mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

季節のたより139 マツ

  日本の文化と暮らしに溶け込み  裸地に育つ先駆種

 雪の降る年末の心温まる昔話といえば「かさこじぞう」のお話です。貧しくも心やさしいおじいさんとおばあさんが、最後には幸せになる物語。2年生の「国語」の教科書には、岩崎京子さんの文章でとりあげられています。
 おじいさんがかさこを売る場面では、正月の買い物でにぎわう大年の市が描かれています。

 町には大年の市が立っていて、正月買いもんの人でおおにぎわいでした。
 うすやきねを売る店もあれば、山からまつを切ってきて、売っている人もいました。
 「ええ、まつはいらんか。おかざりのまつはいらんか。」
           (いわさき きょうこ・文「かさこじぞう」東京書籍)

 松は、一年中緑の葉を保つので長寿の象徴とされ、古来から神聖な樹木として尊ばれてきました。新年を迎えるにあたっては、「門松」を立て、松飾りを飾るのが、古くから伝えられてきた風習です。
「そのへんまで、お正月さんがござらっしゃるというのに、もちこのよういもできんのう。」と、おじいさんは、かさこを売ってお正月さまをお迎えしようとするのですが、その「お正月さま」(歳神さま)をお招きする目印となり、お宿(依代:よりしろ)の場所を示すものが、門松や松飾りでした。


       よく散策する近くの山林で見られるアカマツ林です。

 ふつう松(マツ)と言っていますが、 厳密にいうと松という植物はなく、松はマツ科の常緑針葉樹の総称としての呼び名です。
 松は、北半球の各地域に約100種類ほど分布するそうです。日本では、寒冷地の北海道にトドマツ(モミ属)とエゾマツ(トウヒ属)が主に生え、本州から九州、屋久島まで広く生えているのが、アカマツ(マツ属)とクロマツ(マツ属)です。一般に松という場合、このアカマツクロマツを指すことが多いようです。
 アカマツの葉はやわらかく、クロマツの葉は硬いという性質があって、アカマツは雌松(めまつ)、クロマツは雄松(おまつ)とも呼ばれています。

 
   アカマツの葉 細くやわらかい     クロマツの葉 硬く先に触れると痛い

 アカマツクロマツは、その名のとおり、アカマツの樹皮は赤く、クロマツの樹皮は灰黒色をしています。それぞれの樹皮の色が名前の由来になっています。
 アカマツの樹皮は、若木のころは白褐色ですが、成長すると剥がれ落ち、樹齢10年ころには赤くなります。老木になると根元付近の樹皮が黒褐色になって、亀の甲羅のように裂けてクロマツに似てきますが、幹の先端は赤味を帯びているので見分けることは難しくありません。

 
     アカマツの樹皮は赤い色。         クロマツの樹皮は灰黒色。

 一般的に、アカマツは内陸部、クロマツは海岸部が適地と言われています。たしかに日本三景天橋立、宮島(厳島)はクロマツですが、松島、三陸沿岸などの海岸では、アカマツクロマツの2種類が見られます。海から遠く離れた赤城山麓にはクロマツが分布していて、群馬県の県木に指定されています。必ずしもアカマツクロマツが適地にあった環境に生えているとは限らないようです。
 クロマツは乾燥、高温、 塩分に強いので、防風林や防潮林として海岸沿いに植えられてきました。海岸の砂浜に見られるクロマツ林の風景は、昔から大勢の人々の手で植えられた苗が大きく育ったものです。

 6月、アカマツの種子の芽生えを見つけました。

 
      アカマツの種子の芽生え          小さな葉を広げる稚樹

 見つけたのはアカマツ林ではなく、別の森の崖崩れでできた裸地でした。
 アカマツは明るい光を必要とする典型的な陽樹です。アカマツの種子も十分に光が当たる場所でないと発芽できない性質を持っています。
 アカマツ林は、樹高10~20mほどの高木が立ち並んでいて、林床に光が届かず、種子があっても発芽できないのでしょう。

