのおやつの名残りでしょうか。その他に、あずきいちご、まめいちご、いちごのき、さがりまめいちごなど、普段食べられないイチゴに見立てたものもありました。今の果物と比べれば、あまりにも小さい実ですが、果肉はみずみずしく軟らかで、甘みもあって酸味のないのがこどもたちに好まれ、おやつがわりになったのでしょう。
 実のなかに種子が1~4粒入っています。実を食べても種子は吐き出します。こどもたちはウグイスカグラの分布の手助けをしていたことになります。

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    最初は小さな緑の実        熟して透き通った赤い実

 ウグイスカグラは、昔から自生していた日本の固有種です。
 平安時代に作られたと言われる「和名類聚抄」(わみょうるいじゅうしょう)という舌のかみそうな名の辞書があります。略称「和名抄」ともいう百科事典的な辞書ですが、その辞書の項目に「鸎實」というのがあって、「漢語抄云鸎實」「俗阿宇之智」「云宇久比須乃岐乃美」という文字が見られます。(左下の図)

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和名類聚抄       ウグイスノキはウグイスカグラの古名です。

 「漢語抄云鸎實」は(漢語抄に鸎實と云う)ということです。「漢語抄」は奈良時代に編纂されたと記録に残る最初の辞書で現存しませんが、その辞書に「鸎實」とあって、一般(俗)に「阿宇之智」(あうしち)と云われていたと書かれています。「鸎」は万葉集で「うぐいす」に使用されている鶯、鴬、鸎の3つの漢字の一つでした。
 「云宇久比須乃岐乃美」は、万葉仮名で(ウクイスノキノミと云う)と読めます。つまり、「鸎實」は「うぐいすの木」の「実」であると説明されています。
「食が充分ではなかった古代人は、空腹を感じると野生の『古能美』(木の実)や『久多毛能』(果物)を採って食べていました。この間食が『果子』と呼ばれるものになったと考えられています。」(全国和菓子協会「和菓子の歴史」)
この「鸎實」も「和名抄」では菓類(果実)」に分類されて記載されています。
 こうしてみると、飛鳥・奈良時代にウグイスノキという木が存在していたということ、そして、その実は果物の一つとして食べられていたことがわかります。

 ウグイスノキと呼ばれるわけについては、江戸時代の貝原益軒本草書「大和本草」に、鶯が鳴き始める時期に咲くので名づけられたものであろうと書かれています。ウグイスノキの呼び名は、「物品識名 坤」(1809年)では「ウグヒスカグラ」となっていて、ウグイスカグラと呼ばれるようになったのは、江戸時代後期頃からと考えられます。
 ウグイスカグラの由来について、「原色牧野日本植物図鑑」(北隆館)では「和名および別名は鳥のウグイスに関係があるのだろうがはっきりしていない。」とあります。それもあってか、ウグイスカグラという風雅な名前に興味を持つ人も多く、その由来についていろんな説が主張されています。

 日本の微生物学者である中村浩氏は、ウグイスカグラの古名に語源の手掛かりを求め、次のような「鶯隠れ」説を展開しています。
「数多いウグイスカグラの古名のうち、わたしの注意をひいたのはウグイスガクレという名であった。
 ウグイスガクレという名は、この木の幹に小枝が多くしげり、ウグイスが隠れるのにつごうがよいので “ 鶯が隠れる木 ” という意味でこの名がつけられたものであろう。
 わたしの山荘では、春から初夏にかけて鶯がよく鳴くが、いつもその姿を見ることはできない。おそらくこうした低木の木陰に身をひそめて鳴いているのであろう。
 このウグイスガクレが、いつしかウグイスカグラに変転したものと思われる。ガクレがカグラになることは決して不自然ではない。」(中村浩著「植物名の由来」 東京書籍)

「植物和名の語源」の研究で著作の多い深津正氏は、後でふれる「神楽踊り」説や中村浩氏の「鶯隠れ」説などを紹介しながら、自説の「ウグイス狩り座」説を次のように主張しています。
「私はこれらの説とは別の考えを持っている。すなわち、ウグイスカグラは、『ウグイスかくら(狩座)』の転じたものではないかという解釈である。『かくら』は、狩をする場所、つまり『狩り座』(かりくら)の訛ったものである。この木には、花のころに限らず、実のなるころにもいろいろな小鳥が寄ってくる。ウグイスジョウゴの異名もあるくらいだから、とくにウグイスがこれを好んだらしい。だから、もち竿や網を使ってウグイスを捕らえるには、この木はもってこいの場所になる。したがって、猟場を意味する『かくら』の語を添えウグイスカクラと称したのが、転じてウグイスカグラとなったのではないだろうか。このように考えると、この木の別の方言名であるゴリョウゲも『御猟木』と解され、つじつまが合うような気がする。」(深津正著「植物和名の語源探求」八坂書房

