mkbkc’s diary

みやぎ教育文化研究センターの日記・ブログです。

台風19号の被害を受けた丸森へ(その2)

◆11月3日(日)復旧の手伝いへ ③
 ボランテイアの方が7,8名来てくれたので、私は米作りなどに使う道具が納めてある納屋の片付けに回った。実際片付ける訳ではなく、泥だらけになったはせや杭、昔使った草取り機などを引っ張り出して捨てる作業だ。軽トラに積んで町民グラウンドに持って行くが、廃棄する物でできた山がいくつも盛り上がっていた。燃える物、プラスチック類、家電、鉄製品、ガラス類と分けて捨てることになっているが、かなりごちゃ混ぜになっていた。下ろすのを手伝ってくれるボランテイアが常駐していたのでとてもありがたかった。
 運搬の仕事は初めてだったので、町以外のところがどうなっていたのか少し見ることができた。

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 写真は、Fさん宅から少し西に行った橋の上(五福谷川)からのものだ。分かりずらいが鉄塔の奥に町が見える。写ってはいないが堤防の両側に民家が数軒あり、壊滅的な被害を受けていた。町中心部が主に報道されていたが、南側に位置するいくつもある地域が飲み込まれていたことを知った。冠水面積から言えば中心部の何十倍もの広さが湖になったのだ。

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 同じ橋から五福谷川上流を見ると、川の中と土手の上に流された車が放置してあった。ということは、決壊していなくとも水は土手を越えたことが分かる。この川を少し上ったところに五福谷地区があり、自衛隊の重機が泥に埋まって動けなくなるほどの惨状だったという。

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 決壊工事をしているのは、先ほどの五福谷川より東にある内川。Fさんのお宅はもう少し左奥のほうになる。簡単に言うと、先ほどの川とこの川の間に位置する。逃げ場を失って孤立するほか何もできなかったと語っていた。

◆11月10日(日)復旧の手伝いへ ④

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 大阪のチームと大同生命のチームがボランテイアとして来てくれた。前回やった納屋の片付けと左に見える農機具倉庫を片付けるために周辺の泥すくいが主な仕事。土嚢袋に詰めすぎると重くて運べないので、お互いに「こんな感じだよね」と話しながら進めた。今回は2トントラックが来てくれたので、土嚢550袋を運び出した。ずいぶんやった気がしたが、それでもほんの一部分。

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 NHKが取材に来た。ようやくこういう所の被害にも目が向き始めたかと思ったら、そうではなかった。

 Fさんは、丸森の自然薯農家や小菊栽培のまとめ役なので、それらの被害と今後の再生についての取材のようだった。長い取材だったが、帰るときはボランテイアにもきちんと挨拶してくれた。私は「え?手伝わないで帰るの!」と冗談のつもりで言ったが、まじめな顔で「申し訳ありません」と言われてしまった。いやいや、これは田舎の冗談だってば。

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 この家の豚ではありません。数キロ先の養豚場も被害を受け、豪雨の中生き延びた豚ちゃん。
 野豚となってあちこちに出没しているようだ。黙ってえさをもらえていた環境から放り出され自由を得たが、これからの冬をどうするつもりなのか、心配だ。

 一日の仕事を終えるとき、ボランテイア全員が集合し簡単なまとめの時間がある。
最後に主人から一言もらう。でも、言葉にならない。ほぼ全ての物を失って、もうここには住めない。気持ちが普通ではない。それでも、「見ず知らずの方々に来ていただいて、その気持ちのありがたさがこんなに身にしみたことはない。」と絞り出した。私も同じ思いだった。

 自分の故郷が悲鳴をあげているのを見たとき、血が逆流した。ボランテイアではなく、手伝うのは義務だと思った。今のところ自分にできるのは労働だ。もう少しがんばろう。
 Fさん宅は95%片付いたということで、次回からは一般ボランテイアに行く予定だ。