 崖地で芽生えたアカマツの種子は、陽の光を浴びて育っていきました。
 アカマツは一年ごとに段々に枝が伸びていきます。主幹に近い部分から枝の段数を数えていくと、おおむねその木の樹齢が分かるそうです。


   1年目の芽生え     2年目の幼木    3~4年ほど     10年ほど

 アカマツは成木になると花を咲かせます。4月から5月、枝の先から10㎝ほどの新芽が急に伸びて、新芽の根元にたくさんの雄花がつき、その先の方に雌花がつきます。雌花は花によって2~3個つけるようです。
 アカマツは風媒花です。雄花には大量の花粉が蓄えられていて、成熟すると放出され、風に運ばれ飛んでいきます。雌花はたくさんのりん片からできていて、そのりん片のすきまから花粉が入って受粉します。


     たくさんの雄花      雌花は後から先端に      花粉を放出する雄花       りん片でできた雌花

 受粉した雌花は時間をかけて成長し、松かさ(松ぽっくり)とよばれる状態になります。松かさのなかの種子は一年半かけて成長します。今年受粉した雌花の下に緑の松かさがよく見られますが、これは一年前に受粉した雌花からできた若い松かさです。種子が実ると松かさも茶褐色になります。
 秋、松かさは、空気が乾燥するのを待ってりん片を開きます。ひとつのりん片のなかには、うすく軽い翼のある種子が2個入っていて、クルクル回転しながら落下します。尾根道や崖地の松は風当たりもよく種子の散布に最適です。種子は風に乗り、かなり遠くまで飛んでいきます。

 
   種子を育てている緑の松かさ     種子(円内)を散布する松かさ

 山火事、地震、自然崩壊などで裸地になった土地に、最初に侵入する植物をパイオニア植物(先駆植物)といいます。
 パイオニア植物の多くは地衣類やコケ類、イタドリやススキなどの草本植物ですが、真っ先に芽を出す樹木にアカマツクロマツがあげられます。光さえあれば痩せた土地でも育つアカマツクロマツは、あとに続く植物のための土壌づくりをします。続いてやって来るのが、コナラ、ハンノキなどの陽樹で、これらの樹木が高木となって林床に光が届かなくなると、日陰に育つ陰樹が成長し、最終的に栗駒山麓や白神山地に見られるようなブナなどの樹木が中心の森になります。
 荒廃した大地が安定した状態の森林へと遷移していく過程で、アカマツクロマツは、パイオニア植物として後に来る樹木の環境を準備し、やがて姿を消していくのです。


 アカマツ林は次にくるコナラやハンノキなどの樹木が育つ環境を準備しています。

 ところで、アカマツ林といえばマツタケですが、アカマツが根をおろす痩せた土地は、マツタケの元となるマツタケ菌が生育するのに適した土地にもなります。
 アカマツは、痩せた土地に育つとはいえ、少しは窒素やリンなどの養分を必要とします。アカマツ林のアカマツは、その養分をマツタケ菌からもらい、かわりに光合成でつくった栄養分をマツタケ菌に供給しています。アカマツマツタケ菌の共生関係が生まれているのです。ところが林の土壌が豊かになると、病原菌が増えてマツタケ菌が負けてしまいます。アカマツも他の樹木が増えて育たなくなります。
 アカマツマツタケ菌の共生は、適度に痩せた土地であるという微妙な自然環境の上に成り立っていて、アカマツ林ならどこでもマツタケがとれるわけではないのです。マツ属とマツタケ菌の共生は自然条件が良ければ可能で、アカマツ林だけでなく、クロマツ林でもマツタケが生えてくることがあるそうです。