 「万葉集」には鶯が枝から枝へ飛び跳ねる振舞いが特徴のひとつとして歌に詠まれています。そのようすを神楽を舞う姿と見立てた説もあります。
「Webサイト・広島の植物ノート」の管理人である垰田宏氏は、その「神楽踊り」説を次のように主張しています。
「なぜ、カグラという修飾語が着いたのか、『狩り座』の転訛とか、いくつかの説がある。しかし、中国山地で普通に上演されている農村神楽を見慣れた者から見れば、細い枝が入り組んだ場所で足を使って跳びはねるウグイスの動きと、神楽のクライマックスである立ち廻りの動きは実に良く似ている。何しろ、せいぜい2~3間の狭い舞台の上で敵味方2名、時には4・5名が戦うのだから、刀や体がぶつかってしまう。そこで、各々がその場でくるくる回ることで、激しく戦っているという「お約束」になっている。フィギュアスケートに負けないほど速く回れば、拍手喝さい。つまり、『神楽』を見慣れたものにとって、ウグイスカグラの名は、理屈抜きに納得できるのだ。」(広島の植物ノート別冊「ウグイスカグラの由来」)

 その他の説もあり、今のところ定説はありませんが、いろんな説が出されているということは、それだけ「ウグイスカグラ」の名が謎に満ち不思議な魅力を持っているということなのでしょう。

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       春の陽をあび、次々と花を咲かせるウグイスカグラ

 春先に咲く花は、黄色の花が多かったのですが、ウグイスカグラの花は淡紅色です。小さな花の独自の色合いも味わいがあります。ウグイスカグラの木にウグイスが飛び交う様子はまだ目にしたことはありませんが、もしその機会が訪れたなら、自分の目で見て感じて、名前の由来の説をどう思うのか愉しみです。
 秋に透明な赤い実を口に含むと、野山を駆け回ったこども時代の感覚がよみがえります。万葉人の味わいを体験しているという、時代を越える不思議な感覚を覚えます。ウグイスカグラという木の個性や魅力が感じられるようになって、野山での散策の楽しみがまたひとつ増えたのでした。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花

走りながら、その先へ 05

東京マラソン2021」出場記

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  先日、3月5日。「東京マラソン2021」に出場してきました。今回は本当にラッキーでした。ONETOKYO プレミアムメンバーエントリー落選 ⇒ 一般エントリー落選。「あーあ、やっぱり今回もダメだったか。十数倍壁は厚いな」と思っていたところ、突然のメール。「プレミアムメンバーの方は、希望すれば全員出場できます。どうしますか?」という旨の内容。「えっ、どういうこと?」どうやら、このコロナ禍で、外国人枠に空きが出たことで、プレミアムメンバーの優先権が復活した形になったようだ。そりゃあ出ますよ!とエントリーを済ませ、晴れて2016年以来2度目の出場が叶ったという流れでした。

  そして3月4日(土)。まさかの出場決定の喜びとワクワク感。コロナ禍のせいで、フルマラソンを走るのは2019年10月の「盛岡シティーラソン」以来、約2年半ぶり。それに最近MAXで15kmと、長い距離を全然走っていない。フルを走り切れるのだろうかという不安とドキドキ感。そんな複雑な気持ちを抱えて、高速バスで東京に向かったのでした。

 13時に池袋到着。⇒ 昼食 ⇒ 東京ビッグサイトでの「ランナー受付」⇒ 京橋の「イデミスギノ」(東京書籍6年「プロフェッショナルたち」に登場するパティシエ杉野英実氏のお店)でフィナンシェ購入(ケーキは完売)⇒ 京橋のホテルにチェックイン ⇒ 16時、川越に向けて出発 ⇒ 18時、娘と友人(娘の高校ソフトボール部同期キャプテンの父さん)と合流し、旨い焼鳥屋で会食。思い出話や娘のこれからの話などで盛り上がる。⇒ お酒も程々に気持ちよくいただき満ち足りた気持ちで、22時ごろホテルに到着 ⇒ 翌日の準備を済ませ、0時前には就寝。非常に充実したレース前日でした。

