mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

見ているだけで見えていなかった

 ニラの種を蒔いて1週間、発芽はまだかとプランターに眼を凝らす。「まだ早いのかな?」とあきらめかけたその時、一本のか細い芽を見つけた。「こんな弱弱しい芽ではなかなか見つからない」と改めて表面を見直すと、たくさんの芽が見つかった。見つける「眼」を持っていなかっただけなのだ。既にニラは、たくさんの芽を出していた。そういえば教員1年目にもそんな体験をした。

  中学校での「荒れ」が広がっていた頃の話。斜に構えるクラスの生徒たちと、何とか秩序とメンツを保とうとする新米担任の連日のバトルが続いた。私は生徒たちを叱っては大きな反発を食らう繰り返しで精根ともに尽き果てていた。神経性胃炎と診断され、学校にしばらく通えないこともあった。見かねたあるベテラン教員が「子どもは認められ、褒められて初めて成長するものだよ」と助言してくれた。実際、その先生の授業では、同じ生徒たちが目を輝かせて生き生きと学習する姿が見られた。

  「こんな子どもたちのどこを褒めればいいの?」悩める日々が続いた。ある昼休みのこと。教卓から教室の様子を眺めていると、田中さんが友達の落ちた筆箱をさりげなく拾って机に置く光景が眼に入った。「おっ」と思い、「優しいな!」と彼女に声を掛けると、にこっと微笑んだ。久しぶりに見るクラスの生徒の笑顔だった。

  「こういうことか?」そんな目線で改めて子どもたちの様子を見ていると、子どもたちの「おっ」という行動がどんどん眼に飛び込んできた。教室に落ちていた紙くずをゴミ箱に捨てる子、曲がっていた机の列を当たり前のように揃える子、教室の隅まで丁寧に雑巾で拭く子・・・褒めたいことがたくさん目の前にあふれていた。それまでは見ていただけで見えていなかったのだ。それを言葉にすると子どもたちはとても喜んだ。

  数十年後の中学校での教育相談(親子面談)でのこと。学年スタッフは子どもたちには楽しい学校生活を送ってほしいと語り合った。「せっかくの機会だから、子どもたちのいいところを親と担任とで共有できる機会にできたらいいね」ということで、担任が「当日、お子さんのよいところを2つ教えてください」と宿題を出した。親からは「悪いところならいくらでも出てくるが、よいところなど考えたこともなかった」「改めて我が子のことを考えてみると結構いいところがあった。うちの子すごい」という反応。担任からは「こんなに楽しい面談は初めて。親の子どもへの思いがビンビン伝わってきて聞く度にウルウルした」という感想が聞かれた。

 「我が子のいいところがわからない」と悩む親はこう考えたらいい。「ご飯をたくさん食べることも自分の体にとっていいこと」「ご飯をおいしそうに食べることも料理した人を喜ばせる才能」「朝、元気よく『おはよう』と家族に挨拶できることも」「弟の面倒をよく見ることも」「自分の考えをはっきり主張できることも」「自分の食べた茶碗を片付けることも」「動物に優しくすることも」「足が遅くても一生懸命走ることも」「アニメを見て涙を流すことも感受性の豊かな証拠」。こう考えてみれば、我が子のいいところがたくさん見つかり愛おしく感じるはずだ。多くの親と教師が、「あなたにはこんなにいいところがある」と声に出して伝えてほしい。子どもたちはとても幸せな気分になりますます自分を好きになること請け合いである。(エンドウ)