 松ぼっくりを多くつけるのは子孫を残すため、樹勢が衰えた印といわれています。

 松は、古くから人々の暮らしと結びつき、日本の信仰や文化に深く関わり、自然の風景のなかにあり続けてきました。
 正月の門松や松飾りでもふれましたが、松は昔から神様が天から降りてこられる木として扱われてきました。厳寒にも青々としている松は、「歳寒の三友」の「松竹梅」の一つとして尊ばれ、寺社、邸宅などの庭園には必ず植えられています。
 万葉集に歌われた樹木は、松は約80首で、萩、梅に次いで多く詠まれています。古今の屏風、掛け軸、風景画の多くに松が登場します。能舞台の背景となる「鏡板」には老松が描かれています。

 日本三景といわれる松島、天橋立、宮島の景観における松の存在は大きく、各地の景勝地の風景をひきたてているのも松です。江戸時代に植樹されたとされる東海道をはじめとする五街道の松並木は、旅人たちの木陰や雨風よけ、休み場や道しるべとなり、今もその名残をとどめています。

 松のヤニはロウソクの代わりや松明(たいまつ)の燃焼に使われました。松炭は高い熱量を出す優れた燃料で、江戸時代にはこの高い火力を使った「刀鍛冶」の高度な技術が生まれ、現在の刃物づくりに受け継がれています。
 太平洋戦争末期、航空機の燃料が不足し、政府はマツの根から松根油という油の採集を国民に命じました。結局、この油でゼロ戦が飛ぶことはなかったのですが。

 建材としての松は柔軟さと硬さと艶があるといいます。アカマツの板張りは布で拭きこまれると光沢が出てきます。古民家でよく見かけるのは、みごとなアカマツの梁(はり)です。アカマツの木を薄く削ってつくる経木(きょうぎ)は、日本伝統の包装材で、抗菌作用があり、ラップなどが主流になるまで、菓子やみそ、魚などのいろんな食品を包むのに使われていました。

 長野県の安曇野には、「松葉みそ」というものが残っているそうです。大豆を煮て味噌を仕込む時に、アカマツの芽も一緒に入れて仕込むのだそうです。

 まだまだありそうですが、こうしてみると、松は日本の文化と暮らしにいかに深く関わり溶け込んでいるかがわかります。

 
    枯れ松の伐採作業(青葉山)      破砕処理か薬剤処理が行われます。

 長年、人々と共にあった松ですが、今、” 松枯れ病 ” によって全国の松が次から次へと枯れるという現象が起きています。
 松枯れ病とは、マツノザイセンチュウが松の中で大量発生し、樹木の必要な水分の吸い上げができずに松が枯れてしまう現象です。
 元々、このザイセンチュウは北アメリカに生息していたものです。輸入品に紛れてやってきて、日本のマツノマダラカミキリに寄生し、そのカミキリが松の新芽を食べるとき、食べる傷口から松に入り込み、大量に増えて松を枯らすのです。
 カミキリは枯れた松に産卵します。蛹から羽化するときに、ザイセンチュウが寄生して、新しい松に運ばれます。ザイセンチュウとカミキリは、枯れた松で共生し新しい松を枯らし続けるのです。

 マツノザイセンチュウは、ふるさとのアメリカでは弱った松を枯らす程度で、生態系のなかで節度を保っているとのこと。それが、いったん新天地に移住すると、抵抗性を持たない日本の松を相手に非常な悪さをしているのです。
 現在、薬の散布や薬剤の注入、枯れた松の伐倒処理などをして、ザイセンチュウの予防と駆除が行われていますが、被害は収まっていません。
 今、期待されるのが、松枯れを逃れて生き残ったマツから、抵抗性のある松を育てる取り組みです、府県単位で抵抗性マツの種子の採種が行われていますが、苗を育て植栽するところまで進んでいないようです。
 マツノザイセンチュウが、日本の生態系のなかに位置づく日まで、長い時の流れが必要なのでしょう。日本の松のある風景が見られるのはあたりまえのように感じていたのですが、その風景を守ろうとする関係者の日々の研究と取り組みが続いているおかげなのだと、改めて思います。(千)

◇昨年1月の「季節のたより」紹介の草花