  6時半起床。晴れている。身支度を整え、サンドウィッチなどで軽めの朝食。7時半にはホテルを出発。8時過ぎに新宿副都心スタート地点に到着。9時、整列してスタート地点へ移動。予想以上の参加者数に驚く!(参加者は1万9188人だったそうだ)9時25分、第2ウェーブでスタート!  第1目標 ⇒ 完走 第2目標 ⇒ 最後まで歩かず走り通す 第3目標 ⇒ 4時間30分切り。さあ、どうなるか。
 新宿 ⇒ 神田 ⇒ 上野で10km。ペースも身体も問題なし。⇒ 日本橋浅草寺まで行って戻る ⇒ 隅田川を渡って20km。⇒ 中間点。大丈夫!⇒ ここでトイレへ。心身ともにリフレッシュ。ここから先が勝負!⇒ 25km。脚は前に出る。⇒ 30km。どこも痛くない。いける! ⇒ 日本橋から銀座 ⇒ 泉岳寺通過。35km。大丈夫、走れている!  あと7km。いつも走ってる距離じゃないか。⇒ 田町で折り返し ⇒ 泉岳寺再び通過で40km。あと2km。ガンバレ、オレ!⇒ 丸の内へ。あと1km。と、キッツ〜イビル風。心が折れそうになる。⇒ 42km。最後の交差点を左折してラスト150m!⇒ 皇居を眼前にしてゴール!タイムは、おそらく4時間24分!やったぁ‼︎ 走り抜いた! 目標達成したぞ!  エライぞオレ!!

  走り通せた要因は、レース中とにかくこまめにエネルギー&水分補給をしたこと。沿道の温かい応援があったこと。そして,前日の夜に楽しい時間を過ごすことができたからかな?
 また、コロナ禍により市民マラソン大会の中止が続く中、必要な感染対策を施した上で、約2万人規模の大会を開催できたことは、今後の市民マラソン大会開催への大きな弾みになるのではないかと思う。工夫すればできるのだと。今後の市民マラソン大会の動向に注目したいと思います。(S,F)

『震災を語り伝える若者たち』が、出版されました!

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 昨年4月から、みやぎ教育相談センターの所長をしている瀬成田実さんが『震災を語り伝える若者たち みやぎ・きずなFプロジェクト』(かもがわ出版)を出版しました。
 震災を見つめ取り組んだ教育実践には、制野俊弘さんの『命と向きあう教室』、徳水博志さんの『震災と向き合う子どもたち 心のケアと地域づくりの記録』などがありますが、ここにまた1冊、震災と向き合い、学習を通じて成長していく子どもたちと、その子どもたちの取り組みをつねに励まし伴走してきた教師の6年間にわたる教育実践の記録が加わりました。

 中学校での震災学習を通してあらためて震災と向き合い出会った生徒たちは、災害公営住宅で生活を送る人たちや震災復興に取り組む地域の人たちと出会いながら、自分たちにできることは何かを問い活動していきます。そして、今も現在進行形の生徒たちの取り組みに伴走し、ともに歩んできているのが瀬成田さんです。

 本書は、瀬成田さんという一人の教師が自身の教育実践記録として書いたものなのですが、読んでいくうちに瀬成田さんの姿は後景へと退き、不思議なことにいつの間にか、これは生徒たち自身の本だという気がしてくるのです。それは、きっと瀬成田さんが生徒たちとともに生きてきたからなのでしょう。教師と生徒として出会いながら、ともに今を真摯に生きる人間の姿が見えてきます。
 ぜひ多くの方に本書を手に取り、読んでほしいと思います。

【購入方法】
書店 宮城県内で取り扱っている書店は、未来屋書店12店舗(イオン内)、SUTAYA多賀城店、仙台駅くまざわ書店丸善紀伊国屋書店、ヤマト屋書店三越など。なお他の書店からも購入(注文)することは、もちろんできます。(福島、山形のくまざわ書店でも取り扱ってます)

