mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

モラルとしての「怒る」、今年もよろしくお願いします

 元日、目覚めたら車の屋根にうっすら雪が積もっていました。元旦の雪は久しぶりだなと思っていたのですが、実は昨年も雪だったんですよね。一年前のことすら忘れている、いや分らなくなっている自分を感じて、ちょっと不安になりました。

 不安になったついでに昨年一年を省みると、真っ先に思い浮かぶ出来事は、人生初体験となる組合の団体交渉。職場の仲間と、パワハラ案件や労働条件・環境の改善に向けての交渉を行いました。加盟する宮城一般の委員長をはじめ職場組合員による経営陣への追及は鋭く、まさに圧巻でした。本来ならその先頭に私も立たなくてはいけないのですが・・・、まわりの迫力に圧倒され魅入ってしまうのでした。ふと思い出したのは教育学者の大田堯さんの言葉でした。

 怒るべきことに怒るのは、
 人間にとっての大事なモラルだ
 それができない人間が多くなっていないか

 近年、コミュニケーション能力の重要性が語られ、他者との協調性が言われるなかで、他者への批判や対立を忌避する傾向が強くなっていないでしょうか。また、そういう批判や対立を持ち込むことが場を乱し、空気を読めない事・人として社会性に欠けモラルに欠けた事・人として見る風潮が強くなっていないでしょうか。「怒るべきことに怒る」ことがためらわれ自重されるのも、この同一線上にある事象のように思います。

 これらの背景には《どうせ言っても・・・何も変わらない》という諦めや、まわりの人間関係を悪くしたくない(嫌がらせや仕返しが怖い)という不安や心配があったりするものです。それは決して他人事ではありません。事実、私たちの職場で起きたパワハラや不適切な運営も、そういう日常のあり様のなかで起きた事だと言えるのですから。

 大田堯さんの先の言葉にはっとさせられるのは、怒るという行為を「モラル」と結びつけている点です。モラルとしての「怒る」というのですから、それは無闇やたらに「怒る」ことを良しとするものでないでしょう。組合での交渉は、そんな「怒る」ことについて改めて考えさせられました。

 ところで冒頭の雪にかぎらず、最近とみに自分で物忘れが多い気がして心配になって来ています。そんな自分を励ましながら、今年も皆さんと一緒にがんばっていきたいと思いますので、よろしくお願いします。

 あっそうそう、年始恒例?となった佐藤忠良さんの「緑の風」詣では忘れませんでしたよ(元日の「緑の風」です)。それから9日の「冬の学習会」の企画にも、ぜひご参加ください。お待ちしています。(キヨ)

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 ぬけぬけと自分を励ますまじめ歌

  他人を励ますのは、気楽です
  自分を励ますのが、大変なんです

  私は誰か、私は何か
  知ってしまったあとだもの

  私は自分に言い聞かせるの
  私はこれから咲く花ですよ

  それはちょっぴりウフフ
  それはちょっぴりアハハ

  都合のいい夢咲かせていよう
  私は遅咲き大輪の花

  自分をいじめるのは、子供です
  自分をいじめないのが、大人です

  アハハウフフ アハハウフフ
  私はウフフの大人でいよう
  アハハで励ます大人でいよう

           (吉野弘・作)