mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

抜きつ抜かれつ、その後は・・・

 正さんの「熊野古道伊勢路ひとり旅」の連載が始まった。今回は、その行程200キロ。そんな正さんに対抗するつもりは全然ないけれど、このところ春の陽気に誘われて、天気のよい日は、台原森林公園のなかを歩いて(あとの残りは地下鉄で)通勤するようにしている。その距離、約2キロ。正さんの100分の1にすぎない。とはいえ、その2キロ足らずの歩きにもいろいろあるのだ。

 歩き通勤をはじめて少し経ったころだった。小学3、4年生ぐらいの男の子が、私の前方をあっちへふらふら、こっちへふらふら、時おり立ち止まっては何かをじっと見つめたりしているのに気がついた。始業時間には、まだずいぶん早い登校だ。そんな彼の後ろ姿を見ながらの通勤が、何日か続いていた。

 先日、森林公園そばに建つマンションの非常階段に女性の人影を見つけた。何をしているのだろうと思いながら、視線を前に戻すと彼がいた。そしていつものようにゆっくり歩いていると思ったら、くるりと振り返って非常階段の女性に手を振った。お母さんなのだ。それから何度か、彼はお母さんがいることを確かめるように振り返り、非常階段に母親の姿を見つけては同じように手を振った。そんな彼の姿に、学校に行くのが嫌で登校を渋っていた頃の自分を思い出していた。

 ふと気づくと、いつの間にか彼に追いついてしまっていた。私は素知らぬ顔で彼を追い抜いた。すると彼はランドセルをバタつかせながら走って私を追い抜いた。そして、いつものように、またふらふら歩き始めた。ふらふら歩く彼をまたまた追い抜くと、またまた彼は私を追いかけてきて抜いた。そんなふたりの暗黙の、無言の抜きつ抜かれつのやりとりが幾度となく続いた。それは彼とのあいだに結ばれた無言の遊び? しばらくして彼は学校に向かい、私はまだ先の駅をめざした。
 彼は、日々どんな気持ちで登校しているのだろう。それはわからない。そもそもどこの誰かも知らない同士。でも、そういうなかにも世界は、ちゃんと新たに広がるものなのだなあと思ったりする。

 ところで、その後、彼と会えていないことを、冒頭の正さんに話した。私が「もしかしたら5月のゴールデンウィークも終わって、学校に行けなくなっているのかもしれない」と話すと、正さんは「それは違う」ときっぱり明言し、「それはきっと、あなたのことを不審者に思ったに違いない。お母さんに、今朝学校に行くときこんなおじさんがいたと話したら、その時間に登校するのはやめなさいとか言われたんだよ」と。❝ おれが不審者? それを言っちゃあ~正さん、おしまいでしょ ❞ と思いながらも、他方で今のご時世、さもありなんと思って苦笑するしかなかった。
 世知辛い世の中になったなあと思うのは、私だけなのかなあ。(キヨ)