Amazon、かもがわ書店 からネットを通しての購入

まとまった冊数(5冊以上)を扱ってくださる方は、以下に連絡ください。
 瀬成田まで直接ご注文( sodan-center@forestsendai.jp

季節のたより95 サンシュユ

 春告げる黄金色の花  赤い実は薬用に

 春の訪れを告げるかのように、枝一面に鮮やかな黄色い花を花火のように咲かせるのは、サンシュユの木です。葉に先だち花を咲かせ、満開のときには、木全体が黄金色に輝いているように見えるので、ハルコガネバナ(春黄金花)と呼ばれ、秋には赤い実をたわわに実らせることからヤマグミ(山茱萸)、アキサンゴ(秋珊瑚)とも呼ばれています。サンシュユは春も秋も美しい彩りを見せるので、寺院や公園、庭の花木として植栽されてきました。

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      さんしゅゆの花満開に春を告ぐ    原田たづゑ

 サンシュユは、ミズキ科ミズキ属の落葉小高木です。原産地は中国で、漢名の「山茱萸」の名で日本へ来て、その音読みの「サンシュユ」が和名の由来になっています。

 サンシュユの花芽は秋に準備されます。細長い冬芽は葉になる芽(葉芽)で、膨らみのある冬芽は花になる芽(花芽)です。

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    芽吹き前のサンシュユの木        冬芽(葉になる芽)      冬芽(花になる芽)

 花芽は茶色の殻(4枚の総苞片)にしっかり包まれています。寒さがやわらぎ暖かさを感じると、花芽の茶色の殻が開いて、つぼみが顔をのぞかせます。

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膨らんできた花芽   暖かくなると殻が開きます。        黄色い蕾が顔を覗かせます。

 1つの花芽には小さな花のつぼみが20~30個ほど入っていて、準備のできたつぼみから花柄を伸ばして開いていきます。鮮やかな黄色の花は全開し、4枚の花びらはどれもそり返っています。雄しべ4本と雌しべ1本が外に飛び出すようについているのが見えます。
 花が次々に開き始めると、待ちかねていたようにハナアブが集まってきて、蜜を吸っているのが見られます。

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 花柄を伸ばすつぼみ     開いた花の姿      蜜を吸うハナアブ

 サンシュユの開花時期は、2月下旬~4月上旬頃です。花は短枝の先端に球状についていて、咲き出すと放射状に広がっていきます。満開のときは花が枝々を埋めつくし、木全体が黄色に染まったようになります。

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       満開のサンシュユの花。木全体が花に埋めつくされます。

 早春から春にかけて咲く花は、サンシュユだけでなく、マンサク、ロウバイ、トサミズキなどの黄色の花が目立ちます。なぜ黄色が多いかは、植物学的にまだ解明されていないようですが、花と昆虫の関係はお互いに共進化してきたことから考えると、黄色であるのがお互いに都合がいいのでしょう。
 早春の色彩の少ない山野では黄色は非常に目立ちます。春先にいち早く活動を始めるハナアブやハエの仲間は黄色に敏感だといわれています。この時期に花が昆虫を呼び寄せ、昆虫たちが蜜のありかを探すためにも、黄色は目印にふさわしい色なのです。
 サンシュユが黄色い花を色褪せることなく咲かせているのも、昆虫の少ない時期なので、時間をかけて受粉のチャンスを待っているのでしょう。

 4月末、花がそろそろ受粉を終えた頃に、葉の芽が開き始めます。ぐんぐん葉を広げ、枝々は緑の葉に覆われていきます。そのかげで、受粉した子房は少しずつ膨らみを増し、緑の実になっていきます。

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小さな実ができています。   緑の葉に覆われます。    緑の実になっていきます。
 秋になると、緑の実は葉かげでしだいに赤くなっていきます。紅葉が終わり、枝々が落葉すると、真っ赤に熟したサンシュユの実は、木いっぱいに鈴なりになって姿を現します。長さ1.5~2cmほどの艶のあるグミのような実です。
 食べられるというので口に含んでみたら、やや甘酸っぱい味がして、渋みが口に残りました。

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           落葉のあとの 鈴なりの赤い実

 この真っ赤に熟した実から種子を抜き、乾燥させたものを、漢方でも山茱萸サンシュユ)といい、滋養・強壮・止血などに効果があるとされ、漢方薬の「八味地黄丸」などに処方されています。

