mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

『国語なやんでるた~る』を終えて ~今と未来を妄想する~

 11月末から行ってきた『国語なやんでるた~る』は、12日の会で一区切りつきました。会はとても活発なやりとりがされて、とても楽しいものでした。それだけに参加者が少なかったのはとても残念な気がします。

 主催の私がいうのは自己満足にすぎないと言われそうですが、久しぶりに精神的にわくわくする高揚感と充実感を感じました。それがあったからでしょう、その日は家に帰ってからも目が冴えてしまい、結局3時ごろまで眠れませんでした。興奮して寝つけない子どもと一緒です。案の定、次の日は睡魔に襲われながらの仕事と相成りました。

 会の運営の中心を担ってくれている正さんも、わたし同様とても楽しかったに違いありません。さっそく3回目の様子をまとめてくれました。以下、どのような点が話題になったのかを一部ですが紹介します。

★ヒロ子ちゃんにつらく当たる義理のおばあさんの家を出て、広島で暮らすようになったヒロ子ちゃんとお母さん。「それからも二度三度手紙が来ましたが、その手紙もだんだん短くなって、しまいにはこなくなりました。わたしもいつかヒロ子ちゃんのことを、忘れていくようでした。」とある。「忘れていくようでした」って、どういうことかなあ?

★15年目の夏、わたしはヒロ子ちゃんと会う日を8月6日の記念日にするが、わたしは後悔し、「記念のいろいろな行事は、何かわたしたちの思い出とかけはなれたものにしか思えなかった」とも言っている。「記念のいろいろな行事」って?どんなこと、「思い出とかけはなれた」ってどういうことだろう? 私たちの「たち」って誰?

★わたしは、広島のとうろう流しに気づき、あの広島に原爆が落とされた8月6日のことを「そうだ、今話さなければならないのだ」と決心している。わたしは、ヒロ子ちゃんに話すのは今をおいて他にはないと強い意志を持って思っている。そう決心させたのは何なのだろう?

★わたしは、死んでいったヒロ子ちゃんの母の服に縫い付けられていた名札から、あの8月6日の話を始めている。どうして名札からだったのだろう? その名札をヒロ子ちゃんは「不思議そうに、ちょっと指先でさわってみたりしました」、「名札を胸のところにおさえて、わたしの方を見ると、にっこり笑って」とある。この名札に対するヒロ子ちゃんの変化に、ヒロ子ちゃんが死んでいった母親をどう受けとめたのかが象徴的に示されているんじゃないかなあ。

★あの日の話を聞いたヒロ子ちゃんは、にっこり笑って「あたし、お母さんに似てますか?」と言う。それを聞いて、私は「うれしいのやら、かわいそうなのやら」とある。お母さんに似てますかって、顔のことでいいの? わたしは何をうれしい、かわいそうと思ったのだろう。

★「ヒロ子ちゃんは強い子でした。どんなことにも負けていませんでした。」とわたしは言い切っているけど、なぜそう言い切れるのかなあ。

★ヒロ子ちゃんに話をした翌日、私が目を覚まして起きると、ヒロ子ちゃんのお母さんは、ヒロ子ちゃんが寝ないでワイシャツをつくっていたことを話し、ヒロ子ちゃんに内緒で、そっと原子雲のかさとS・Iとイニシャルの入ったワイシャツを私に見せる。そして「よかったですね。」とのわたしの言葉に、「ええ、おかげさまで、もう何もかも安心ですもの・・・・・・。」と応える。お母さんは「もう何もかも安心ですもの」と言っている。裏を返せば安心できていないことがずっとあったということ、それは何? 原子雲の傘の刺繍を何でしたのだろう。つらく悲しい思い出のはずなのに。

★汽車に乗り広島駅を後にする場面に、「いつまでも十五年の年月の流れを考え続けていました。」や、最後の「汽車はするどい汽笛を鳴らして、上りにかかっていました。」とある。ミーちゃんのお母さんの姿が、この物語の根底にずっと流れていることに気づかせたいなあ。そのためにはどうしたらいいだろう? 今の子どもたちに汽車の動くときの力強さはわかるかなあ。そこに、3人のこれからの姿が重なっているんだよね。

★作品のタイトルは『ヒロシマのうた』だけど、物語のなかには「うた」なんて言葉はまったく出てこない。だとすると、この「うた」って何? 何だろう。

 学習会のなかで話し合われた内容は、決して目新しいものではないでしょう。これまでにどこかで話し合われ議論されてきた内容に違いありません。『ヒロシマのうた』は、これまでも多くの教師たちによって実践されてきているのですから。なんだこの程度の学習会かと思われた方もいるかもしれませんが、あしからず。

 それにしても、今回の『国語なやんでるた~る』は楽しいものでした。それは、作品の表現に注目しながら、その表現からどのようなことが読みとれるか、みえてくるか。参加者それぞれに気になった表現や疑問を率直に出しあい、『ヒロシマのうた』という作品世界を読みひらいていったからでしょうか。『ヒロシマのうた』という作品と出合い、そういう疑問や関心を持つ自分自身と出会い、さらにその場にいる参加者たちと出会う。そういう出会いの場に自分がいることを幸せに感じました。出会いに満ちた空間は、とても楽しいです。ああ、この人はこの言葉からこんなことを考えていたのだ、思っていたのだ。だからこうも考えたのだな。そうすると、この作品のこの部分からはこんなことも読めるのではないか? そういうことが私をわくわくさせます。学びはそういう中にこそ息づいているのではないでしょうか。

 谷川俊太郎さんに「部屋」という戯曲がありますが、それはこんなふうに始まります。

 (男)君は誰?
 (女)誰でもないわ、まだ。
 (男)ここはどこ?
 (女)どこでもないわ、まだ。
 (男)では何をしているんだ。君はここで。
 (女)何もしていないわ、まだ。

 女の「まだ」は、始まりの予感に満ちています。いや、すでに始まりを告げているのかもしれません。きっと私が『国語なやんでるた~る』にわくわくし、そこから感じたものは、この始まり≒「出会い」の予感です。『なやんでるた~る』の今後の可能性は、きっとここらにあるのではないかという気がしています。悩んでいる、それを何とかしたいという思い。その思いを縁に集まるからこそ何かが始まるという予感、そしてその始まりをまさに参加者一人一人が参加することを通じて生み出してく。そういう営みそのものがとても大切な気がしています。

 今年の『なやんでるた~る』は、これでおしまいです。来年も「なやんで、どうにかしたい」と思っている人がいる限り? 続けていきたいと思っています。
 どうぞみなさん、今後ともよろしくお願いいたします。ちなみに私は運営の裏方です。会の中心を担ってくれているのは正さんです。ですが正さんには来年もやるかどうかというような今後の話はまったくしていないのですが・・・。この場を借りて「正さん、来年もよろしくお願いします。」(キヨ)