mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

正さん、猛暑のなかの神出鬼没!

「国語」の教科書採択を傍聴するの巻!

《誰が選んでいるのか》
 教科書は、教育長を含む7名の教育委員によって審議採択されます。委員の中には教員経験者もいますが、実際に教科書を使って授業している方は一人もいません。この7名ですべての教科、すべての出版社を授業者目線で見ることはほぼ不可能です。そこで、別の審議団体(名称は覚えていない)があり、そこからの資料も配られているようです。さらに、各学校から教科ごとの個票(どの教科書がいいか、教科担当の先生などが選んでいます)が資料として提出されています。各教育委員がこれらの資料をどのように使っているかは全く分かりません。いずれにしても、使っている現場教員に選択権がないというのは、どう考えても不条理だと感じます。

《議論になったところは》 
 国語は、教育出版、東京書籍、光村の3社。会議では匿名でA社、B社、C社という記号名で議論されますが、内容を聞いていると、それぞれの教科書で使用する項目や言葉の使い方から、どこかがすぐ分かりました。最終的に、東京書籍と光村の2社の対決となりました。どんな点かいうと、例えば4年生の「一つの花」。

東書推薦意見:ここで何の勉強をするのかがはっきりわかるようになっている。さらに、ていねいな学びの手順も示されている。それに従えば、一人でも学べると考える。
光村推薦意見:学び方の詳しい説明はなく、すぐ本文に入れるようになっている。子ども目線で見れば、どんなお話なのかを読む中で、疑問や興味関心が高まるのではないか。

 つまり、教材の初めに書いてある、ていねいな学びの手順が子どもの意欲を引き出すことにつながるのかどうか、ということです。2時間聴き続けた中で、ここはまともな議論だと思いました。しかし、話し合い全体は低調で、司会をしている教育長も難儀していました。授業をしていない委員にとって、推す理由が明確でない苦しさを感じました。ご苦労さまでした、としか言いようがありませんでした。

《『ヒロシマのうた』が話題に》
 もう傍聴も飽きて帰ろうかと思った時、保護者代表のような委員が、『ヒロシマのうた』は、これまで東京書籍の教科書の真ん中辺にど~んと載っていたのに、新しい教科書では巻末付録に2ページしかないんですね。これって先生方は扱うんでしょうかね?」と声を上げました。それには誰も答えることができず、無反応でした。発言者は「この作品はとてもいいものだと思います。授業でちゃんと教えてほしいし、子どもたちにはしっかり学んでほしい。」と付け加えました。
 正直驚きました。教育関係者ではないと思われる方が、『ヒロシマのうた』は子どもにとって大事な作品だと評価していたからです。ご自分が授業を受けたのか、それともお子さんの教科書に目を止めたのか、授業参観で扱われていたのか、その経緯は分かりませんが,教員だけでなく保護者の中にもこの作品が心に残っていることを知りました。
 この日は2時間にわたって話し合われましたが結論がでず、国語の採択は継続審議となりました。次の傍聴には行けなかったので、そこでの議論についてはわかりませんが、最終的に光村の教科書が採択となりました。
 ついでに他教科の出版社もお知らせします。

 以上、教科書採択をめぐる教育委員会のやり取りを傍聴するうちに、忘れかけていたおいらの教師魂にめらめらと火がついて、久しぶりに学習会にも参加しました。以下は、その学習会で考えたこと、思ったことです。

「ごんぎつね」の模擬授業に参加するの巻!  
                  (講師:東京書籍編集委員のF氏)

 参加したのは、こくごの学習会。たまたま講師の先生が、東京書籍の編集委員であることを知り、どうも最近教科書に縁があるなと思って話を聞きました。
 模擬授業は、参加者の初発の感想を拾い上げる中から「ごんのねがいは兵十に届いたのか」という課題が設定されました。それを確かめていく方法として、「ごん」と「兵十」の関係を心情曲線で追いかけていきます。うなぎのいたずらの場面では、兵十はごんから離れたところに〇が移動するといった具合です。


 話し合いは何がその根拠となっているのか、文に立ち返ります。参加者が先生たちということもあり、すべての場面を2時間ほどで話しましたが、子どもとやるときは、一つの場面を1時間で行うとのことでした。