 サンシュユは、もともと花の鑑賞が目的ではなく、薬用として日本に伝わってきました。小石川植物園には日本で最初に海外から薬用として導入された植物が多く残されていて、サンシュユもそのうちの一つです。
 サンシュユが日本に渡来したのは1722年(享保7年)で、徳川吉宗の時代に、朝鮮半島から長崎経由で苗木と種子が導入され、小石川御薬園(小石川植物園の前身)と駒場御薬園に植えられたのが最初と記録に残されています。
 小石川植物園には当時からのサンシュユの株と考えられる古木が、園内奥のカリン林の近くに半分朽ちて、今なお、元気に花を咲かせているということです。
(「小石川植物園に渡来した植物たち」元:小石川植物園 下園文雄)

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   春の季節が逆戻りする日も。   サンシュユの黄色は春の雪に負けません。

 サンシュユ(山茱萸)の茱萸(シュユ)という漢字を、日本ではグミ科のグミの意味にも使用していました。ところが、茱萸(シュユ)とは、もともと中国にあったグミと異なる植物でした。
 茱萸(シュユ)が本来どんな植物かは諸説ありますが、主な説は、ミズキ科の山茱萸サンシュユ)説とミカン科の呉茱萸(ゴシュユ)説です。サンシュユもゴシュユも、秋に赤い実がなります。特にサンシュユの実は、グミそっくりで食用になるので、グミ科のグミと混同されやすかったのでしょう。

 牧野富太郎博士は、中国では茱萸(シュユ)を詠んだ詩を調べると、何れも呉茱萸(ゴシュユ)のことで、山茱萸サンシュユ)ではないといいます。(「植物一日一題」ちくま学芸文庫)それで、享保7年に小石川御薬園に導入されたとき、呉茱萸(ゴシュユ)が山茱萸サンシュユ)と誤認されて命名されたものであろうと、新たに春黄金花(ハルコガネバナ)の和名を提唱したのでした。
 ところが、当時の国外からの薬草木の受け入れは、まずは長崎の西山御薬園で行われていて、その西山御薬園の文政初年のものと思われる「薬草目録」の70種のなかに、山茱萸サンシュユ)と呉茱萸(ゴシュユ)の両方が記載されています。西山御薬園の薬草木は江戸の小石川御薬園や駒場御薬園に植栽されたものと大部分が一致するといいます。(長崎大学薬学部「長崎薬学史の研究」)
 牧野説の真偽のほどは分かりませんが、現在は最初に付けられた「サンシュユ」の名前が一般化し、春黄金花(ハルコガネバナ)は別名とされています。

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       茱萸の黄の空間を風過る    西村しげ子

 ”庭の山しゅの木 鳴る鈴かけてヨー オーホイ”と歌われるのは、宮崎県椎葉の民謡の「ひえつき節」です。この「山しゅの木」というのが、サンシュユであるとしばらく言われてきました。
 岩波書店の「広辞苑第5版」(1998年・平成10年)を見ると、「ひえつき‐ぶし」(稗搗節)の項目には、「宮崎県の民謡。東臼杵郡椎葉村地方の稗搗き唄。歌詞は『庭の山茱萸(さんしゅ)の木に鳴る鈴かけて』に始まり、現行のものには同村鶴富屋敷にまつわる平家落人伝説を含む。宴席歌として広まる。」とあります。
 ところが、歌の内容は椎葉村に伝わる平家の落人伝説が元になっていて、その物語は1100年前後のこと。サンシュユの渡来が1722年(享保7年)ですから、山茱萸の木は、江戸時代に渡来して、鎌倉時代には日本にまだ存在していませんでした。日向地方の方言では山椒(サンショウ)をサンシュと言い、歌に歌われたのは、ミカン科の山椒(サンショウ)の木だったようです。
 その後、「広辞苑第6版」(2008年・平成20年)では、「山茱萸(さんしゅ)」は「山椒(さんしゅ)」と改められています。
 広辞苑は現在「第7版」(2018年・平成30年)と版を重ねていますが、辞典というものは完成されたものではなく、絶えず修正を加えられながら、長きにわたってつくりあげられていくものであることを改めて思います。

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   サンシュユは美しい黄色を見せてくれます。     花火のように開花

