mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

震災から10年、いまだ放置されている高校生犠牲者

  子どもたちのいのちに責任を持つ教育行政を! 

 私は、41年間小学校に勤め、その間に7年間宮城県職員組合の本部役員をしました。大震災後の2012~2013年の2年間は、委員長として大震災後の子どもと教職員、学校を支えるために努力してきました。同時に宮城の小中学生がどのような状況で犠牲となったのか、課題と教訓を得るため、犠牲となった宮城県内の小中学生261名の調査を様々な方の協力のもとで行いました。その結果は『子どもの「いのち」を守りぬくために』(2014年9月宮教組発行)にまとめました。

 昨年4月に研究センターの所長として仕事を始めたとき、私がすぐに取り掛かったことは、ずっと気にかかっていた宮城県の高校生犠牲者について調べることでした。県教委HPにある震災関連資料では、県立高校79名、特別支援学校の生徒5名、計84名が犠牲となっています。(他に石巻市仙台市の市立高校生8名が犠牲となっています。私立の高校生については、残念ながら記載されていません。)

 高校生の犠牲についての情報は、人数以外明らかにされていません。文献を探しても、インターネットで検索しても高校生の犠牲状況は分かりません。小中学生の状況は、大部分の事例が各学校からの「事故報告書」として市町村教育委員会に提出されていました。そこで早速、研究センター着任後の4月7日県庁に行き、県教育委員会に、以下の開示請求をしました。

 ① 東日本大震災時における県立学校の犠牲者(84名)についての各学校からの報
   告書
(県立学校の管理に関する規則第11条にある報告書)

 ② および、上記についての県教委としての調査報告書類

 4月20日付で、県教委からは「行政文書不存在決定通知書」が届きました。「行政文書が存在しない理由」として、以下の回答が届きました。

 ① 高校教育課及び特別支援教育課において各学校からの報告書の提出はありませ
      ん。

 ② および、上記についての県教委としての調査報告書について、県教委としての
      調査報告書は作成しておりません。

 私は、あまりの無責任さに愕然としました。このまま黙っているわけにはいかないと考え、7月14日付で県教育委員会に、以下のような「審査請求書」を提出しました。

 文書が存在しない理由として貴委員会は、①の文書については「各学校からの報告書の提出はありません。」としている。しかし、県立学校の管理に関する規則(事故等の報告)第11条には「校長は、児童生徒~の死亡事故が発生した時、~速やかにその状況を教育委員会に報告しなければならない」と規定されている。その規則に基づいた報告すべき文書が「存在しない」とは、どういうことか。犠牲者を出した高校の校長は、規則違反ではないか。教育委員会として報告を求めなかったのか。求めなかったとすればなぜか。規則違反を見過ごしたのか。その責任が問われる事態であり、何らかの処分されるべき事態である。到底納得できるものではない。

 ②の文書についての不存在理由としては「県教委としての調査報告書は作成しておりません。」となっている。県教育委員会として、県立学校の犠牲者について調査せずに震災の教訓はどう導きだしたのか。大震災に対する取り組みの第1にすべき内容ではないのか。対外的にも今後の震災対応にも震災学習にも必要な基礎資料ではないか。その調査報告書がないということは、全く信じられない。調査報告書がないとすれば、県教育委員会としての仕事の怠慢であり、県民に対する責任の放棄である。

 これに対し、県教委は、10月9日付で、①の各学校からの報告書の「不存在決定処分の取消し」を通知してきました。②の県教委としての報告書についてはやはり「不存在」でした。
 そして、県教委高校教育課と特別支援教育課の担当者がわざわざ研究センターに来て①の文書は「見つかったが、殴り書きメモ程度で申し訳ない」と謝罪し、見つかった行政文書の部分開示は、その開示部分の決定を12月25日まで、「延長」させてほしいとの通知文書の説明を受けました。4月に開示請求した文書は、12月17日にようやく氏名と住所が黒塗りされた以下の文書が開示されました。

 ①東北地方太平洋沖地震における各県立学校からの報告に関する文書 455枚

 ②東北地方太平洋沖地震に伴う生徒の安否確認についての報告書        43枚

 担当者が詫びたように、これらの文書は、当時の「殴り書き」「メモ」であり、「状況」の説明は全くなく、県立学校管理規則の11条にある「事故報告書」と呼べるものではありません。私は県教委に対して再び「審査請求書」を提出し、以下のように述べました。

 県教育委員会は、県立学校の犠牲者について調査せずに、震災の教訓はどう導きだしたのか。(※回答文書の中で「文科省が調査した」と言い訳しているが、その調査は県教委として各学校からの個票は受け取っておらず、どこの学校の状況なのかも把握できず、犠牲者については部分的で不完全な調査と言わざるを得ない。)県立学校に通う生徒の「被災状況」をできる限り把握し、避難の「失敗事例」「成功事例」を理解しておくことは、県教委としての責任であり今後の震災対応や震災学習、対外的にも必要な基礎資料のはずである。
 開示された文書を読み、犠牲者について備考欄の「保護者からの報告」等という記述に、私はその保護者・遺族の気持ち、さらに犠牲となった高校生の思い・苦しみが思い浮かび、高校生の犠牲者について、調査もされず教訓化もされず、放置されていることを感じた。
 管理規則に規定されている「事故報告書」それらをまとめた「調査報告書」を作成していないとすれば、県立学校に責任を持つ県教育委員会として、犠牲となった高校生や我が子を失った保護者に対する背信行為ではないか。大震災時の高校生の犠牲状況について、今、調査しまとめなければ、今後さらに困難になっていくだろう。
 大川小裁判の確定判決を受けた県教委の「宮城県学校防災体制在り方検討会議」になぜか、高校教育課は参加していなかった。高校教育課は、県の学校防災体制には無関係なのだろうか。県立学校の生徒84名の命をどう考えているのか。震災10年の今年、改めて高校生の犠牲者について調査し「報告書」として残し、未来の高校生の命を守る今後の教訓とすることを強く希望する。

 審査請求の結果は、まだ届いていません。私は今年、研究センターの1つの仕事として、高校生の犠牲者調査に取り組みたいと考えています。皆さんからの情報を、ぜひお寄せください。(高橋達郎)