《感じたこと・分かったこと》
★この教材は、心情を追いながら全体をとらえるための読み方を学ぶためにあり、事細かに扱うことはしなくていい。6年間を見通しての扱い方がある。積み重ねられた力が「海のいのち」6年で開花することを願う。話の端々から、そんなことが伺えました。教科書を作る側からいえば、この教材一つで全てを網羅することはできないということなのだろう。全くその通りだと思います。でも、6年生になっても、ことばへの感覚や文の示す事実、その裏側にある感情などに疎いのはどうしたことなのでしょう。積み重なるはずの力が育っていないと感じているのは私だけでしょうか。
 また、作品は道具ではないと言いつつも、作品を大事にしているとも思われませんでした。それは、感情の根拠となる言葉や文を部分的に抜き出す(大事なことではある)だけで、お話が立体的になるのだろうかと感じたからです。
 この点については、おそらく取扱い時間に限界があるからなのでしょう。でも、よく考えたいのは、先ほども言ったように教科書会社の考えた指導時間に従って授業をしても、言葉に対する感覚や読みの力が高まったという実感がなかなか得られないということです。反論もあるでしょうが・・・

★「『子ぎつね』ではなく『小ぎつね』ですから、子どもではないんですね。じゃ、いくつぐらいなんでしょうね。書いてありますよ。」という問いがあり、みんな必死に探し始めました。なかなか見つからない。すると、「2文字です。」の声。またまた、あちこち探し始める。
 時間を考慮してか、「大人」ですという回答。その根拠はいくつか教えられたのですが、覚えているのは「ごん」のいたずらの悪質さ、物知りの深さ、撃たれる「ごん」が子どもだったら、その衝撃の大きさに兵十は、子どもたちにどう受け止められてしまうのか、などだったように思います。
 受講者の感想には「ごんは大人のきつねであるという読みの発見がありました」というのもありました。
 私は「へえ~そうなんだ、大人だったんだ」と思いつつも、どうも違和感が拭えなかったので過去の実践記録を調べてみました。すると,文学教育実践史事典・第二集の中に「『小狐』に関する解釈をめぐって」という資料が見つかりました。全文を載せると長文になりますので、いくつかあげられている根拠から抜粋してお知らせします。

鳥越信氏:【16,7歳】説
 しかし、それ以上に大きな根拠は、兵十あるいは人間たちとの間に交流を求めて接近してくるごんの心情は、どこからどう見ても、孤独な青年の心情だという点です。誤解を恐れずあえていえば、私はごんは当時の青年南吉そのものであって、ごんに当時の南吉を重ね合わせて読むと、この作品の真意がはっきりと見えてくるという気さえするのです。

岩沢文雄氏:【13,4歳】説
 ごんは、内容からいいまして、そのいきいきとした頭の働きからいっても、そのすばやい動作、またとくに、そのみずみずしい感受性からいって、年よりぎつねではない。私は、ごんは、小ぶりで年もまだちいさい子どもぎつね(人間でいうと、13,4歳ぐらいの)だと思います。

谷悦子氏:【幼少年 10歳くらいか】説
 また、ごんぎつねの「おっかあは、死んじゃったにちがいない。」「ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」「神様にお礼を言うんじゃおれは、引き合わないなあ。」といった言葉や思考法は、青年ぎつねではなく幼少年ぎつねを表している。

萬屋秀雄氏:【小学6年生~中学1年生ぐらい】説
 しかし、そのいたずらぶり(気まぐれな)や、谷もあげているようにごんの発する言葉や口調などから青年らしさも感じられない。その中間、青年に足を踏み込む一歩手前の少年、敢えて年齢を引き出すと12,3歳ぐらいというところか。

 「子ぎつね」について、特別に授業で取り上げる必要はないのですが、鵜呑みにするのではなく、作品理解の中で自分でイメージすることが大事だと思いました。

○今回の課題「ごんのねがいは兵十に届いたのか」は、話し合いの結果「ごんと兵十は分かりあった」となりました。その場では、反論はありませんでしたが、参加者の感想に「そうは思えない」旨のものもありました。私の勝手な見方ですが、たとえば「ごんの本当の気持ちは分かってもらえていない」というところに落ちついたとしても、F先生は「そうだね、よく分かったね」と肯定すると思いました。
 つまり、そこに至る子どもたちの話し合いを大事にしているからだろうと思われます。ただし、分かりあえたかどうかは、この作品の核心部分ですから、しっかり読みあう必要がありそうです。

《学習会は、いいもんだな》
 参加者の中には、「このやり方で授業してみたい」と意欲を持ったり、「ほんとうに、ごんと兵十は一つになれたんだろうか」と疑問を持ったり、私のように「ごんは大人なのか?」と調べたり、参加者が動き出すきっかけとなりました。学びたいと思って集った先生方をそういう気持ちにさせてくれる学習会は、やっぱり大事だと改めて思いました。
 欲を言うなら、多様な講師を取り上げ、授業も考え方もいろいろあることを提供してほしいと思いました。指導書やスタンダードだけではないさまざまな授業に出会ってほしいものです。

 ということで、今週末の5日(土)は、研究センターの「こくご講座」に参加しませんか。おいらも参加します。みんなでワイワイ言い合いながら授業について話し合いましょう!