 サンシュユは、秋に熟した実を採り、種子を取り出してまわりの果肉を取り除き、よく水洗いした後すぐにまくと、時間がかかっても発芽することが確かめられています。種子から花を咲かせるまでにかなり年数がかかるので、苗木販売店などで売られている苗木は、種子から2~3年育てた苗を台木に接ぎ木したものや、挿し木で育てたものです。
 赤い実はよく目立ち、野鳥たちも食べています。あんなにたくさん実をつけるので、鳥に運ばれた種で日本の野山に野生化してもいいはずなのに全く見かけません。植栽されている木は、まわりの空間は広くとられ保護されています。サンシュユの種子が発芽しても、野生の樹木との競争には太刀打ちできないのかもしれません。

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       茱萸に明るき言葉こぼし合ふ    鍵和田秞子

 サンシュユは満開になると、野趣あふれる幹や枝が見えなくなるほどびっしり花を咲かせます。明るく美しい黄色は、見る人の心と体を明るく元気にしてくれます
 ある小高い丘の上に立つ高齢者介護施設を訪れた時でした。南側の窓側に5本のサンシュユの木があって、ちょうど満開の季節で、入所されていたお年寄りが集まって、車椅子に座ってお花見をしていました。所長さんの話によると、花の季節だけではなく、秋の紅葉や赤い実の季節にも同じように一緒に眺め楽しむそうです。
 サンシュユの木はただそこに立ち、四季の営みを繰り返しているようですが、その存在が見る人の心に安らぎや希望をもたらしていることを深く感じたのでした。(千)

◇昨年3月の「季節のたより」紹介の草花

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初心忘るべからず、Y子からの手紙 ~ オレは幸せ者3~

 いま「デモシカ教師」という言葉は聞かれない。もう死語になったのだろう。広辞苑では50年代の3版、90年代の4版、いずれにも見出し語としてはなかった。いつも携行している電子辞書は大辞林だが「でもしか」の見出しで

 「・・・にでもなろうか」「・・・にしかなれない」などの助詞「でも」と「しか」から、職業や身分を表す語について、無気力な、能力の低いなど、やや軽んじていう意を表す。「…教師」

とあった。インターネットには、その時期を「1950年代~1970年代」とあった。

 なぜ今、こんなことをと思われるだろうが、私は教員初年が1958年で、「デモシカ教師」はよく耳にし、そのたびに(オレのことでもあるなあ)と思ったのだった。強固な意志をもって教員になろうとしていたわけではなく、教育学部に所属しながら、教員になることだけでなく、さまざまな仕事場を思い描きながら暮らしていたからだ。
 そんな私が、思いもかけない痛打を浴びるジケンがあった。
 4年の1学期、私は、教育実習で市内のG中学に行き、3年生の国語を担当した。クラスの生徒数は63名。その中には、受験を失敗した「先輩」も入っていた。教室に隙間はなく、初めからなんとなく落ち着きがなかった。自分が「デモシカ」でありながら、いや、「デモシカ」だったからかもしれない。とうとう耐え切れなくなり、1週間目に、授業をせず、1時間、生徒たちを非難しつづけた。しゃべっているうちにしだいにそんな自分が嫌になってきたのだが己にブレーキをかけることができなかった。
 4時間目だったので教生控室にもどり、空エンゼツ後の何とも言いようのない気分で昼食をとっていた。そこに、受け持ちのY子さんが来て、「これを読んでほしい」と言い、ノートの裏表に書いたものを手渡された。それが以下の文である。

 先生、話を聞いてあまりにも驚きました。
 先生のおっしゃることは、わからないわけでもありませんが、しかし、先生も、絶対にそうであってはいけないと思うのです。
 「先生」というものになる以上、感情は絶対無用だと思うのです。
 先生というものに、いちおうの尊敬をいだいていたのですが、今、私は、あいそをつかしてしまいました。
 私達のクラスは、ほんとうに騒がしいクラスであることはたしかです。でも、騒がしいのは不安定だからです。
 学級初めに決められた、クラスたんとうの先生が休み、今だにいらしてくださらず、まだ、ちえ子先生がたんにんの先生であるということもわからない生徒がたくさんいるのです。
 そんな不安定な毎日の生活に、教生の先生がいらして下さると聞いて、一点のあかりをつけたような希望を もったのではなかったでしょうか。そして、みんな待っていたのです。明るいクラスへと導いて下さるのを、みんな待っていたのです。
 しかし、先生は、私達の心の中を見ぬいては下さらなかったんです。ただ表面を見て、あいそをつかされてしまったんですね。
 そして、今日、先生の話を聞いて、私達はどんな気持ちだったでしょうか。
 今から直そうとおっしゃった先生のお言葉に、みんながついていけたら、私はそれで十分だと思います。
 しかし、先生、先生がこれからいらっしゃる道には、こんなことがたくさんあると思うのです。
 そんな時、こん回のようなことをくりかえしていったなら、決して、よい先生にはなれないと思うのです。
 ですから、二度とあのようなことをなさらないで下さい。経験は一度でたくさんだと思うのです。
 どうかよい先生になってくださることをのぞみます。
 しかし、私一人の 考えですから、みんなはどんな気持ちでいるかわかりません。でも、きっと、みんなも私と思わずにはいられません。   Y子

 私は、すぐ担任にクラスのことを聞き、放課後、Y子さんへの弁解に努めたが、実習の最後まで距離はまったく縮まることはなかった。
 間もなく来た長い夏休みも、心の晴れることのない日がつづいた。(教職というものは、こんなにも重い仕事なんだ。オレにどれだけのことができるかわからないがオレの仕事場にしよう。「デモシカ教師」と言われようとも・・・)と思った時には、もう休みは終わりに近かった。

 あとは迷うことはなかった。
 Y子さんから言われたことを一言にすれば「それでも、先生になるんですか」ということであったが、その問いを受けたために、それまでのあいまいさを吹っ切り、出した答えは「教師になります!」だったのだ。

 いろんな将来をいい加減に描いていた時にY子さんに手紙を突き付けられ、教職に就いてからも多くの人に助けてもらいながらだったが、この仕事がオレの唯一の仕事場だったんだと今振り返れるオレは幸せ者だとつくづく思えるのだ。それも、これから社会に踏み出さなければという、大学最後の年に突き付けてもらったのだから。
 しかも、Y子さんには進路を決めさせてもらっただけではない。教職に就いてからもオレは、あの時と同じことを数えきれないほど繰り返したが、そのつど、机の引き出しの中のあの手紙が、退職するまで「先生、またやりましたね」と声をかけてくれ、オレの前に座る子どもたちを考えつづけさせてくれたのだったのだから。( 春 )

【緊急声明】

   私たちはロシアのウクライナ侵略に抗議し、
    直ちに撤退することを求めます

                                                                                                 2022年3月8日 

 ロシア政府は2月24日、ウクライナへの侵略を開始しました。ロシア軍はウクライナの軍事基地だけでなく、市民生活の場である主要都市を攻撃し、非戦闘員である市民や子どもが犠牲になっています。これは世界の安全保障に関する国連憲章国際法に明確に違反し、主権国家に対する明白な侵略行為であり、どのような理由があっても正当化し、許されることではありません。
 日本を含む世界各地ではもちろん、ロシア国内でも激しい弾圧の中、「侵略をやめよ」という声が渦巻いています。
 3月2日の国連総会では、141カ国の圧倒的な賛成でロシアへの非難決議が採択されました。私たちは、ロシア軍の即時撤退を強く要求し、関係者による和平への真摯な協議と合意によって問題の解決を図るよう切望します。
 また、私たちは、プーチン大統領が、ウクライナ軍の通常兵器による反撃に対して、核兵器使用の可能性に言及して威嚇していることを看過できません。これはすでに核兵器禁止条約が発効し、「核兵器の存在自体が悪である」との認識が国際的に広まっているなかで、絶対に認められない暴挙です。私たちは、核兵器による威嚇自体に遺憾の意を表明し、取り下げを強く求めるものです。
 国際紛争の火種は、日本を含む東アジアにも拡散し、近年その緊張は強まってきています。国内ではこの機会を利用して、憲法9条を改悪し、「敵基地攻撃能力」保有の検討や「核共有」議論の提言など、軍拡競争をあおる論調も広がっています。国際紛争を解決する確かな道は、すべての国が、国連憲章国際法にもとづいた平和外交を追求していく地道な努力のなかでこそ築かれていくものです。
 日本政府は唯一の戦争被爆国として、憲法9条で武力による威嚇と行使を放棄した決意にもとづき、今こそ国際社会でも積極的に発言し役割を果たすべきです。
 日々の映像を通じてウクライナの現状に触れている日本の若者や子どもたちは、罪のない市民・子どもたちが犠牲になっている事実に心を痛め、不安や疑問(なぜ戦争は無くならないのか)を抱きながらも、真剣に平和実現の道を探ろうとしています。私たちは、こうした揺れ動く感情や真摯な探究の過程に寄り添うとともに、人類が直面している解決困難な課題に、若者や子どもたちとともに向き合い、事実に基づき声をあげ、語り合い考え合う機会の共有を、意識的に追求することが極めて重要と考えています。
 子どもや若者の人間としての成長・発達に寄与するための教育文化を探求し、市民とともにその支援活動を行っている当研究センターは、ロシアに対し、直ちにウクライナから撤退すること、平和裡に紛争解決のための行動をとるよう求め、ここに声明します。
                 みやぎ教育文化研究センター運営委員会

詩ってなんだろう? ~ 学習会で語られたこと2 ~

 詩人が語る「詩」のこと  

 詩人は「詩」についてどんなことを語っているでしょうか。「こくご講座」では、3人の詩人を取り上げました。

 ◆谷川 俊太郎「詩ってなんだろう」

 「詩って何ですか?」という質問を受けます。子どもからも、大人からも、いつも私は困ってしまいます。詩とは何かという問いには、詩そのもので答えるしかないと思うからです。けれども詩の世界は深く豊かで限りなく多様です。詩は一篇の作品に感動する心のうちに生まれるものですが、その一篇の作品は孤立して存在しているわけではありません。日本語にも他の言語と同じく、読まれ、書かれてきた長い詩歌の伝統があります。その全体を知ることで、私たちはもっとよく、詩というとらえがたいものに近づくことができるでしょう。

 この本は、現行のいくつかの小学校国語教科書を読んで感じた私の危機感から出発しています。教科書には私の作を含めて多くの詩が収録されているのですが、その扱い方がばらばらで、日本の詩歌の時間的、空間的な広がりを子でもたちにどう教えていけばいいかという方法論が見当たらないのです。現場の先生方もまた、そういう大きな視点をもてない悩みをかかえているようでした。

(『詩って何だろう』 ちくま文庫 2007年)

 

 ◆柴田 翔「詩の基本的要素」 

 詩は、大ざっぱに言って三つの要素で成り立っています。イメージ、音の響き、考え(思想)です。

 詩のことばから生まれるその三つの要素が、互いに助け合い、支え合い、響き合い、溶け合って、詩の力を生み出しています。その意味で詩の三要素は決して切り離すことのできないものですが、しかしまた大抵の詩にあっては、その三つの要素がみな同じ力を持っていることは稀で、多くはそのうちのどれか一つが中心的、主導的な役割を果たしています。

 詩を読んで深く理解していこうとするとき、三要素のどれが主導的で、他の要素がそれにどういう形で呼応しているかを見てみるのも、一つの大事な手がかりです。(『詩への道しるべ』 ちくまプリマー新書2006年)

 こくご講座では、柴田翔さんの内容を考えるために、安西冬衛さんの「春」という詩が取り上げられました。

  春   安西冬衛  

 てふてふが一匹 韃靼海峡を渡って行った。

 ○ てふてふ・ちょうちょ・蝶々
 ○ 韃靼(だったん)海峡・間宮海峡タタール海峡

 「てふてふ」や「韃靼海峡」を、「ちょうちょ」や「間宮海峡」などに代えて声に出してみよう。そうしてみると作品「春」のもつ、(三要素の)音の響きが際立っていないだろうか。漢字かひらがなかもイメージに作用しているように感じます。

◆茨木 のり子「詩は教えられるか」

 学校教育の場で詩は教えられるか?と問われたら、教えられるかもしれないし、教えられないかもしれないと言うしかない。・・・

 万人にぴったりはまるような「詩の教え方」などあるはずがない。「詩の教え方」は百家争鳴であるべきで、それぞれがそれぞれの方法論を探ってゆくしかないだろう。(『言の葉さやげ』 花神社 1975年)

 少なくとも指導書にある扱いだけでは、うまくいかないことが暗に語られているように思います。ではどうしたらいいのか。あなたが心うごかされる詩と、たくさん出会うことなのかもしれません。

【子どもたちにどんな詩を?】
 講座では、詩が先にあるのではなく、自分の学級の子どもたちと、どんな気持ちや感覚を共有したいのかで選ぶことが大事ではないかと語られました。その教師がいいと思ったものでしか伝わらないのかもしれません。生きることそのものの励ましや何年経っても口ずさめる詩が、子どもたちの心に残ったらどんなにいいことでしょう。(正)